第一章 一節 A地区の出会い

 新国王イヴァンによる圧政が敷かれてから、既に七年もの月日が流れていた。

 驚くことに今のバスト王国は、歪ながらも奇妙なバランスで『国』という形態を維持できていた。それはおそらく、今の地区分けという制度が従来のバスト王国の階級制度と似通っていたからだろう。


 王宮が佇むこのF地区を中心に、E地区、D地区、C地区、B地区の順に栄えていて、A地区が最も貧しい暮らしを強いられている。

 しかし、努力や才能で成り上がれるという点では、血統によって決められてしまう旧貴族制度より、今のバスト王国のほうが国民は活気付いているのかもしれない。

 勉学に勤しむ者、技術を高めるもの、容姿を磨くものなど様々だ。

 そんな中、王宮周辺には真夜中にも関わらず松明を持った何人もの兵士たちが忙しなく走り回っていた。


「見つけたか⁈」


「いや、何処にもいない!」


「探せ! 何としても連れ戻すのだ!」


 慌ただしい兵士たちを身なりの良い青年が草陰から息を潜めて覗き見ていた。そして、音を立てないよう慎重に林の中へ入っていった。


 最も栄えているF地区といっても、王宮裏の林はそこまで広くはない。これは過去の王宮建設時、国王の寝室から見える景色を彩るという意味合いが強く、当然野生の動物などは生息していない。

 おそらく兵士たちのお目当てであるこの身なりの良い青年が見つかるのは時間の問題だろう。おまけに、F地区を含めたすべての地区は、高くそびえ立つ強固な壁に囲まれている。

 防衛という名目で数年前から建設されていたこの壁は、王国を六つに分けることを目的に造られたものだ。


 青年は壁に手を這わせ、抜け道や脆くなっている箇所はないかと壁沿いに歩いた。別地区へ行くためには、各地区間に設置されているゲートを通らなければならないのだが、そこには必ず門番がいる。

 更に、青年が知らないもう一つ未知のセキュリティが存在するのだが、F地区から一歩も出たことのない今の青年に知る術はない。


 正面突破は現実的ではないが、かと言って壁を登るのは身体的にも技術的にもこの青年には不可能だった。穴を掘ってもこの壁は地中深くまで続いている。

 こうした現実を目の当たりにした青年は、何のアテも無く壁沿いに歩くしかなかった。


「やっぱり……無防だったかな……」


 弱音を吐き始めた青年は尚も暗闇の中を歩いた。すると突然、盛り上がっていた地面が崩壊した。


「な、なんだこれっ⁉ うわあぁぁあああ! がっ……ゴボッ……ゴボッ……」


 青年が落ちた先は、今は使われていない古い地下水路のようだった。

 ここ数日のバスト王国は豪雨に見舞われていたせいか、通常よりも水量が多く、流れが激しいため息継ぎはおろか体勢を立て直すことすら困難だった。


 青年は薄れゆく意識の中で死を覚悟し、後悔と安堵の入り混じった複雑な感情に苛まれながら意識を失った。






 青年が目を覚ますと、継ぎ接ぎだらけの天井を見上げていた。


「やっと気がついたか」


 近くで女の子の声が聞こえる。

 青年は頭だけを動かして声の主を視界に入れた。

 燻んだ金髪に小柄な体格。幼い顔立ちに、お世辞にも発育が良いとは言えない体を見るに、おそらく幼女である。


「……何か失礼なこと考えてないか? 先に言っとくけど、あたしは今年で十六歳だからな!」


 訂正。彼女は立派な少女だった。


「えっと……君は……? ここは一体……?」


「あたしはアリス。そんでここはあたしん家」


 家というには少し手狭に感じた。ロウソクの心許ない灯りのせいで正確にはわからないが、広さはおよそ四畳といったところだろう。壁や屋根などはあり合わせの板や布などで賄われていて、どうにか雨風をしのいでいるような状態だった。


