第六章 二節 宿敵

 王宮内はとても広く、部屋の数も尋常ではない。部屋の多くは召し抱えられた女たちの寝室や騎士団員の休憩所、その他は美術品の展示や衣装部屋などになっている。

 しかし、玉座の間までは基本的に一本道になっている。中央大階段を上がり、無駄に広い通路を通ればすぐに玉座の間への扉がある。

 エルドは元々王宮に住んでいたので、玉座の間までなら目を瞑っていてもたどり着けるだろう。


「おんや? みなさま慌ててどちらへ?」


 エルドたちが中央大階段前の広場に着くと、思わぬ人物が待ち受けていた。

 白衣に身を包み、離れても香ってくる薬品と血の匂い。そして薄気味悪いにやけ顔を貼り付け、エルドたちにまるで実験用のネズミでも見るような濁った目を向けてくる。

 そんな不快な視線を向けられた側は、前の苦い出来事を嫌でも思い出してしまった。


「お前は……! グレイブッ!」


 エルドとアリスは憎悪の込もった視線をグレイブに向けた。その視線を受けたグレイブは、更に醜悪な笑顔で返すだけだった。


「二人とも落ち着きなさい。今はこんなのに構っている暇などないわよ」


「そうです、目的を忘れてはいけません。こんな下品な方の相手は私たちで十分です!」


 ベリルとクレアはエルドたちよりも一歩前に出て臨戦態勢に入った。

 そのことでエルドとアリスは冷静さを取り戻すことができた。


「おんや? どちら様です? というか、勝手な事を言われては困りますねぇ? ワタクシ、一応陛下より賊を捕らえよと仰せつかっておりましてねぇ?」


「あら、連れないわね。私たちのことをお忘れかしら? それとも、もう一度グルグル巻きにして頭を叩いて差し上げたら思い出すのかしら?」


「グルグル……? 頭……? ………………ははは。貴方がたでしたか……あのとき邪魔をしたのは…………クッ、ククク……グェへへハへッ! 丁度良いですねぇ⁉ あのときのお返しに、改良を重ねた新薬のモルモットになって頂きましょうかねぇ⁈」


 グレイブは白衣の内側から毒ナイフ、注射器、フラスコ、試験管などを取り出し、今にも飛び出しそうな血走った目を見開き、ベリルとクレアへ視線を向けた。


「うふふ。相手もその気になってくれたようね。アレは私たちが相手をするから、貴方たちは先に行きなさい」


「……わかった。ベリル、クレア。ここは頼んだ」


「ええ、勿論よ」


「はい! 皆さんもお気をつけて!」


 エルド、アリス、ガレンの三人は、この場に残ってくれた二人に感謝をしながらグレイブの横を素通りした。

 グレイブは走り去るエルドたちをまるで気にした様子はなく、最早ベリルとクレアしか見えていなかった。




 中央大階段を駆け上がったエルドたちは、広く長い通路を走っていた。そして、すでに後方の戦闘音が遠くなってきた頃、ようやく玉座の間に通じる扉が見えてきた。

だが、見えてきたのは扉だけではなかった。


「あれは……!」


 重厚な鎧に騎士団のシンボルが刺繍されているマント、そして、代々騎士団長に受け継がれるという金色に輝く宝剣を携えた男が扉の前に立ちはだかっていた。


「騎士団長……ジークハルト」


 十分な距離をとって立ち止まったエルドたちに対して、ジークハルトは伏せていた目を開き、眉間にシワを寄せたまま凄まじい眼力で睨んだ。

 威圧的な視線にもエルドたちは物怖じせず、武器に手をかけて戦う意志を示した。ジークハルトはそれに反応するように自らも宝剣へと手を伸ばした。


「お待ちください、殿下」


 エルドが鞘から剣を抜こうとしたとき、エルドたちよりも少し後方にいたガレンが身を乗り出し、それを制した。

 同様に、アリスもダガーを抜くことを止め、ガレンの言葉に耳を傾けた。


「どうか、この場は私にお任せして頂けないでしょうか……?」


 ガレンはジークハルトから目を逸らすことなく、常に視界に入れ続けた。

 だが、その目は敵に向けるような物騒なものではなく、旧友へ向ける懐かしさと闘志の入り混じった複雑で、けれどとても力強いものだった。


「……わかった。ここはガレンに任せる」


 エルドはガレンに絶大な信頼を寄せている。そのガレンが『任せてくれ』と言ったのなら、エルドはただガレンを信じるだけだった。

 エルドとアリスは武器から手を離し、ガレンが槍を構えたのを合図にジークハルトの後ろにある扉目掛けて走り出した。

 ジークハルトは横を通り過ぎるエルドを見もせず、宝剣に手をかけたまま黙ってガレンを睨んでいた。

 グレイブのときと同様に素通りできると確信したエルドは、そのまま扉へ向かって走り続けた。それは、エルドの後ろを走るアリスも同じ気持ちだったが、アリスがジークハルトの横を通り過ぎようとした瞬間、静かだが重く、鋭い殺気を向けられたのがわかった。

 アリスは、まるで自分の首を切り落とされたような錯覚を覚えたが、それがただの錯覚ではなくコンマ数秒後に実際に起こるであろう出来事だということを無意識に直感した。

 エルドでさえも一瞬の油断から判断を遅らせ、振り向いたときには既にアリスに向かって宝剣が振り下ろされている最中だった。


(ダメだ……! 間に合わないッ……!)


 反射的にアリスは目を閉じ、エルドは歯をくいしばった。だが、鳴り響いたのは首が落ちる無惨な音ではなく、金属同士の衝突音だった。

 ジークハルトの振り下ろした宝剣をガレンの槍が捉え、その切っ先がアリスの肌に届く前に止めていた。


「相手は私だッ! ジークハルトッ!」


 ガレンが足止めをしている間に、エルドとアリスは扉を開けて玉座の間へ滑り込んだ。

 そして、扉はその重さで自然と閉じていった。

 残されたガレンとジークハルトは鍔迫り合いから互いを弾き飛ばし、少しだけ距離をとった。


「……フン。まさか、貴様が賊に身を落とすとはな、ガレン」


「何とでも言えばいい。私は、エルド殿下に忠誠を誓ったのだ。殿下をお護りし、付き従う。それだけだ」


「……昔から、我々は相容れぬらしいな。我輩の主君はイヴァン陛下只一人。陛下に刃を向けるのであれば、誰であろうと容赦せん」


 睨み合う二人はそれぞれ剣と槍を握る手に力を入れ、少しの間を置いた後、全く同時に斬りかかった。

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