秘密を交わす・上
十英雄が一人、
現在もなお本当の名前はわかっておらず、出生などに関しては望月という茶店の名とその店の娘だったと言う記録しか見つかっていない。個人情報という点では最も謎の多い英雄である。
十英雄にあげられることこから、同じく十英雄たる
軍を率いた、個として英雄的な活躍をした。
ではなく、彼女は現代に比べて遥かに未成熟であった魔術を昇華させ、新たな魔法を造りだし、傷付いた者達を癒し、命を救ったのだ。
現在では基本だが高位階の魔法として扱われる、回復魔法の祖なのである。
数少ない文献によれば彼女は攻撃の為の魔法を得意としておらず、幼少期から莫大な魔力を持っていたが、ただ持て余すばかりであったという。
しかし学も無い一般人であった彼女に、何故回復魔法という高等魔法を作り上げることが出来たのか。このことについては諸説あるものの、茶屋を営んでいたことからヒトの回復機能などについてよく観察し、研究していたため。などと言う説が最も有力とされている。
~中略~
いずれにせよ彼女の成したことは、あの最悪の戦争の終焉に一役を買ったことは事実であり、手放しに賞賛されるに値することである。
戦火に巻きこまれて望月屋は無くなり、その形は失われてしまったものの、されど店が在った通りには“望月通り”の名が付けられた。さらに彼女の子孫に直接望月の名は受け継がれることは無かったものの、その時代の潮流に合わせ、『望月』の
…………
********
満月が煌々と大樹林を照らす。
月光が地面や草原などを照らしたならば、世界はなおも明るく染められたのであろうが。
木々の下を闇が支配する大樹林だ。地上に落ちた月の光は純粋な暗闇に包まれて明るさを失い、仄かに残った明かりが眼下に広がる樹海の屋根を照らすのみである。
「すげー月だな……」
レオンは白い息を吐きながら呟いた。
両手の中には熱いはちみつ入りの柚子茶が入ったコップを持ち、熱によって体を温めている。
かなり熱めの飲み物なのだが、長年料理をしているために手の皮が厚くなっているレオンは、すました表情でぼうと空を見上げていた。
「どうしたんですか? うっ……寒い……ベランダなんかに出て……」
外に居るレオンの姿を、建物の中から窓越しにマロンが見つけた。何をしているのかと扉を少し開け、顔を覗かせながら尋ねる。
「ん? ちょっと感傷に浸ってただけだ」
「感傷って……何があったんです?」
時刻は午後八時。日の短い冬ではもうとっくに暗い時間である。レオンとマロン……もといレイラはデュエット曲の練習の為に、レイラのプロデューサーやボイストレーナー達に拉致されていた。やりたくも無いのにさんざん歌の練習をさせられ、先ほどやっと解放されたところであった。
彼らが居るのは魔法学園東塔の五階に位置するベランダ。学食に付属したこのベランダは、晴れの日の昼間ならば学食を利用する学生が教員などがちらほらと居るものの、夜間においてはレオン達以外の人影は無かった。
練習終わりに喉を癒すためと、学食の厨房を借り受けてはちみつ柚子茶をさっと拵えたのだ。いくらかの調味料などが収納されたカプセルと十数種類の食べ物が入ったカプセルを普段から持ち歩いているため、出先でも簡単なモノなら作れるのである。別に自前のカプセルからカセットコンロなどを使ってもよいのだが、節約するなら借りるのが一番である。カプセルを一度開くにも内蔵された魔力は消費されるのだから。
ちなみにずっとレオン達を拘束していたプロデューサー曰く、君達のデュエットは確実に売れる。とのことらしい。レオンからすればクソ喰らえという話であるが。
「別に面倒くせぇから語るつもりはねぇよ」
「……抱え込んだりしているわけじゃないなら、別に良いんですが……」
レオンにバッサリと質問を質問しないと答えられ、ムスッというような表情になりつつも心配する言葉を残すマロン。性格はいたって心優しい少女である。既に自分のことについて多くの重圧を背負っているというのに、さらに背負おうとするほどに。
ファーのついたキャラメル色のダッフルコートを着たマロンは、寒さで冷える手に息を吹きかけて温めながらレオンの傍へと歩いてくる。茶髪に茶色のコートという茶色づくめのコーデではあるが、芸能人として街中でバレたりしない為にはこういった微妙な恰好が大事なのだ。
「お前にだけは言われたくねぇよ」
「え?」
「俺よりよほど多くのもんを抱えてんだろ、お前。潰れそうなぐらい」
自覚は無かった。
