妖精の騎士・下

 マロンはギュッと箒状の神聖銀を握り絞めた。


「シャルロッテさん。木の上に登っていてください」

「……わかった!」

「“木が倒れたりするかもしれない”ので、その、気を付けてください!」


 マロンの言葉の意味は解らないものの、シャルロッテは素直に近くの木に登った。ランスを一時的に手元から消し、空いた両の手で軽々と巨木を登って行く。

 【永夜の山麓】地方の樹木は平均樹高が十メートルを超えるのだが、恐怖心も無く登れるのはやはり慣れているからなのだろう。


 シャルロッテが木の上に行ったのを確認したマロンは、オベロンが射程距離に入ってくるのを待った。

 七十メートル、六十メートル、五十メートル。

 魔法使い族は、魔法を行使する際に相手との距離を術式に組み込むため、幼少期から目測で距離を測る能力を鍛えられる。十メートル以内より始まり、二十、三十メートルと。マロンの場合は視界や明暗の良し悪しはあれど、八十メートル程までならば一メートル単位で測る事が出来た。近くに寄れば五十センチ単位ほどで測ることも可能だが。


 両者の間が三十メートルほどになろうとしたとき、マロンが箒の柄を地面に突き立て、威勢の良い声で業の名を叫ぶ。大地花の祝福における“第三のわざ”。


「『底なし沼は影の如くメルト・スワンプ』!!」


 そう叫ぶやいなや、マロンの足元を除いた地面が、文字通りにドロリと溶ける。いわゆる液状化のようなもので、地面に触れた箒の柄を中心として、急速に地面が液体のように緩くなっていく。

 地面の形を変化させ、岩のように硬くさせる『母なる大地の造形美ガルガムーシュ』とは、対になる業と言えた。


 液状化した地中では摩擦力が著しく低下し、自重の傾きに耐えきれなくなった木々が次々と傾いでいく。流石に真横に倒れてしまうほどの流動性は無いものの、突然足元の木が揺らいだことに驚いたのか、マロンの頭上からシャルロッテの悲鳴が聞こえて来た。落ちてこないのを確認してマロンはホッと溜息をつく。


「なんだこれは。【湖沼河こしょうが】でもあるまいに……脚が抜けぬ。腕も抜けぬ。鬱陶しい鬱陶しき……素晴らしい! このような魔術が出来ていたか! それとも精霊か? あぁ邪魔だ!! 貴様、ふざけるな! 余を阻むとは許されざる。大逆罪に値する!!」


 感情の安定しない酷く不可解な言葉を喋りながら、オベロンが底なし沼を抜け出そうともがいているのを確認し、マロンはどこかに居るシャルロッテに向けて大声で語りかけた。


「シャリ―さん、今のうちに!」

「危ないッ!!」


 マロンの頭上を『槍鼬』による斬撃が通り抜けた。樹上に騎士の幽霊が潜んでいたようで。槍の先端を下に持つ形で、頭上から刺し貫かんとマロン目がけて飛び降りていたらしい。

 しかし幽霊も幽霊で馬鹿ではないようで、槍の持ち手と左腕を犠牲にしつつも祓われる事態は回避していた。油断なく放たれていた二撃目によって、体を左右に分断されて雲散霧消という結果になったが。


「でもマロンちゃ、これ逃げられるの? 木の上だから私は大丈夫だけど……」

「うっ……それは……」


 シャルロッテの無邪気な指摘に、言葉が詰まるマロン。足元に効果を及ぼさないようにする程度の操作は可能なのだが、歩く先での限定的な解除などはほぼ不可能であった。


「あ、そうか……! 『母なる大地の造形美』!」


 『母なる大地の造形美』と対になっているとは、つまり相互で補助しあう関係の能力ということでもある。柔らかくする能力と、堅くさせる能力。つまり


「動けぬ! ぐお……うぐおァアアア!!」


 脚が地面に太ももほどまで嵌ったままの状態で、その地面が岩のように硬質化したためオベロンの足が完全に固定される。生前の存在感や影響力の強さから、現世の物理法則を強く受けてしまっているのが仇となったのだろう。

 異常な程の怪力を持つ腕を持っていても、オベロンの足はただのヒトの筋力程度にしか過ぎなかった。怪腕で地面を掘るなどして脱出するほかはない。


「余が出るまで貴様らは奴等を殺せ!! 慈悲深く接するのだ。なんということだ可哀そうに……余が直々にくびり殺してやれぬとは……フハハハハッ! 素晴らしい余興では無いか! 酒を持ってこい、貴様らに飲ませてやろう」


 オベロンが配下の幽霊達に命令を下す。

 マロンが何とも言えない表情をしていると、木の上から軽やかに宙返りをしつつシャルロッテが降りて来ていた。


「マロンちゃん!」

「シャリ―さん! えっと、今のうちに……」

「ごめんもう完全に無理!」


 シャルロッテは両手にランスを構えた。


 騎士の幽霊達複数が、二人を囲う様に姿を現した。

 木陰から姿を見せたり、木の上からガシャンという音を立てて降りて来るものなど。文字通りに幽鬼の如き様相であった。


「マロンちゃん」

「は、はい!」


 得物を構えなおすシャルロッテが、珍しくも「ちゃ」どまりでなく「ちゃん」という言葉まで言い切り、緊張した面持ちのマロンは調子を崩しつつも返事をする。マロンに完全に背を向けているものの、非常に真面目な面持ちであるのだろうとマロンは感じ取った。


