秘密を交わす・下

 レオンも近くの席から椅子を持ってきて座った。はちみつ柚子茶の入っていたコップは当に中身が無くなり、陶器製のコップも冬の夜の寒さによって冷たくなっていた。


「俺は先天性の病気を持ってんだよ」

「先天性……? でも……」

「そりゃ外見からじゃわかんねぇだろうな。なんせ、精神疾患っつうか、脳の病気……いや、障害って言った方が正しいか」


 レオンはなんでもないと言うような調子で、自分の頭を人差し指でコツコツと突く。どう捉えても衝撃的な告白であるため、マロンは目を丸くしているが。

 無理もない。脳に障害があるなどと言っているが、普段のレオンからはそれらしい言動など全く見られないのだから。思い当ることとしても、不思議な程に口が悪い程度だろう。


「俺の故郷って、鉱山地帯の街なんだけどよ。そこ特有の病気って聞いたことねぇか?」

「鉱山……そう言えば魔法の研究の為に呼んだ論文か何かで……あっ……」


 マロンの脳裏に浮かんだのは昔に何気なく目を通した記憶がある、人間の記した『パラレルワンの生物における病について』という報告書の一文。まったく魔法研究の役に立つような事は書いていなかったためほとんど忘れていたのだが、魔法を付与する触媒によく利用される金属が引き起こす病気だとして、それだけは妙に覚えていた。


「他者の夢や願いを叶えようとする、努力に。それに協力するという行動に、異常な程の多幸感を得る病気……」

「通称“夢追い人依存症”。脳内麻薬の過剰分泌によってさらに他者への奉仕に依存し、疲れに気を配らないまま動き続けて過労で死ぬ。なんてことばっかの病気だ」


 鉱山で採掘される貴重金属。その粉塵を子供を身ごもった母体が体に取り入れることで、生まれる子供の脳の一部に異常が生じるというもの。対策の法律が制定され、生産技術の向上した現在では発症者も極めて少ないものの、九十年ほど前にいたっては周辺地域で生まれてくる子供がほとんど発症していたという恐ろしい障害。

 現在では七千人に一人という確率だが、レオンはその一人であった。


「で、でもレオンさんは全然……」

「俺は面倒くさがりだからよ。多幸感があろうが、俺は自分の為だけに時間を使いてぇし。この病気が無かったらお前に料理すら教えてねぇよ」

「あ……」


 マロンは過去を思い出す。

 レオンに料理を教えてほしいと頼んだ時、即答で嫌だと否定し、将来の伴侶の為に料理が上手くなりたいと強く願ったことで教えてくれると言ってくれたこと。


「あとはこれだな」

「……タブレット菓子……」

「これな。菓子でもあるけど、医薬品としても出されるぐらい強烈なやつなんだよ。普通のとは違う成分も入ってる」


 エキドナを訪れる道中にて、シャルロッテが口にミントタブレットを入れられ、酷く悶絶していた。それは大量に口に入れられていたのもあるのだが、マロン……というよりレイラの時に一度貰ったことがあり、かなり強力なタイプのミントタブレットだったと覚えている。


「ミントって精神を落ち着かせる成分が入ってんだよ。脳内麻薬が強すぎて身体への負担によるストレスも同時に発生するから……まぁ、頼みごとされた時にいっつも食ってるだろ」

「そう言えば……いつもそうでしたね……」

「まぁ普通に好物だから食ってる時もあるけどよ」


 これまで半年以上一緒に旅をしてきた記憶の中から、レオンとの会話などのやりとりがよみがえった。暴言を吐きつつも、なんだかんだと負担のかかる願いも聞くレオン。それは、己の病に抗いながらの行動だった。


「んー……どうなんだろうな。生まれながらこんな性格になのか、それとも自分の身を守る為に無意識に怠惰な性格になったのか……ここまで成長した今となっちゃもう判断も出来ねぇけど」

「……」

「幻滅したか? 優しいように見えてた俺は、障害のおかげでそんな対応が出来てたって事だ」

「違います!」


 レオンが自虐のように己の性格を語ったところで、マロンが大声で反論した。レオンは気怠げな表情でマロンを見やる。


「貴方はそんな人物ではない」「その障害も大事な性格の一部なんだよ」


 故郷の街で警備隊の副隊長を一時期務めていたレオン。料理が上手いと言うこともあってなんだかんだで先輩隊員やら後輩に好かれていたため、そういった話を聞いてくれる人物も居たが、皆あたりさわりの良いことだけ述べていた。それからよそよそしく接する者も居て、勿論その後もいつもながらの関係で居てくれた人物も多いのだが。レオンはいつの間にかヒトに障害のことを打ち明けなくなっていたのだ。

 マロンもそんなことを言うのだろうと思い、特段幻滅するわけでも無いがどこか残念に思ってしまう節があった。


「レオンさんは、面倒くさがりじゃないんだと、思います」

「は?」


 思ってもみなかった方向からの話題に、思わず怒ったような聞き返す言葉が出る。そんなつもりは毛頭なかったのだが、ニュアンス的に怒ったと思ったようで、マロンはしきりにぺこぺこと頭をさげた。


