第二章 三節 聖騎士ガレン
B地区の酒場は大層賑わっていた。皆日々の疲れや鬱憤を仲間と共にここで吐き出しているのだろう。
そんな中、一階の隅の個室では男がひとり寂しく酒を浴びるように呑んでいた。既に出来上がっている様子のこの男は、昼間仕立屋に来ていたガレンという男だった。
ガレンのいる個室には、客も従業員も全く寄り付いていなかった。だがそれは聖騎士ということで敬遠されるのではなく、あくまで顔なじみとして気を使われているようで、店の雰囲気を悪くしているわけではないようだ。
だからこそ見つけやすかったのだが。
「すみません。ここ、少し良いかな?」
フードを目深に被った男がガレンのいる個室に入って来た。訝し気に見るガレンの断りを待たず、フードの男は対面の席に座った。
「……誰だ貴様。私はひとりで呑みたいのだ。邪魔をするな。去れ」
ガレンはフードの男を睨みながらそう冷たく言い放つが、フードの男は怯むどころか口元を緩めた。
「連れないじゃないか、一緒に飲もうよガレン。ま、俺はまだお酒飲めないけどね」
ガレンは眉を潜め、席の横に立てかけてある槍に手を伸ばして警戒心を強めた。
だが、男がフードを取るとその警戒心は消え、ガレンの酔いは一気に醒めた。
「エ、エルド殿下ッ……!」
「久しぶりガレン。少し痩せた?」
「な、なんと……。これは夢ではない……よくぞ……よくぞご無事で……!」
ガレンは前のめりになって目に涙を浮かべた。エルドも、ガレンが自分のことをこれ程までに心配してくれたと知り、申し訳ない気持ちと暖かい気持ちが胸を満たした。
ガレンは、バスト王国騎士団の中でも屈指の槍使いとして有名だった。大きな戦では必ずガレンが一番槍を担うほどの勇猛さと気高さを持っていた。
そんなガレンは、エルドが幼い頃の槍の指導役だった。しかし、エルドが槍よりも剣のほうで才能を開花させて以来、父であるイヴァンの方針で槍の指導よりも剣の指導が増えていった。
それでも度々ガレンはエルドのもとを訪れ、市場で買った果物をこっそりくれたり、戦場での武勇伝を聞かせたりしていた。エルドにとって、きっとガレンは兄のような存在なのだろう。
「数日前、突然殿下が行方不明になったと知らされた時には、気がどうにかなってしまうかと思いました」
「それで自棄酒かい?」
「……め、面目次第もございません。ですがこのガレン、常に殿下の身を案じておりました。殿下は今まで一体どちらに……?」
「うん……心配掛けてごめんよ。そうだね、今から順を追って話すよ」
エルドはこれまでの事をガレンに語り始めた。
父の思想に耐え切れず王宮から抜け出したこと。
地下水道に落ちてA地区まで流されたこと。
そこで、アリスという少女に救われたことを。
「……なるほど。おおよその事情はわかりました。つまり今は、恩人であるそのアリスという少女の妹、エリス……でしたか? その娘を探して各地を回っている……という訳ですね」
「そうなんだ。どうやらこの地区にもいないらしくてね。ガレン、何か心当たりはないか?」
ガレンは腕を組んで目を瞑った。聖騎士であるガレンは仕事で色々な地区を回っていたので、各地区の人々の記憶を掘り起こしているのだが……。
「……すみません。そういった名前の少女に憶えはありません。せめて見た目だけでもわかると良いのですが……」
ガレンの意見はもっともだが、それは難しかった。
以前アリスに聞いていた限りでは写真などは何も残っていないらしく、アリスの記憶だけが頼りなのだが、その記憶でさえもおよそ六年前のものだ。どの程度アテになるかわからない。
「ごめん、これといった手掛かりは何もないんだ」
「い、いえっ! こちらこそ殿下のお役に立てず……あっ! 殿下、ひとつだけ心当たりがありました! C地区にいる私の妹が孤児院を営んでおります。そこには十歳の選別でC地区と判断された者たちを集め、共に助け合いながら暮らしております。ひょっとするとそこにいるやもしれません」
「C地区の孤児院か……。行ってみる価値はありそうだな……」
ガレンはエルドの役に立てたことが余程嬉しかったのか、酔いも醒めているにも関わらず目に見えて上機嫌だった。だが、ガレンの提案にはひとつ問題があった。
「ガレン、C地区に行くためにはゲートを通る必要があるのは知っているだろう? 確かガレンは聖騎士に属していたはずだよね? 俺はA地区の門番から譲ってもらった推薦状がある。これを使って俺を志願兵として騎士団に入団させてもらう手続きをしてくれないか?」
それを聞いたガレンはエルドから手渡された推薦状に目を通すと、その表情から笑みは消え、また節目がちになってしまった。
「……申し訳ありません殿下。これは私が門番である彼らに渡した推薦状です」
「なっ……ていうことは、あの兵士たちの師匠って……ガレンのことだったのか」
「はい……ですが、今の私は一時的にではありますが聖騎士の称号を剥奪されているのです。イヴァン陛下に少し逆らってしまって……。ですからその推薦状は、このB地区までなら通行証代わりにはなりますが、現時点で聖騎士でない私の推薦状では何の意味も持ちません」
ガレンの口から語られる現状に、エルドは現実逃避したい気持ちを必死に堪えた。
「申し訳ありません……。私も、今はC地区にいる妹のもとで孤児院の手伝いをしている有様で……。ここに来られたのも、妹が国に申請した商品発注依頼が通ったからこそです」
そう言ってガレンは懐から通行証を取り出し、エルドに見せた。そこには運搬人がガレンひとりであることや、運搬物の種類や個数といった詳細が事細かに書かれていた。
ガレンは騎士団の中でも人望があり、知名度がある。ガレンと偽ってこの通行証を門番に見せでもしたら、すぐに捕まるだろう。
つまり、この通行証を使ってゲートを通ることができるのはガレンひとりだけだ。
聖騎士の称号も剥奪されているとなると、志願兵の採用権を有していないガレンがいくら門番に言い聞かせたところで、エルドを騎士団に入団させるのはおそらく無理だろう。
門番たちも、イヴァン王からの処罰の対象になりたくはあるまい。
「万策尽きたか……いや、これは……ガレン! これなら行けるかもしれないぞ!」
エルドは突然立ち上がり、何かを閃いたようで目を輝かせていた。その様子をガレンは何事かとただ目を丸くするだけだった。
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