第三章 四節 聖騎士グレイブ

「……っ! エルドッ! こっちだ!」


 小声でアリスに呼ばれて近寄ると、たしかにその本棚の一角は『身体測定記録』と書かれたファイルが数年分並んでいた。

 二人はそれぞれ一冊ずつ読んでいくと、エルドの手に取った三冊目がお目当てのファイルだった。


「アリス、あったぞ! 妹のエリスは……っ!」


 突然部屋に備え付けられていた明かりが点いた。

 急な光に目が眩み、二人の視界が一瞬だけ奪われる。だがエルドは奪われた視界の中で微かな悪意を感じとり、大きく横に飛んだ。


「おんや~? 意外とすばしっこいですねぇ~?」


 エルドの目がようやく明かりに慣れると、書斎入り口の扉には白衣を身に纏った怪しい男が立っていた。

 ファイルを探すのに夢中になっていたエルドとアリスは、扉が開かれていたことに全く気づかなかった。エルドは白衣の男を警戒しながら横目でアリスを見ると、腕から血を流して片膝をついていて、白衣の男を睨んでいた。

 状況を確認するため、白衣の男を警戒しつつ周りに目をやった。アリスの背後の本棚には特殊な形状のナイフが三本ほど突き刺さっていた。更にエルドが回避する直前にいた場所にも、同様のナイフが数本刺さっているのも確認した。


「お前は……誰だ」


「おんや? 人の書斎に断りもなく入っておいてその態度ですか? まあよいでしょう。ワタクシ、見ての通り紳士ですので? あコホン。改めまして、ワタクシこの施設の所長を務めさせて頂いております、『グレイブ』と申します。以後お見知り置きを……」


 グレイブと名乗る白衣の男は、オーバーな動きでお辞儀をした。

 その瞬間、エルドに向かってまたも数本のナイフが投げられた。奇妙な体勢から投げられたナイフはかなりの速度だったが、エルドはそれよりも素早く剣を抜いてナイフを全て叩き落とした。


「おっほ? お見事ですねぇ? ですけど……おんや? そちらのお嬢さんは平気ですかね?」


 邪悪な笑みを浮かべるグレイブは、エルドからアリスに視線を移した。つられてエルドも視線を横に移すと、アリスが力なく倒れていた。


「ど、どうした⁉ 大丈夫かアリスっ⁈」


「わ……わからない……体が急に……痺れて……」


 二撃目の投げナイフはエルドにしか投げられていない。アリスの負っている傷は肩をかすめた最初の攻撃のみ。つまり……。


「毒かッ! ……くっ!」


 アリスから視線をグレイブに戻すと、またもナイフが数本エルド目掛けて投げられていた。かなりギリギリだったがエルドは今回の攻撃も全て叩き落とせた。


「おんや? これでもダメですか? 中々手強いですねぇ?」


「……このナイフに塗られているのは何の毒だ?」


「おんや? 敵に答えを求めるのですか? これまた随分と図太くていらっしゃいますねぇ? まあよいでしょう? ワタクシ、紳士ですので?」


 グレイブはそう言うと白衣の左袖からナイフを一本取り出してみせた。


「この毒はワタクシが調合した新作ですので、まだ名前がありません。ですが効果は実験済みですよ? 一度かすめれば体が痺れ、二度かすめれば死に至る。解毒剤ならホラここに?」


 ナイフを右手に持ち替えて、グレイブは懐から液体の入った小瓶を左手で取り出した。


「それでは実験。?」


 そう言ってグレイブは勢いよく腕をクロスさせた。右手に持っていたナイフは左側にいるアリス目掛けて飛んで行き、左手に持っていた小瓶はアリスと逆方向に投げられた。

 エルドは一瞬思考を巡らせ、小瓶の方へ勢いよく飛んだ。そして飛ぶと同時に持っていた剣をナイフへ向かって投げ、ナイフを弾き飛ばした。エルドは小瓶が床に落下する直前に掴み取ることができ、ホッと少しだけ気が緩んだ。