この二重人格の少女は、人々が欲しいと願う魔法を開発する研究員であり、ファンという存在に夢を与えるアイドルという存在であり、世の中の人々が降臨を願う救世主の一人であり、運命の相手に恋い焦がれる夢見がちなただの少女である。
レオンは自分が生来の面倒くさがり屋だと自覚している。
人の役に立つことをする気はなく、人の気持ちを考えるつもりもなく、自ら戦う意思など皆無に等しく、恋愛など興味も無い。
故に、真逆の性格だからこそレオンには、マロンの抱えているものが痛い程に“良くわかった”。
「自分で抱えきれていない癖に、ヒトのモノを図々しく抱え込もうとすんじゃねぇよ。ヒトの領域に手前の自己満足で押し入られてモノを落とされたら堪ったもんじゃねぇ」
「……」
「モノが落ちてりゃその大きさだけ自由の領域が減る。自分のモノですら四苦八苦してるっつーのに、他人のモノの片付け方なんざ容易にわかるわけがねぇし」
レオンの口が悪いという性格には、潜在意識として自己防衛の為という節があった。口撃によって他者を意図的に遠ざけさせることにより、人との関わりを減らし、己の身を守っているのだ。
臆病などではなく、己が死なない為に。
他ニンのモノが己の領域に入り込むほどに、レオンは死に近づくのだ。
「俺はお前のモノを受け取るつもりはねぇが……お前、抱え込み過ぎんなよ。いつか抱えきれなくなったモノに埋まって、本当に潰されるぞ」
レオンはそう言いながら満月から目を離し、隣にいるマロンの顔を見た。何か思い悩んでいるように見えたため、何気なく相談に乗ろうとしたところで思い切り拒絶され、自分自身でも気が付いていなかったことを指摘されたのだ。ひどく動揺した表情をしており、練習によって火照っていたはずの頬も白くなっていた。
「あの……ごめんなさい……」
「おい……なんで謝ってんだよ。俺は勝手にお前の行動を拒否しただけ。別にお前が謝罪する必要性なんてねぇよ」
レオンが自分なりにはげますように諭すものの、「ご、ごめんなさい……」などと言いながらマロンは俯いて震えるだけであった。レオンは顔を思い切り顰めるも、コップを足元に置き、ポケットからカプセルを一つ取り出して手の中で割る。すると中から選択されたばかりのようなふわふわとした毛布があらわれた。
それを持ってマロンの傍に近寄ると、身長差があるため若干背伸びをしながらマロンの背中にかける。
それでも彼女は、反応しない。
レオンは溜息をつくと、近くのテーブル席から椅子を一つ拝借してマロンを座らせる。そんな気遣いは見せたものの、またコップを手に持つなどして再び月を眺めはじめた。
声はかけず、マロンの整理がつくのを待った。
アリサほどの底抜けに言動の明るい性格でもなく、マオウのようにガツガツと対人関係に絡んでいくわけでもなく、アルマスのように細かいことに気配りの出来る性格でもない。レオンは自分の性格をそう判断していた。だから、変に言葉をかけてさらに傷つけてしまうよりもそっとしておく方が良いだろうと。
十分ほどの時間が経ち、ふいにマロンの瞳が空を見上げた。
「き……れい」
「……おう、そうだろうな。なんせ望月の都で見る、満月だし。あいにく、地上の光のせいで星は見えねぇけど」
少年少女は空を見上げる。黄金の鏡が瞳に映り、黒や焦げ茶の瞳が黄金色に見えた。
「聞いて、くれますか。私の話」
「嫌だ」
「聞いて下さい」
「……」
普段無理にヒトに物事を頼むような性格ではないマロンが、レオンの言葉にかぶせるようにしてまで頼む。レオンはそんなお願いを聞いて、かぶりを振りながら自身の首の後ろを撫でる。歯を食いしばりながらポケットをまさぐるとお決まりのミントタブレットを取り出し、五、六個ほど口の中に放り込んで噛み砕き、碌に噛んでいない状態にも関わらず嚥下した。
「それは、俺じゃねぇと駄目なのか。もっと適任なんて居るだろ。ゼルレイシエルだとか、リリアだとか、男でもアルマスとか居るだろうに。なんで俺が」
「レオンさんじゃないと駄目です」
「なんで俺が」
「だってレオンさんも苦しそうじゃないですか」
レオンは溜息をついて自身の瞼を抑えた。二呼吸ほど置き、溜息のような白い息を吐くと、
「ッチ、じゃあ俺のヤツを先に持てよ。チクショウ……」
「ありがとう、ございます」
レオンが憎々しげな目でマロンを見る。
彼女は、どこか悲しげな目をしていた。
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