『死神』~逆位置~
Ⅰ
―――
『妹さんを医療ミスで死なせてしまったのは、蒼井じゃない。』
平田さんの言葉が耳にこびりついて離れない。
私はどうにかしたら崩れ落ちそうになる体を、何とか保っている事しか出来なかった。
「蒼井が貴女と貴女のお母さんに自分のせいだと告げた時、私は偶然廊下を通りかかって聞いてしまったの。私は蒼井を問い詰めた。何でそんな事言ったの?って。あんたは何も悪くないでしょ?って。」
「………」
もう何も言葉が出てこない。黙る私を尻目に、平田さんは続けた。
「蒼井は言った。あの子が亡くなった直接の原因が自分ではなくても、担当医師としてその死に責任があるんだ、と。それに発作の可能性に気付けなかった自分が、許せないって。」
私は平田さんの話を聞きながら、あの日――蘭が死んだ日を思い出した。
――
「大川先生!蒼井先生!大変です!蘭ちゃんがっ……」
看護師さんの狼狽えた声が、私たちのいる病室にも響いてくる。
私は顔面蒼白な母を宥めながら、苦しげに息を吐く蘭の手を握りしめた。
「蘭っ!しっかりして!蘭!!」
「お姉ちゃん……」
蘭は息も絶え絶えになりながらうっすらと目を開けて、私の手を握り返した。
「私に何かあったら、お母さんの事よろしくね。」
「何言ってんの、蘭!何もある訳ないじゃない!蒼井先生が治してくれる。助けてくれるから!」
私の裏返った声を聞いた蘭は、ふっと笑うとそのまま静かに目を閉じた。
その瞬間鳴り響く心電図の甲高い音。
折れるんじゃないかというくらい、蘭の手を握った時だった。
「蘭ちゃん!」
「蒼井先生……」
蒼井先生が転がるようにして病室に入ってきた。
「蘭ちゃんっ…!戻ってこい!」
先生が必死な顔で、蘭の心臓マッサージをしてくれている。
そんなどこか幻想的な風景を、私はただ黙って見つめていた。
「蘭ちゃん!」
どのくらい経っただろうか。蒼井先生の声で我に返った。
蘭を見るとゆっくり呼吸をしている様子が見える。
私はすがるような目で先生を見た。
「先生!蘭は……」
「一旦発作は治まったけど、まだ予断は許せない。今から大川先生の執刀で手術をする事になった。」
「手術……?」
不安気な顔ですがり付いてきた母の肩を、私はそっと抱いた。
「蒼井先生…手術って?」
「大丈夫。大川先生は蘭ちゃんと同じ症状の患者さんたちを、何人も救ってきた。」
蒼井先生はまるで自分の事のように、誇らしげにそう言った。
「それに僕もついてる。蘭ちゃんは助かるよ。」
「先生……」
「大丈夫。」
先生のその一言に、私も母も勇気づけられた。
そしてストレッチャーに乗せられて手術室に運ばれていく蘭を、二人で見送ったのだった……
――
「……じゃあ誰が蘭を、死なせたんですか?」
遠い目をしていた私が急にしゃべったから、驚いたのだろう。
平田さんはちょっと体をびくつかせた。だけど次の瞬間、不適な笑みを浮かべて言った。
「知って、どうするの?また復讐する気?あいつにしたみたいに。」
「…え?」
「蒼井の名誉の為に言っとくけど、あいつから聞いた訳じゃないよ。」
今までどこか飄々としていた平田さんの雰囲気が変わった。
「私は今別の大学にいるんだけど、たまたま青南大学に知り合いがいてね。その人から聞いたんだ。蒼井がピンチだって。」
「………」
「やってしまった事はもう過ぎた事だし、私が今さら何を言ってもどうにもならないのはわかってる。それにあいつも悪いのよ。自分のせいだと言い張るんだから。」
そこまで言うと、平田さんは一歩、二歩と近づいてくる。
突然腕を振り上げたから、殴られると思って反射的に目をつぶった。
「だけど私はあんたを許さない。一生ね。」
肩に重みを感じて、恐る恐る目を開ける。
すぐ近くに平田さんの顔があって、思わず後ずさった。
「蒼井は大学を辞めさせられたよ。住んでた部屋も追い出された。悪ノリした学生が、大家に全部喋ったんだって。慌てて今日会いに行ったら、あいつはもういなかった。ドアの前には落書きやら貼り紙やらが散乱してたわ。」
「………」
「これで満足?」
もう私には何も言えなかった。ただ俯く事しか出来ない。
「あいつはあいつなりに、貴女への償いをしようとした。自分の一生を懸ける程、貴女を愛していた。蘭ちゃんの事は自分にも責任があるのだと、思い続けてた。」
不意に顔を上げると、悲しい顔の平田さんが私を見つめていた。
「……どうして貴女だったのかな。ずっと傍にいたのに。」
「え…?」
「いや、何でもない。それより貴女はこれからどうするの?蒼井に謝りにでも行く?まぁ私もずっと連絡してるんだけど、どこにいるかわからないんだけどね。」
「そう…ですか。」
蒼井さんの居場所。平田さんでもわからないなら、私なんかがわかるはずない。
私はそっと肩を落とした。
「言いたい事はこれだけ。じゃあ。」
「あ、あの!」
おもむろに踵を返そうとする平田さんを、慌てて呼び止めた。
「蘭を……妹を死なせたのは、誰ですか?」
「あぁ、まだ言ってなかったっけ。」
「えぇ……」
「大川先生よ。」
「………」
すたすたと去っていく平田さんを見ながら、私は呆然と立ち尽くす事しかできなかった……
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