「私じゃわかんないけど……ここで、逆転する方法ある?」

「……そう、です、ね……」


 混乱していた頭を高速で処理し、目の前の問題についてのみ考える。機を窺っているのかジリジリと距離を詰めてくるだけだ。

 幽霊は魔法を使うことは出来ない。物理的手段でしか攻撃を仕掛けられないため、距離を詰めるしかない。さらに言えば魔法を使えないということは、魔法に対しての対抗策を持たないということであり、避けるしか対処法は無い。


「……五分ほど、集中させてくだされば。ここにいる騎士達を、全滅させられるかと」

「五分……」


 シャルロッテはその時間の長さに気が遠くなりそうな感覚がしたものの、体では改めて得物を構えなおしていた。


「でも難しいでしょうし、何か逃げる手段を……「待って」


 シャルロッテがマロンを遮った。


「私は、あのボスと、一人で戦いたい」

「な、なんでですか! 他のみなさんと協力した方が」


 シャルロッテが騎士の剣をランスの腹で受け止める音が鳴り響く。金属と金属が擦れ合う音が続いて鳴り響き、シャルロッテが空いたもう片方のランスで敵の首を正確に貫いた。

 淡々とした動きで対処するのを見てか、幽霊達がわずかに距離を取った。今現在も樹上から下りてきている幽霊が居る為、もういくらか多くの騎士が集まってから攻撃を仕掛けるつもりなのだろう。


「理由は言えないけど……でも、そうしないと私は心の整理がつかないと思うんだ」

「心の整理……です、か」


 シャルロッテが背を向けながら語った中で、心に突き刺さったワードがあった。自身の過去を振り返り、ふっと目を閉じる。


「わかりました。信じてますから、守ってくださいね」

「うん。本気出す」


 マロンが詠唱を開始したことを察知し、数体の幽霊が一気に駆け寄ってきた。シャルロッテはまず長物を持った敵に対し、『槍鼬』を放つ。敵の槍を切り裂き、腕や肩を易々と吹っ飛ばした。


 しかし剣を持った敵はマロンに近付いてきている。シャルロッテは目の前に居る騎士の攻撃を受け止め、一瞬脱力して敵が体勢を崩した瞬間に、思い切り胴鎧部分を蹴りつけて転ばせる。その間にもマロンを挟んだ反対側から迫っていた為、左手のランスの石突を向け、何もかもを吹っ飛ばすような突風を生じさせた。

 マロンのすぐそばに迫っていた幽霊はもちろん、その背後に居た騎士達までまとめて転ぶようにして吹っ飛ばす。あまりに強烈な風圧に、後方にあった木々から葉っぱが大量に飛んで行き、幾本かの樹木がへし折れるなどして倒れた。


(ちょっとヤバい、かも)


 自身の切り札の一つである突風をすぐに使う事となり、シャルロッテが冷や汗を流す。

 切り札はたったの二つ。『槍鼬』と、放出能力を全力解放しただけの突風。

 シャルロッテはまだ二つしか花祝の業を獲得していなかった。


「ど、いて!!」


 さらに言えば、シャルロッテの筋力はレオンと同程度にしか過ぎない。リリアやマオウのような超怪力があるわけでもないため、敵を力任せに吹っ飛ばすようなことも出来ない。


(守れない……? ここでマロンちゃんすら守れなかったら……)


 焦る。


「近づくなぁぁ!!」


 剣を滑らせ、そのまま兜の隙間に突き刺して倒すという荒業までやってのける。それでも敵は不屈で、量も多く。


「マロン!!」


 騎士の凶刃がマロンを切り裂こうとする寸前、シャルロッテは守るべき者の名を叫んだ。そして、意識がマロンへと飛んだ一瞬の隙に、袈裟切りが自分に迫っていた。


(私じゃ、守れないのか)


 走馬灯のように一瞬で思考が流れていき、目の前の出来事がとても遅く感じられた。


(信じてくれているのに)


 マロンはずっと目を瞑っているのか、その場で動かずに小さな声で喋り続けていた。

 シャルロッテは守らなければいけないのだ。いずれ起きる戦いの為に……“母親を守る為に”。

 だからここですべてを超えなければいけないと。


 そう思ったことに気が付き、シャルロッテは自分を軽蔑した。

 予行練習としてマロンを危険に晒したのだ。

 そして酷く後悔した。


(力が欲しい。壊すだけじゃなく、守る力を)


 袈裟切りを弾き、マロンへの攻撃を防ぐ時間は無い。


(せめて、マロンだけでも)


 シャルロッテは自分を犠牲にすると決めた。母を助けることが出来なくなるとしても、母の代わりでも自分を信じてくれたヒトを助けようと。受けた恩をヒトに施すというような高尚なものでなく、ただ罪滅ぼしのようなものだとしても。


「どけぇぇぇぇぇぇェェェ!!」


 シャルロッテは絶叫しながらマロンの肩越しに、彼女を上段から切り捨てんとしていた騎士の頭を貫く。


(もし昔に戻れるのなら……大切な)


 そして、斜めから上へと。

 冷え冷えとした輝きを放つ剣が。

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