「おんや? やはりそちらの選択をしたのですね?」


 エルドは小瓶を握ったまま床に倒れ込んで、

 のではなく。違和感に気づいた時にはもう遅かった。エルドは首だけを動かして横腹に刺さったナイフを見た。


「おんや? お気づきになられましたか? そう、アナタが選択したのは『自分を守ること』ではなく『自分を犠牲にすること』でしたね? ……おんや? もしかして、『ナイフ』か『小瓶』かの選択だとでも思いましたか? 早とちりは良くないですねぇ?」


 エルドは、段々と首まで動かなくなっていくのを感じながらアリスに目をやった。アリスは目の焦点が合ってなく、口元から唾液が垂れ始めていた。


「おんや? これでお終いですか? 物足りませんねぇ? ……ではでは、ゆっくりとお話しでも致しましょうか? まずはそうですねぇ? ワタクシ、アナタたちの存在は知っていましたよ? 何やらこの地区の施設を嗅ぎ回っている者たちがいると報告を受けていましたから?」


 それはエルドも考えていた。少なからず勘付かれていてもおかしくはないと。

 だが、この作戦の決行日までは探りようがないはずだ。エルドは内通者の可能性を考え始めるが……。


「ああ、勘違いなさらないでください? アナタたちが侵入したことは本当に知りませんでしたよ? たまたま隣の部屋で新薬の開発をしていましたら、こんな夜更けに書斎から物音が聞こえるじゃありませんか? これは毒ナイフを大量に持ってお出迎えしなければと思うのは当然ではないでしょうか?」


 そう言ってグレイブは白衣を翻すと、内側に無数の毒ナイフが縫い付けられていた。袖から毒ナイフを一本取り出すと、エルドではなくアリスの方へ歩いて行った。


「おんや? このお嬢さんはだいぶ毒が回っていますね? しかしこの程度のかすり傷ではせいぜい全身麻酔程度の効果しかありませんかねぇ? まだまだ改良の余地ありありですねぇ?  致死量には……おそらくあと二本?」


 グレイブは独り言を言いながら、袖からもう一本毒ナイフを取り出した。

 エルドの方に顔を向けたグレイブの顔は、これ見よがしに邪悪な笑みを浮かべていた。文字通り手も足も出ないエルドは、殺気を込めた視線を向けることしかできなかった。

 その次の瞬間、書斎の明かりが突然消えた。


「おんや? 一体なにご……どっ⁈」


 ほんの一瞬の出来事だった。

 明かりが消えると同時に、暗闇に紛れた大小二つの影がグレイブの背後に立っていた。小さな影は糸のようなものでグレイブの動きを封じ、大きな影は棒のようなものを躊躇なく振りかぶり、グレイブの頭部を打ち抜いた。

 再び明かりが付くと、白目を剥いて倒れたグレイブの顔が、エルドの目の前にあった。視線を上げるとそこには、ゴスロリとシスターが立っていた。


「ベリル……クレア……なんで……?」


「話は後よ。これが解毒剤? さっさと飲みなさい」


 そう言ってベリルはエルドが握り締めていた小瓶を取って栓を開けた。


「お、俺より……アリスを……」


「この白衣の方の懐からもう一個見つかりました! こっちはアリスさんに飲ませます! ベリルさんはエルドさんに!」


 クレアの言葉にベリルは頷いた。ベリルはエルドに解毒剤を飲ませ、クレアはアリスに解毒剤を飲ませた。痺れては段々と引いてきたが、エルドの足はまだフラついていた。アリスに至っては毒が回りすぎたせいか、未だ身動きがとれていない。


「何の騒ぎだっ!」


「下から聞こえたぞ!」


「グレイブ様になにかあったのかっ⁈」


 警備の兵士たちが騒ぎに気づき始めた。

 アリスはクレアがおぶり、エルドはベリルに肩を貸してもらって、兵士に見つかる前に急いで隠し通路から脱出した。

 枯れ井戸まで辿り着くと、ロープにアリスを括り付けてガレンに引き上げてもらった。その時にはもうエルドの麻痺もだいぶ解けて動けるようになっていたので、エルドはひとりで登るのことができた。

 ベリルとクレアも、アリスと同様ガレンに引き上げてもらったが、教会へ向かう馬車の中でずっとガレンの説教を聞かされていた。

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