Ⅱ
―――
「ただいま……」
小さく呟くとカバンを玄関に置いたまま、真っ直ぐに仏壇に駆け寄った。
「蘭……蘭は知ってたんだね。蒼井先生じゃなかったって事。」
「お母さんも…蘭に聞いて知ってた…?」
二人の写真を抱きしめて、そう呟きながら泣いた。
「ごめんなさい……蒼井さん。蘭…お母さん…ごめんなさい…」
冷たい床に蹲りながら、私はいつまでも謝罪の言葉を繰り返した……
自分は何ていう事をしたのだろう。
一人のひとの人生を、狂わせてしまった。
だけど大切な人を奪われた悲しみや恨みといったものをどこかに発散させなければ、自分が潰れそうだった。
彼の愛を利用して、追いつめたのは他の誰でもない私。
許してくれとは言わない。ただ、私からの謝罪を受け止めて欲しい。
今、どこで何をしているの?何を考えてるの?
私の声が届く場所にいるのなら、どうかお願い。返事をして……
――
ぴりりりり……
「う~ん……」
携帯の着信音が、心地好い眠りから引きずりだす。
手を伸ばして取った携帯の画面を見た瞬間、一気に目が覚めた。
「も、もしもし!」
「百合か。」
「はい……」
懐かしい声が鼓膜を震わせる。
私の目からは何故だか涙が零れた。
「百合?どうした。」
「蒼井さん!今どこにいるんですか!?」
「どこって……京都だ。」
「京都?」
思いがけない地名に、間抜けな声が出た。
「京都の大学に誘われた。来週から出勤する事になってる。」
「そう…ですか。」
「百合は……元気か。」
「えぇ。」
ギクシャクした会話に耐えきれずに、私は思いきって口を開いた。
「会いに行ってもいいですか?」
「え?」
「京都に。無理ですか?」
「いや、無理ではないが…」
「だったら行きます。今日の夜行バスで行きますから、明日駅まで迎えに来て下さい。」
「あ、あぁ……」
困惑する蒼井さんを無視して、私はそのまま電話を切った。
そして仕事を休むと連絡した後は、夜行バスに予約をしてとりあえずの荷物をカバンに詰めると部屋を飛び出した。
――
「久しぶり……」
「蒼井さん…」
1ヶ月ぶりに会った蒼井さんは、あの頃よりもやつれて見えた。
そんな彼の顔に目を奪われていると、バスから降りた態勢のままの私の手をおもむろに掴んでそのまますたすたと歩いていく。
慌てて蒼井さんに呼びかけた。
「蒼井さん?どこに行くんですか?」
「俺の部屋だ。」
「ちょっ……と!待って下さい!」
「何だ。」
強引に私が止まったので、蒼井さんも機嫌の悪い顔で止まった。
「お話するだけのつもりで来たので、ここでいいです。」
「…?」
私の言葉に、蒼井さんは周りを見回した。
そう、ここはまさしく駅前通り。蒼井さんが戸惑うのも無理はない。
だけどそんな彼を無視して言った。
「ごめんなさい!」
「おいっ!百合?」
突然その場で土下座した私を、蒼井さんは慌てて立ち上がらせようとした。
だけど私はてこでも動かない覚悟で、頭を道路につけた。
「平田さんから全部聞きました。蘭が死んだのは、貴方のせいじゃなかったって。」
「あいつ…。いやでも、蘭ちゃんの事は俺にも責任が!」
「もう止めて下さい!」
「…っ!」
自分の声が響き渡るのにも構わず、続けた。
「貴方は……、優しすぎたんです。優しすぎたんですよ……」
「百合……」
「何で自分一人で責任を負うんですか?何で何も言ってくれなかったんですか?何で……」
「………」
「何で……私のした事も許すんですか?」
「それは…当然の報いだと、思ったからだ。」
「……ずっと私の復讐を、一人で受け止めようとしたんですか?」
「あぁ。」
まるで当然だとでも言うような、何の迷いもない彼の返事が辛かった。
立ち上がろうとした私を立たせてくれる体温が、悲しかった。
「すみませんでした…。謝って許される事じゃないですけど、私は貴方を苦しませた。」
「そんな事……」
「それは動かしようのない、私の罪です。でも貴方が本当に蘭の敵だったとしても、こんな事は絶対に許されなかったんですよね。復讐なんて、絶対にしちゃいけなかった……」
「百合…。悪かった。俺がちゃんと話してたら……」
「ううん。全部私が悪いの。貴方はいつだって悪くなかった。ただ恥ずかしくなるくらい真っ直ぐに、私を愛してくれてただけ。」
深刻な顔をする蒼井さんに、精一杯悪戯っぽい笑顔を見せた。
ほっとした顔をした彼に、私は静かに言った。
「蒼井さん?」
「ん?」
込み上げる涙を堪えて、きっと顔を上げた。
「最後に……ギュッて抱き締めてくれませんか?」
「…さい…ご?」
「はい。私は貴方みたいに、憎んだままでもいいとは言えません。」
潤んでくる涙腺が憎かったけれど、一生懸命笑顔を作った。
「私とは離れて、ここで新しい生活をスタートさせて下さい。……当の私が言うのもおこがましいですが……」
近づいてきそうになった蒼井さんを、両手を伸ばして制止する。
「貴方の人生狂わせておいて、何勝手な事言ってんだって思ってくれても構いません。だけど私にはこうするしか、他に道はないんです。」
蒼井さんはずっと黙ったまま。私は不安になって彼を見た。
「蒼井さん……」
そこにはとても優しい顔で微笑む彼がいた。
「百合……」
「……っ…」
こんな時だと言うのに、心はどうしようもなく震える。私は彼に両腕を伸ばした。
ゆっくりと彼が近づいて、そして温かな温もりが私を包んでくれる。また一つ、胸が音をたてた。
「次の電車が来たら、帰ります。」
「百合……」
「だから、それまで一緒にいてくれませんか?」
伺うように見ると、彼は大きく頷いた。
「わかった。」
「ありがとうございます。蒼井さん……」
深々と頭を下げた私の肩をもう一度引き寄せた彼は、そのままきつく抱きしめてくれた……
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