「それで、アンタの名前は?」


「俺は……エルド。うん……エルドだ」


 エルドはアリスとの会話で、起きたばかりのボンヤリしていた頭がようやく醒めてきた。


「エルドね。アンタ、農作用の溜め池に浮かんでたけど、一体何してたわけ?」


「………………」


 どうやらあの地下水道は、ここの溜め池に繋がっていたらしい。

 しかしエルドは、自分が王宮から逃げてきたなどと正直に言える筈もなく、かと言って助けてくれたアリスに嘘をつきたくはなかった。そうした葛藤によってエルドは言葉が出ず、沈黙が続いた。


「もしかして、頭を打ってたみたいだから記憶が混乱してるのか? ……はぁ。気の毒だとは思うけど、あたし面倒事は御免なんだ。その傷塞がって動けるようになったら、とっとと出てってよ」


 エルドはそう言われて自分に掛かっているシーツをめくって初めて、自分が包帯やガーゼで丁寧に治療されていることに気づいた。


「アリスが手当てしてくれたのか? ……面倒かけたね。助けてくれてありがとう。もう大丈夫だから、すぐに出て行くよ。これ以上迷惑はかけないから。……えっと、アリス、悪いけど俺の服を持って来てくれるかな?」


 おそらく治療をする際に脱がせたのだろう。そうでなくても、池に浮かんでいたのなら服もずぶ濡れだったことは間違いない。

 エルドが見渡した範囲には自身の服が見当たらないようなので、きっと別の場所に干してあると思い、エルドはアリスに尋ねた。


「ああ、アレね。……売った」 


「はぁ⁉ っ痛……‼」


 驚きのあまり勢いよく起き上がったせいで、体中に激痛が走った。


「おい落ち着けって。売った金で新しい服は買っといたからさ。まあ、前の服より質が悪いのは我慢して……って、そんな目で見るなよ! し、仕方ないだろ、手当てするための包帯とか薬だってタダじゃないんだ! それに、お前をここまで運んできた運賃だと思えば安いもんだろうが!」


 逆ギレを始めたアリスを見てエルドはうなだれた。


「はぁ……。っていうことは、俺の剣も売っちゃったのか……」


「あ! それなら大丈夫! お前が持ってた剣ならここにあるぞ!」


 さっきとは打って変わって得意げに言うアリスは、部屋の隅に立てかけていた布に包んだ剣をエルドに差し出した。


「おぉ、よかった……! でも、なんでこの剣は売らなかったんだ? 服なんかよりも高く売れるだろうに」


 そう問われたアリスは少し真面目な表情になって、自分の腰に差しているダガーを引き抜き、刀身を見つめながら口を開いた。


「あたしもそこまで鬼じゃない。ここで生き残ろうと思ったら、普段から使い慣れた得物は持っておいたほうがいいからな」


「ここ……?」


「そっか、エルドはまだ記憶が混乱してるんだっけか。……ここは『A地区』。国から見放された奴らが行き着く、ゴミ溜めだ」


 A地区。通称『貧乳街スラム』とも呼ばれている。

 知力・労働力・その他有用な能力がほぼ皆無と判断された者たちが追いやられる最後の場所と言われている。

 とはいえ、このA地区に住むアリスが無能なのかといえばそうではない。女性は能力以上に、胸の大きさを評価されるのが今のバスト王国だ。つまり、アリスの胸囲がワーストクラスであることを指している。

 エルドは自然とアリスの胸囲に視線が行き、アリスがこちらを睨みながらダガーを握る手に力が入っていることに気づいて視線を外した。


「……また失礼なこと考えてなかったか? ……まあいいや。あたしはちょっと用事があるから。動けるならお前もさっさと出て行けよ」


 そう言うとアリスはダガーを鞘に収め、エルドを残したまま扉を開けて出ていった。

 エルドは、アリスが購入したという新しい服を着て剣を腰に差し、扉を開けてアリスの家を出た。

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