白狼と柴龍・上

茶色の花はロア・ロックスと言う名の

己の化身である天使を作り上げた。

天使は己を“大地花”と言った。


「大地花は岩骨の象徴である。」

「大地花は怠惰という感情の象徴である。」

「大地花は調和の茶色の象徴である。」

「大地花は母なる大地の象徴である。」


岩骨の天使は地の者達にそう告げた。…


         創世記第二章より


********


 【永夜の山麓】地方を覆い尽くす森。“士遷しせん樹海じゅかいとも言われるその場所には、植物の精霊が多く住んでいると言われる。代表的な植物を司る精霊といえば、エントやドライアドなどいった樹木と一体化したような見た目の者達であろう。

 彼らは精霊の中でも特異とされる者達で、一般人の目にも見え、時は直に触れることが出来る特性を持っている。これは現実の植物と小さな芽の時から一体化するという性質のためであり、宿っている植物が枯死すると、他の精霊となんら変わらない生命体へと戻るのだ。そしてまた植物の芽に宿り……と、サイクルを繰り返す種である。


 広大な森林と士遷富山によって、地域一体が影に覆われているような環境でもあるために闇の精霊と呼ばれるシェイド達も多く生息している。逆に彼らに追われるようにして光が煌々と灯り続ける都会、魔法都市エキドナなどに光の精霊ウィル・オー・ウィスプ達が多く集う。


 世界一位の標高を誇る士遷富山が存在する故に、山の精霊オレアドや風の精霊シルフなどが当たり前のように生息し、とある神獣の影響によって雷の精霊であるヴォルト等が非常に多く存在している。また、水場の多い【流厳なる湖沼河】地方ほどでは無いにしろ、植物のお蔭で湿気が多い地域であるためなのか水の精霊であるウンディーネ等も居るのだ。


 土の精霊ノームは陸地であればどこにでも居る精霊であり、火の精霊サラマンダ―は火山地帯でない場合でもフラフラと火の点いた場所へと集って来る。


 精霊は魔法を行使するために必要となるマナを作り出している存在であり、単純な計算として、精霊の数が多いほどに環境中に存在するマナは潤沢となるのだ。マナは動植物の成長を促し、急速かつ精強に成長させる力を持っている。その超自然的な力を体内に取り入れることによってヒトビトは魔力というエネルギーへと変換して我が物とし、いつものように生活したり、時には魔力を消費して“魔法”を行使するのだ。

 体内の魔力を使えばヒトは急速に体力や気力を消耗し、時には魔力が枯渇して死に至ることもある。魔法を用いて普段から生活している魔法使い族にとってマナを取り入れることは何よりも大事なことであり、世界でも有数の精霊の生息地である【永夜の山麓】地方に彼らが入植したのは必然とも言えることであった。


 ☆


 そんな森の端に一匹の獣が立っていた。

 黄金色の冠と見紛うほどに立派な角を持った鹿である。


 角のところどころに瓢箪で出来た水筒をぶら下げながら、のんびりと辺りの木の葉を食む。冬であるため普通は葉っぱや木の実は少なく、鹿たちが食べるものと言えば木の皮や根っこなどが基本なのだ。彼ほどの格を持った鹿、“角王(かくおう)”碌星であってもそれは変わらない話である。しかし【永夜の山麓】地方という場所の特殊性から、冬であっても木の葉が青々と生い茂った広葉樹が生えている場合があるのだ。


「なんとも美味な葉じゃのう。それにしても……精霊がここまで逃げてきているとは……」


 瓢箪の一つが黄金色の角にぶつかり、カコリと小気味良い音が辺りに響いた。その音に呼応するように周囲の空間が揺らめく。

 精霊である。


「火の無い場所には現れんさらまんだー達までもが……火の気とは無縁な、こんな場所に漂っておるとはのう……」


 角王の目には、自分を取り囲む多種多様な精霊が見えていた。どれも安心したように朗らかに笑い、隣に居る精霊と会話をしているようなものも居る。そうは言っても精霊たちの言語は神獣にすら理解出来ないのであるが。好々爺とした性格の彼は話かけてくる精霊の話に適当にでも頷きつつ、柔和な表情で引き続き葉っぱを銜えた。


「……やはり、黒い花の獣共の影響か。儂も急がねばならんかのぅ……」


 そんな角王の言葉を聞いてか精霊たちがザワザワと騒がしくなりはじめ、まるで行かないでと妨害するように彼の前に密集して壁を作る。だが、体は別次元に存在しているのが精霊である。再び歩み始めようとする者の前では絶望的な程に無力であった。


「すまんのぅ……じゃが、今は急がねばならんのだよ」


 必死に引き留めようと角王の目の前で遊んだり必死に話かけてくる精霊たち。罪悪感は残るものの、己の使命の為には前へ進むしか無い。

 ある程度進むと、精霊たちが彼の前におどり出ることが少なくなった。何故かと言えば、黒花獣の領域への境界線に近付いたから、である。


「通らせてくれんか。……この先に居る者ぐらいわかっておるわい」


 角王は諭すように言いながら、一歩。踏み出した。


 轟と、その角王の動きを察知したかのうように、風を切って大きなものが角王の前に向かってくる。地面に足を擦るような音もなく角王の目の前に来た途端に静止し、渓谷の風の音の如く、低く無機質な声で唸った。

混沌とした、黒い黒い、悪意に満ちた塊。不吉な気配を漂わせるそれは虚ろな瞳で角王を睨みつけ、ヒトに似た姿をしていながらも虫のような二対の羽を背中に持ち、異様なほど巨大な腕をだらりと力なく垂らす。両手にはそれぞれ馬上用の槍が握られ、周囲にはおびただしい数の幽霊ファントムが付き従っていた。


「お主は……何故囚われてしまったのだ?」

「……」


 精霊たちは角王の背後に隠れ、恐怖を感じて一様にブルブルと震える。万物の隣に居る存在だとも言われる精霊。ともすれば存在するだけで万物に悪影響を及ぼすとされる悪霊ファントムに、心胆から恐怖せしめるのも無理もない。


「お主たちは儂の後ろに隠れておれ。危害は加えてこぬ」


 悪霊を従える者は問いに答えることなく、ただ虚無に満ちた瞳で観察するかのように見つめてきた。角王が周囲を見てみると従えた悪霊たちは鎧や武器を持った者が多く、つまりは戦死したヒトの霊魂なのだと判断できる。装備は角王の素人目にみても上等なものばかりで、生前は名のある人物たちであったのだろうと考えられた。


「先の大戦の者達か。我ら神獣が不甲斐なく、申し訳ない……辛いだろうのう……もう少しの辛抱じゃ……耐えてくれ……」


 角王はどこか悲痛な声で謝罪の言葉を口にした。そんな言葉が届いたのかそれとも興味を失くしたのか、異形の腕を持つ者――人間大の身長を持つ“妖精”の霊は角王と精霊たちに背を向けてどこかへと去っていく。勿論、付き従う悪霊たちもである。

 精霊たちはそんな悪霊たちの背中を見ながらホッと息をついた。角王は自然と一筋の涙を流しながら、先を案ずるようにどこか不安げに呟く。


「八つの黒花獣の長、幽鬼の王……死霊王しりょうおう、とでも呼ぶべきなのかのう……まさか、オベロン。囚われていたのがお主だとは……」

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