『恋人たち』~正位置~
Ⅰ
―――
蒼井さんと初めて逢ったのは、8年前の夏だった。
妹の蘭は小さい頃から体が弱く、入退院を繰り返していた。それは一年間通して学校に通った事など、数える程しかないくらいの容態だった。
だけど中学生になってからは体力がついたからか、少しずつ学校にも通えるようになって友達もできたと喜んでいたものだ。
私たち姉妹は二つしか歳が違わなかったから、まるで友達のような関係だった。
人から言わせたらちょっと頼りなさそうな姉の私と、体が弱い割にしっかりした妹の蘭。
私は蘭が誰よりも大切だったし、蘭も私を慕ってくれていた。
そんな中、私が18歳で蘭が16歳の時、しばらくおきなかった大きな発作がおきてしまって緊急入院する事になった。
しかし幸いにも一命はとりとめ、しばらく経った頃には発作なんてなかったかのごとくすっかり元気になっていた。
「蘭、今日から新しい先生が担当になって下さるんですって。」
「へぇ~、どんな先生かな。優しい人だったらいいな。」
「大川先生は恐いからね。」
「ちょっとお姉ちゃん!声が大きいよ!」
「ごめん、ごめん。」
慌てて廊下を覗く蘭に、私も母も大声で笑った。
「失礼します。」
不意にノックの音と控えめな声が聞こえ、私たち三人はハッと顔を上げた。
そこには白衣をきっちり着こなした、優しい顔立ちの男の人が立っていた。
「君が蘭ちゃん?」
「は、はい!」
優しげな表情の中で唯一鋭い光を放つ瞳に見つめられて、蘭が飛び上がらんばかりに返事をしたのが横目に見えた。
「あの、貴方が新しい先生ですか?」
すっかり固まってしまった私たち姉妹に成り代わって母がそう聞くと、彼は私達を等分に見ながら口を開いた。
「今日から担当になりました、蒼井です。よろしく、蘭ちゃん。お母さんもお姉さんも、よろしくお願いします。まだ研修医なので至らない点があるかも知れませんが。」
「蘭の母です。こちらこそ、よろしくお願いします。」
「…お願いします。」
隣の母に習って、私も立ち上がりながら頭を下げる。
蘭はベッドに座ったまま、軽く会釈をした。
「調子はどう?」
「はい、今は絶好調です。」
「そう。薬が合ってるみたいだね。関節痛はない?」
「あ、ちょっと膝が痛いです。動けないんで……」
「そう。じゃあ定期的に自分でマッサージしてみて。やらないよりはいいと思うよ。」
「はい!」
彼、蒼井先生は蘭の元気いっぱいの返事に微笑んだ。
「…じゃあ、お母さんたちは帰るわね。先生、蘭をよろしくお願いします。」
「はい。」
今度はこちらに向けての笑顔。そして何故か私の胸がドキリと音を立てた。
「ほら百合。行くわよ!じゃあ先生、また明日来ますね。」
「はい。送りましょうか。」
「いえいえ。大丈夫です。じゃあね、蘭。先生の言う事ちゃんと聞くのよ。」
「子どもじゃないんだから…」
騒がしい母と口を尖らせる蘭を交互に見て、苦笑している蒼井先生を見つめる。
知的な雰囲気と優しそうな印象。
初めて見るタイプだから物珍しいんだと、段々と高鳴る心臓に言い聞かせた。
「蘭ちゃんのお姉さん。」「は、はい!」
突然呼ばれて、私は飛び上がった。
「明日は来る?」
「いや、あの、えっと……」
「来るよね。DVD持ってきてって言ったじゃん。」
戸惑う私の心なんかお構い無しにあっさりそう言う蘭をこっそり睨んだ。
「あ、うん。そうだったね。」
「じゃあ、お姉さんもまた明日。」
「はい……」
夕焼け空をバックに佇む彼。
絞り出した声は思ったより小さくて、先生の顔が真っ直ぐに見れなかった……
――
「いらっしゃいませ!あっ…」
「席空いてるか?」
「あ、はい。カウンターですが…」
「構わない。とりあえずビール。」
「はい!少々お待ち下さい。」
私は勢いよく暖簾をくぐると、その場にしゃがみこんだ。
「はぁ~、ビックリした…」
胸に手を当てながらゆっくり深呼吸をする。
それはそうだ。さっきまで思い描いていた人物が急に目の前に現れたのだから……
暖簾の隙間から蒼井さんの様子をちらりと覗いた後、厨房へと入っていった。
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