第五章 八節 研究所

 エルドたちはしばらく走り続けたが、王宮のお膝元ということだけあってか、一時間もしないうちに援軍であろう騎士たちをよく見かけるようになっていた。

 このままでは捕まるのは時間の問題だった。


「おーい! こっちですぞ!」


 細い路地からエルドたちに手招きをする男の影があった。

 その男は、白髪の縮毛に度の厚い眼鏡を掛け、白衣を身に纏った、およそこの地区に似つかわしくない風体をしていた。

 どう見ても怪しかったが、前後の通路から騎士たちの足音が近づいてきているのに気づいたエルドたちは、アイコンタクトで「背に腹は変えられない」と、その白衣の男についていくことにした。

 白衣の男は下水に繋がる道をひたすら降りていった。すると、白衣の男は突然何もない壁を弄り始め、鍵穴のようなものを見つけると、懐から鍵を取り出し解錠した。

ただの壁だと思っていたところは隠し扉になっていたようで、綺麗に左右に開かれ、更に下へ続く階段が現れた。


「さあ、急いで中へ!」


 白衣の男に促されるままエルドたちは階段を降り、最後尾になった白衣の男は追跡を警戒しながら内側から隠し扉を閉め、施錠した。


「ふぅ……ここまで来ればもう安心ですぞ。ささ、どうぞ奥へ」


 そう言って白衣の男は再び先頭を歩きはじめた。

 階段を降りると、地下とは思えないほど明るく、白衣を身につけた数名の人間が忙しそうに走り回っていた。


「ようこそ! 我らの研究所ラボへ!」


 ここまでの道案内をしてくれた白衣の男は誇らし気に両腕を広げた。

 研究所と呼ぶこの場所には、エルドたちには理解できないものが多数置かれていた。

 巨大なカプセルや七色の液体が詰まったフラスコ、ビーカー、そして壁には不可解な文字や数式が書かれた紙が壁一面を覆うように貼られていた。


「こ、ここは一体……あなた達は何者なんだ?」


「……お話しの前に、お連れ様の手当てが先ですぞ」


 イザベルに目をやった白衣の男はそう言って空き部屋へエルドたちを案内した。

 空き部屋というだけあって、ベッドと机と椅子しかないような、あまり生活感のない部屋だったが、イザベルを休ませるだけならば十分だった。

 イザベルをベッドに寝かせた後、白衣の男は客間にエルドたちを連れて行き、各々ソファーに腰掛けると白衣の男はエルドたちにコーヒーを振る舞った。


「……助けてくれたことには感謝している。本当にありがとう。名乗るのが遅くなったけど、俺たちは……」


「エルド殿下……ですな? ははは、そのように驚かなくてもよいのですぞ。この街を出入りする人間は、この研究所でおおよそ把握できるようになっているのですから! ちなみに我輩はこの研究所の所長、ジルベールと申します! 我々はバスト王国技術開発部の研究員ですぞ!」


 ジルベールと名乗る白衣の男はソファーから勢いよく立ち上がると、オーバーアクションで自己紹介をした。


「技術開発部……こんな地下に研究所があるなんて、今まで聞いたことがない。ジルベールさん、あなた達は一体何を作っているのですか?」


「さん付けなど不要ですぞ! そして何を作っているも何もあらゆる物ですぞ! 公共ベンチや街頭や調理器具! ……そして、この国を囲う壁や各地区のゲート……ですぞ」


 エルドたちは驚きと動揺が隠せなかった。今まで通って来た各地区のゲートは、国民を容赦なく選別してきた忌むべき存在……。

 しかし、先程までとは一転してソファーに座って俯いているジルベールの姿を見ては、事情も聞かずに責めることなどできなかった。


「あのゲートを作ったのがあなた達……というのは、本当なんですか……?」


「ええ……。正確には、現国王のイヴァン陛下が即位なさる前の、まだ技術開発部研究所の所長だった頃に、我々は助手としてお手伝いをしていたのですぞ」


 イヴァンが過去に所長を務めていたことは国民の周知の事実だったが、ジルベールたちの存在は身内のエルドにも秘匿されていた。


「……イヴァン陛下は、防衛という名目で国を囲う壁の建造、そして、他国のスパイなどを見分ける為のゲートの研究に尽力しておったのですが……まさかこんなことになろうとは…………」


 ジルベールは俯きながら自分の震える手を強く握りしめていた。その姿は、まるで自身がしてきたことへの後悔と懺悔のようだった。


「……そうか、そんな事が……。ジルベールたちは今でも研究を?」


「とんでもないですぞっ! ……壁とゲートの建造が終わってからというもの、イヴァン陛下は我々に『増胸剤』の研究を強要してきましたが、我輩たちは断固として拒否、及び抗議をしましたぞ! ……ですが、結果は見ての通り。我輩たちはF地区を追い出され、E地区に隔離されることになったのですぞ」


 再び俯くジルベールを見て、エルドはある疑問が頭に浮かんだ。


「なぜ断ったんですか? 追放程度で済んだからよかったものの、下手をしたら反逆罪で殺されていたかもしれないんですよ」


「く……くくくっ……よくぞ……よくぞ聞いてくださいました! 我輩が……いえ! 我々が求めているのは、陛下が求めているような贅肉の塊ではなく! 一切の無駄がない『幼児体型パーフェクトボディ』なのですぞぉッ!」


 勢いよく立ち上がり熱弁を振るうジルベールを、エルドたち、特に女性陣が冷ややかな視線を送っていた。


「アリス殿ッ!」


「うぇ? あ、はい」


 ジルベールはアリスに詰め寄ると、まるで少年のように目を輝かせていた。


「アリス殿の胸は一切の無駄が無く、まさに理想の幼児体型! 生まれてきてくれてありがとう!」


「喧嘩売ってんのかッ!」


「ベリル殿ッ!」


「……何かしら?」


 ジルベールはアリスの怒鳴りを無視して、今度はベリルに詰め寄った。


「貴女もアリス殿ほどではないにしても、限りなく幼児体型に近い胸囲の薄さ! 是非これからも絶え間ぬ努力でその贅肉を削いでいってほしいですぞッ!」


「ぶっ殺すわ」


 ベリルの殺意に満ちた視線すらも物ともせず、ジルベールのテンションは上がりっぱなしだった。


「あー、他の女性陣は部屋の隅で贅肉でも揺らしながらお茶でも啜っててどうぞ、ですぞ」


 ぞんざいな扱いを受けたエリスは可愛らしく頬を膨らませ、ディアナはレイピアに手を伸ばし、クレアは笑顔を貼り付けたまま微動だにしなかった。

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