「ごめんなさいごめんなさいっ!」

「あぁいや、怒ったわけじゃねぇよ。……続けてくれ」


「そうですか……?」とマロンが聞くのに頷くと、一度吹っ飛んでしまった考えを再び纏めたようだ。


「レオンさんは……料理とか、頑張ってるじゃないですか」

「それは趣味なんだから、そんなもんだろ」

「でも……私達の為にいつも作ってくださいますし……ミイネさんのぶんも、全然妥協しないで作られてるじゃないですか」

「それは……」


 レオンは口をつぐむ。

 料理を作って振る舞う事。それだけはレオンが純粋に楽しんでいることだった。勿論非常に負担の大きいことではあるが、自分の技術によって親しいヒトに喜んでもらえるのは嬉しかったのだ。

 レオンが十歳の時に孤児となり、それ以来ヒトとの関わりに飢えていた。

 障害によってコミュニケーションに自信の無いレオンにとって、料理とはヒトと触れ合う大事な能力なのである。ただ創り、食べてもらうだけで笑顔になって貰える。生産し、消費するだけの関係だが、それがレオンにはとても心地よいものだった。

 故にこそ、料理というものによって生まれる他者との関係性を、レオンは心の底から大事にしているのである。


「レオンさんの言うとおり、障害から身を守る為に面倒くさがりになったというのは本当なんだろうなと思います。でも、全部が全部じゃないですよ。やっぱり」

「つっても」


 マロンの言葉が受け止めきれず、言葉が詰まり、顔を伏せる。

 自分からではわからないことを、他人が気付くことは多いとレオンは考えていた。先ほどマロンに自分が指摘したように。

 他人がそう感じたのならば、己という存在の本質は、思っていたものとは異なるのではないか。頭の中でぐるぐると答えの出せない問いが巡る。


「楽しいんですよね? 料理を、作るのが」

「……まぁ、な」

「レオンさんに先ほど言われた通り、最近は重荷になっている感じですが……レイラはアイドルを楽しんでいるからこそ全力で取り組んでいますし、私も、魔法研究が好きだからこそ。研究員になったんです」


 【星屑の降る丘】地方でマザーコンピュータを倒した後、アリサから己の特技はすべて復讐の為に得たモノだと打ち明けられた。レオンはそんな生き方を聞いて、勿体ないと思ったのだ。その時はどうして勿体ないと思ったのかはわからなかったが、マロンの言葉を借りるならば。好きだからこそなのだろう。


「楽しめるものがあるから、好きなものがあるから。怠惰ではないもんなのか……?」

「ヒトによって捉え方は違うのかもしれないですけど……少なくとも私は、レオンさんはただの面倒くさがりなんかじゃ、無いと思います」


 真剣な表情でレオンを見つめるマロン。言葉もさることながら、その表情がどこかおかしく思え、クスッと笑ってしまう。真面目な話をしていたのに笑われたマロンは癪に障ったらしく、ムッと怒った表情へと変わっていた。


「ただの面倒くさがりってなんだよ。さっき面倒くさがりじゃないって言ってたのに、やっぱり面倒くさがりなんじゃねぇかククッ」

「そ、それはだって、レオンさんいっつも面倒くさい面倒くさいって自分から言ってるじゃないですか!」

「ただ障害の発作に抵抗するために口に出してるのかもしれねぇぞ?」

「かもしれねぇぞって絶対嘘なヤツじゃないですかぁ!」


 「もーー!!」と唸るマロンを見てレオンはクスクスと笑う。先ほどまでの重い空気はどこへやら、月光に照らされながら二人はいつものような表情で会話をしていた。


「クック……まぁ俺のはこんなもんだ。あとはちいせぇもんだし、別にどうでもいい」

「うー……レオンさんがからかうから、何を考えていたか忘れちゃったじゃないですか……」

「そんなもんで良いんだよ。ヒトのもんを背負うなんてよ。家族や親戚でもねぇなら、情を傾け続けてもキツイだけだ」


 マロンは納得したような納得できないような表情で身もだえする。体を揺らした拍子にストンと肩から何か落ちる感があり、マロンを自分の背後の下を覗く。


「あっ……ご、ごめんなさい! レオンさんの毛布汚しちゃって……!」

「どうでもいいよそんなの。あとでクリーニングにでも出して帰してくれりゃ」

「は、はい……くしゅっ」


 コートこそ着ていても毛布が外れて急に寒く感じたのか、可愛らしくくしゃみをするマロン。レオンはわずかに口角を上げると、とりあえず提案をする。


「寒いし、食堂の中に戻るか?」

「いえ……その、私の話は……他の人に聞かれたくないので……」


 レオンはその言葉を聞いて一言、「そうか」と短く答えるだけに留めた。

 そのまま立ち上がると近くの机に置いていたカップを手に取る。マロンが何事かとレオンを見ると、


「寒いだろうし、もう一杯入れてくるよ」


 といって一度食堂の中へと戻っていった。

 ぽつりとベランダの一席に残ったマロンは毛布を再び肩にかけ直し、満月を見上げた。


 神々しい程に大きく、美しく輝く天体。

 泣きたくなるほど美しい、太古から存在せしこの大陸の至宝。


「あの時の月って……どんな形だったかなぁ……」


 救世の英雄であり、罪人である少女は。消え入るような声で、独り言を漏らした。

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