第四章 三節 ウォレスとミランダ

 日が暮れた頃にようやく街へ戻ってきたエルドたちは、馬車を返した後、とりあえず今夜寝泊まりをする宿を探すことにした。

 だが宿探しは予想以上に難航した。そもそもD地区ともなると、『宿屋』というものが殆ど無い。

 その理由は、この地区の人間は自分の家を所有しているからだ。

 個人の気まぐれで家の建て直しや引越しはあっても、宿を借りる人間や宿を経営する人間が極端に少ないのだ。


「はぁ……」


 途方に暮れたエルドたちは、街の広場にある噴水近くに腰掛けてうなだれていた。

 そんな時、通行人のひとりがエルドたちの前を横切ろうとしていた。

 その通行人は、パンや野菜などがはみ出した紙袋を、大小合わせて四つほどを抱えていた。顔は紙袋に隠れていてよく見えないが、服装や手のシワから察するに年配の男性であることはわかった。


「あの人、なんか危なっかしいなぁ……」


「あら本当。……はぁ、仕方ないわね」


 アリスとベリルは腰を上げて、おぼつかない足取りの男性へと歩き出した。

 ぶっきらぼうな物言いをしていても、人の良さが行動に出てしまう二人の様子を見ていたエルドとクレアは、微笑ましい気持ちから顔を見合わせて笑い合った。

 そして、何も言わずアリスとベリルのあとに付いて行った。


「ねぇ、おじさ……って危ないっ!」


 アリスが声を掛けるのと同時に、年配の男性が体勢を崩して倒れそうになった。

 咄嗟にアリスとベリルが年配の男性を支え、エルドとクレアは空中に放り投げられた紙袋を上手くキャッチした。


「あ、危なかったぁ……。おじさん、怪我はない……あれ?」


「あ、ああ。すまないね、助かったよ……おや? 君たちは今朝の……」


 この年配の男性は、よく見るとD地区に来た時に声をかけてきた親切な老紳士だった。

 アリスたちは老紳士の荷物運びを買って出て、老紳士を家まで送ることにした。


「いやぁ先ほどは助かりました。その上、荷物まで運ばせてしまって、本当に申し訳ない。なんとお礼を言ったものやら」


「別に気にしなくていいって。これも何かの縁ってやつだし。ところで、家はどの辺なの? えっと……?」


「ああ、申し遅れました。私はウォレスと申します」


 ウォレスと名乗った老紳士は、律儀にも歩きながら丁寧に会釈した。


「ウォレスさんね。あたしはアリス。で、こいつはあたしの護衛のエルド。あと、ニコニコしてるおっかないシスターがクレア。こっちの小さいのは服屋のベリル」


 アリスはウォレスの大きい紙袋を両手で抱えるように持っていたので、ウォレスにもわかるようにエルドたち一人ひとりに目配せして紹介した。


「小さいって、貴女とそんなに違わないじゃない」


「おっかない……?」


「あ、あはは……」


 アリスは嬉々としてエルドたちの分も自己紹介したが、その内容について、小さい紙袋を抱えているベリルとクレアは不満そうだった。ベリルはアリスを睨みつけ、クレアは笑顔で小首を傾げている。

 アリスと同様に大きい紙袋を持っていたエルドも、そんな様子を見て乾いた笑いを浮かべるしかできなかった。


「はっはっは。なるほど、中々愉快なご友人たちで。仲が良いようで羨ましいですな」


 ウォレスはエルドたちを見てとても楽しそうに笑っていた。




 ウォレスに案内された場所は、ディアナの屋敷ほどではないにしても、街の中ではかなり大きな屋敷だった。

 だが、エルドが注目したのは屋敷の大きさではなく、入口の扉近くにある吊り看板だった。


「ただいまー。今帰ったぞー」


 ウォレスは奥の部屋まで聞こえるように、少しだけ声を張った。すると、カウンターの奥からとても穏やかそうな年配の女性が現れた。


「はいはい、おかえりなさい……あら? あなた、こちらの方々は?」


「さっき広場で助けてもらってな。親切に荷物まで運んでくださったんだ」


「あらまぁそうでしたか。それはそれは、ありがとうございます。私はウォレスの妻のミランダと申します。主人がご迷惑をおかけしたようで、本当にすみませんでした」


 ミランダはカウンターから出てくると、エルドたちに深々と頭を下げて謝罪した。


「い、いえいえ、別に大したことでは……。それよりも、この屋敷はひょっとして宿屋ですか?」


「え? ええ、ここは確かに宿屋ですけど……まあ見ての通りお客様は誰もいませんけどね。ご利用されるのは、主に見回りや遠征の途中に立ち寄られる騎士様だけですよ」


「騎士……か」


 エルドたちはこの屋敷が探し求めていた宿屋であることに顔を見合わせて喜んだが、騎士御用達の宿屋であるならば、遭遇するリスクを考えると長く滞在するわけにはいかないと顔を曇らせた。


「そうですわ! みなさん今夜はうちに泊まっていかれませんか? 主人を助けてくださったお礼もしたいですし」


 それはいい考えだとウォレスも喜んでいたが、エルドたちは表情を曇らせたまま顔を見合わせた。


「いえ、俺たちは……」


 エルドたちは別の宿屋を探すか、最悪野宿するしかないかと考えを巡らせていると、ミランダは何かを察したように口を開いた。


「ああ大丈夫ですよ。今のところ、騎士様たちがここへ来るのは早くても明日の夕方頃ですから」


「っ! な、なぜそれを俺たちに……?」


 ミランダの言葉に、エルドは思わずたじろいでしまった。


「あなた方の顔を見ればわかります。この地区でも、騎士様たちを快く思わない人は少なくありませんから。なにせ、自分達は裕福に暮らせてはいますが、バラバラになった家族達のことを皆ずっと案じておりますので……。ですので、皆さんさえよろしければですが一晩だけでも泊まられていきませんか?」


 エルドはアリス、ベリル、クレアの順に視線を投げかけると、全員肯定を示す頷きで返した。


「では、お言葉に甘えて今夜だけお世話になります」


 その言葉を聞いたウォレスとミランダは満面の笑みを浮かべた。

 夕飯時ということもあり、エルドたちは寝室よりも先に食堂へ案内された。

 エルドたちが来るよりも少し前に、既に料理を作り始めていたミランダは、仕上げのため調理場へ姿を消した。

 ウォレスやエルドたちが席に座って雑談をしていると、程なくしてミランダは次々に料理を運んできた。

 話では、明日の騎士たちへ振る舞う料理も含まれていたらしいが、また作ればいいとミランダは笑顔で自慢の料理を振舞ってくれた。

 ミランダの料理は騎士たち用ということもあって、かなり豪華なものだった。高級食材を惜しみなく使い、自作のソースは食材の味を生かすために少し薄めに作られていた。高級感溢れる味わいに、ほのかに香る家庭的な風味が絶妙だった。




 一通り料理を堪能し終えると、次は寝室に案内された。

 この宿屋はほとんどが四人部屋なので、人数的にも一部屋で大丈夫かしらとミランダは冗談まじりに言うと、アリスは顔を真っ赤にして拒否した。

 エルドの申し出もあり、二階奥の二部屋借りることになった。

 ミランダはエルドたちを案内し終えると、明日の朝食の時間を告げてウォレスの待つ一階の寝室へ降りて行った。

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