Ⅱ
―――
「お待たせしました。」
「ちょっと待て。」
ビールを蒼井さんの前に置いてすぐさま踵を返そうとすると、突然腕を捕まれて私の足は否応なしに止まった。
「離して下さい。」
「話があるんだ。」
「やめて下さい。仕事中なんですよ。」
「じゃあ、待ってる。」
「……今日は無理です。」
「いつならいい?」
「………」
畳み掛けてくる蒼井さんに戸惑ってると、いつから見ていたのか店長が声をかけてきた。
「あ、そうだ!藍沢さん。君まだ休憩入ってないでしょ。今のうち入ってきなよ。あ、お友達も一緒に。」
「えっ……」
「じゃあ、お言葉に甘えようか。行くぞ、百合。」
「……はい。」
腕を強引に引っ張られた私は、そのまま彼の後ろからついていく事しか出来なかった……
――
「どうぞ。」
「あぁ。」
一旦外に出て裏口に回った私達は、従業員用の廊下を進んで休憩室までやってきた。
寒い外を歩いて冷えた体を暖める為にコーヒーを淹れてあげると、彼とは少し離れた椅子に座った。
「…話って、何ですか。」
「蘭ちゃんとお母さんの墓参りがしたい。」
「………」
絶句するとはこの事だと、どこか冷静な頭が分析している。
だけど正直な体は、怒りを真っ直ぐに彼へと向けた。
「よくそんな事、平気な顔して言えましたね!」
「蘭ちゃんのお姉さん……」
「ほら、その呼び方。嫌いなんですよね、貴方にそう呼ばれるの。」
あの時……蘭が旅立った夜に見せたような悲しい顔が見れなくて、私は目を逸らした。
「百合って呼んで下さいって、言ったじゃないですか。私はもう蘭の姉じゃありません。」
「そんな事はない。今でも君は、蘭ちゃんのお姉さんだ。だから……」
顔を上げるといつの間にか近付いてきていた蒼井さんにビックリして椅子ごと後ずさった。
「君が一人で生きてきた8年の間、俺も孤独だった。このままずっと一人でいるもんだと、思っていたんだ。……百合、君に再会するまでは。」
彼が何を言いたいのかわからなくて、私は戸惑う。
蒼井さんはおもむろにしゃがみこむと、私と目を合わせた。
「君に逢った瞬間、俺の中で一つだけ欠けていたパズルのピースを、見つけた気がした。」
その瞳は8年経っても変わらなくて、その澄んだ輝きに思わずあの頃へとタイムスリップしそうになって慌てて首を振った。
そしてふと……本当にふっと思った事を口に出してみた。
「蒼井さんは…そんな話し方をする人でしたか?」
「……っ!」
「貴方はもっと、柔らかくて穏やかに話す方でした。それに、雰囲気もちょっと変わったみたい。」
ずっとしゃがんで私の言葉を聞いていた蒼井さんが、突然立ち上がって背を向けた。
「あの……蒼井さん?」
「この空白の8年間を、取り戻したいんだ。」
「…え?」
答えになってない答えを返すと、彼はゆっくり振り向いた。
そして私を立たせると、おもむろに抱き締めた。
「ちょっ……と!蒼井さん…?」
「愛してたんだ、ずっと。あの頃から今でもずっと…。」
「…あ…」
突然の愛の告白に声も出ない。
私は固まったまま動く事も出来ず、彼の気の済むまで抱き締められていた……
――
あの頃私が感じていた想いは、憧れなのか尊敬なのか、あるいは恋慕なのか。
多分全部だったんだろうと、今ではそう思う。
ただ、『好き』という感情だという事だけは確かだった。
だけど今まで誰かを好きになった事なんてなかったし、蘭だけが先生とたくさん話せる事に『嫉妬』した事も、そんな蘭を『恨んだ』事も、全部見ないフリをしたんだ。
今思えば初恋、だったのかも知れない。
病院に行くのが楽しみで、先生に会う度心は踊った。
自分はこの世で一番幸せなのだと、思っていた。
そう、あの日までは――
――
「どういう事ですか、先生!」
「申し訳ありません!僕のミスです。僕がっ…!」
「そんな……」
「お母さん……」
がっくり膝を折った母を抱き締める。
震える声を精一杯抑えながら、目の前の蒼井先生を見据えた。
「先生の…医療ミスっていう事ですか?」
「………」
「黙ってないで、何とか言って下さい!」
「すみませんでした……」
ただただ頭を下げる先生を一度強く睨み付けると、私は母を立たせて蘭が眠る部屋へと向かった。
――
初めて恋をした人が、自分の大切な人を奪ったのだとしたら、貴方はどうしますか……?
「私なら、貴方を許さない。」
彼の腕のなかで、そう呟いた。
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