第一章 四節 胸の秩序
三十分後、エルドとアリスはゲートの前に来ていた。
エルドは微妙に疲れた顔をしていたが、それとは対照的にアリスの顔は艶やかで、いつも以上に上機嫌だった。
門番のひとりがアリスの姿を見ると、ニヤついた顔で話しかけて来た。
「よお嬢ちゃん。今日はどうしたよ? また薬買いに来たのか? それとも、もうさっそく効き目が出てきたかな? ぷっ……くははははっ!」
「ええ、おかげさまで。だからその下品な笑いをやめて、とっとと鉄格子を開けてもらえる?」
「なにぃ? ……へっ、まあいいか。いいぜ。お望み通り開けてやるよ」
そうして門番は鉄格子を開けて、アリスはゲートの中へ入って行った。
ゲート内にはひとりずつしか入ることを許されていないので、エルドは外からアリスを見守るしかできなかった。
門番が鉄格子を閉めると、ゲート側が自動的に鍵を掛けた。
(エルド……あたしは、アンタを信じるよ……!)
ゲート内でスキャンが開始されると、アリスは外にいるエルドを見て先程のことを思い出していた。
「ふ、服を脱げだぁ? っざけんな! できるかそんなこと! バカも休み休み言えってんだ!」
「ご、ごめん、言葉が足りなかったね。……落ち着いて聞いてくれ。アリス、俺は……胸の大きさを変化させることができるんだ」
「………………」
突拍子もないエルドの言葉に、アリスは口を開くが言葉が何も出ず、まるで金魚のように口をパクパクさせることしかできなかった。
「いきなりこんな事を言われても信じられないと思う。でも事実なんだ! ……妹のエリスのためで構わない。俺を、信じてくれないか?」
エルドの真剣な表情に、アリスも唖然としてはいられず、真摯に向き合った。
「…………わかった。今から服を脱ぐから、ちょっとあっち向いてて」
「……! ありがとう、アリス!」
エルドは笑顔を見せたあとすぐに後ろを向いた。アリスが服を脱ぎ始めると、その衣擦れの音が狭く静かな部屋に妙に響いた。
エルドは今更ながらこの状況に少し気恥ずかしさを覚えた。
「……も、もういいぞ」
エルドが振り向くとアリスはシーツを体に巻いていて、自作の簡易ベッドに座りながら顔を真っ赤にしてそっぽを向いていた。
少し考えてみればわかるが、今アリスの感じている羞恥心のほうがエルドの気恥ずかしさなんかとは比べ物にならないほど上回っていた。
「じゃ、じゃあまずは、うつ伏せに寝て、背中だけ出してもらえる?」
「…………うん」
アリスはベッドにうつ伏せになり、体に巻いていたシーツを腰まで下げた。
そうすることにより、アリスの色白でキメの細かい綺麗な肌が露わになった。小柄な幼児体形にも関わらず、内に秘められた筋肉を覆うようにほんのりと脂肪が乗っていて、なんとも言えない健康的な色気が醸し出されていた。
「ア、アリス、準備はいいかい?」
エルドはアリスに跨り、両手のひらを背中にそっと置いた。
「んっ……! あ、ああ、いつでもいいぞ」
アリスの返事を聞いてエルドは一度目を閉じて深呼吸をした。
再び目を開けると、その目には一切の雑念が無く、恐ろしいほど集中していた。これはエルドなりのスイッチの切り替え方なのかもしれない。
「それじゃあ行くよ…………『
エルドが小声でその言葉を口にした瞬間、エルドの両手は微かな光を帯びた。
そのまま背骨辺りを起点に、両手を左右の外側に広げるように力を加えていった。傍目にはおそらくマッサージをしているようにしか見えないだろう。
「んんっ……! なんかっ……体が……熱くなってきたような……んっ!」
「もう少しだから……我慢して、アリス……!」
ふたりの声も段々と熱を帯びてきて、艶っぽさが増してきた。
アリスの体は幼児体形ではあるが、決して骨張っているわけではない。背中にも、邪魔にならない程度の健康的な脂肪が薄っすらと乗っている。いま行なっているエルドの『胸の秩序』は、まさにそうした脂肪を胸へ移動させているのだ。
だが、やはりアリスは平均的な女性と比べるとやや脂肪が薄いようで、エルドでも苦戦を強いられているようだ。
根気強く格闘すること約二十分。アリスの胸には確かな膨らみが出来上がっていた。
「お……おおっ……! すげぇ! あたしに胸がある! 何これスゲェ!」
大はしゃぎのアリスとは反対に、エルドは膨大な集中力と『胸の秩序』による反動で、肩で息をするほど疲労困憊していた。
「ぜぇ……ぜぇ……。よ、喜ぶのは……まだ早いよ……。急いでゲートに向かわないと……この能力、ブラジャーを着けてないと三十分ぐらいで元に戻っちゃうんだ……」
「ブラジャー⁉ そんな高級品、A地区には売ってないよ! ……まあ、必要ないからなんだけど。じゃあ急いでゲートに行こう!」
アリスは意気揚々と扉を開けて外に出た。それをエルドはふらつきながらもおぼつかない足取りで追った。
そうしたやり取りを経た二人だからこそ、今このゲートに挑戦しているのだ。
鉄格子の内側にいるアリスと外側にいるエルドは互いに視線を交わし、頷き合った。
前回、黒焦げになった女がゲートに入ってから電撃を浴びるまで掛かった時間は約十五秒。これがおそらくゲート内をスキャンするために要する時間だ。今、アリスが入って十秒が経過した。
残り五秒。ふたりは心の中でカウントダウンをしていた。今までの人生で一番長く感じる五秒間を。
(四、三、二、一……!)
アリスは無意識に目を瞑り身構えた。だが、ゲート内には何も起きなかった。変化があるとすれば、B地区側の鉄格子が開かれたことだけだ。
「やっ、やったあ! やったぞエルド! これでB地区に行けるぞ!」
「やったねアリス!」
「ば、馬鹿なっ……! まさか本当にこんなことがっ……!」
喜ぶ二人に反して門番は信じられないという顔をしていた。
歓喜するアリスはエルドに手招きをするが、エルドがゲートに入ろうと一歩を踏み出しすと、A地区側の門番ふたりが槍で行く手を阻んだ。
「おっと、お前はダメだ優男」
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