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オカモトゲン

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ずっと昔、僕がまだ高校生だった頃、30年くらい前の話。


ある病気で2週間ほど入院することになった。

入院から2日目に手術で10日くらい療養して退院の予定だ。

手術は無事に終わり翌日から所謂普通の入院生活がはじまった。

朝、洗面所で歯を磨いていると後ろから声をかけられた。

「おはよう。いつから入院しているの?」

歯ブラシを咥えたまま振り返ると同い年くらいの凄くキレイな女の子が立っていた。


凄くキレイって上手く表現できないのだが敢えて言えばZARDのボーカルの方に似ていたような気がする。

今だと誰に似ているんだろう。

僕はもの凄く動揺しつつ一昨日から入院していることを伝えた。

彼女は「そうなんだ。これからよろしくね。」と微笑んで病室に戻って言った。


あんなキレイな子から話しかけられるなんてどうなってるんだ。

嬉しいというより不思議な気持ちだった。

僕はめっちゃくちゃブサメンって訳ではない(と思いたい)が全くイケメンではない。

何か裏でもあるのか、まさか怪しい宗教とかネズミ講(この時代流行ってた)なんじゃないか…とまで勘繰っていた。



次の日の朝

洗面所で歯を磨こうと歯ブラシを水に濡らしたときにまた後ろから声をかけられた。

「おはよう。」


ビクっとして振り向くと彼女がコロコロと笑っている。

「ビックリしすぎだよ。」


僕はモゴモゴしながら挨拶をし洗面台を彼女に譲った。

僕は歯を磨きながら彼女を見ていた。


彼女は小さな髪留めで髪を後ろ一つにまとめる。

その横顔は完璧なバランスの彫刻や絵画のようで見てはいけないものを見ているような気がしてきてしまい僕は目を逸らした。


彼女は僕に話しかける。

「手術の傷があって歯を磨くのが大変なんだ。」

僕は気の利いた言葉が思いつかず「大変なんだね。」とか当たり障りのない返事をした。


その日の午後

暇で暇でしょうがない。

午前中の回診が終わるとやることが無いのだ。

自動販売機近くのベンチに座ってジュースを飲んでいると彼女が近寄ってきた。

軽く会釈をして視線を外す。


「隣に座ってもいい?」

目を向けると彼女が僕を覗きこんでいる。

言葉が出てこなくて頷くと彼女は僕から少し離れてベンチに座った。


僕はまた目線を外し意味なくつま先を伸ばして引っ掛けたサンダルをプラプラさせている。


「聞いてもいい?」彼女の声だ。


僕はめちゃくちゃドキドキしていたが悟られないようにゆっくり返事をした。

「…いいよ。」


「何の病気なの?」

僕は自分の病気について以前医者に聞いたまま伝えた。


「ふーん、退院はいつ頃?」

「まだ決まってないみたいだけどあと1週間から10日くらいなのかな。」

「じゃあ、しばらくはお話しできるね。」


暇だし同い年くらいの患者もいないし、ってことなんだろう。

もちろん僕には断る理由なんてない。


次の日から僕たちは午後の決まった時間に自動販売機の前のベンチで話すようになった。



同い年であることが分かり打ち解けるのは早かった。

と言っても僕から話すことはほとんど無く、彼女の話を聞いたり質問に答えるばっかりだったけど。


好きな芸能人や好みのタイプ

美味しい食べ物屋さん

行ったことがあるデートスポットなど

当時の高校のクラスの女の子が話しているような内容そのものだ。

あ、当たり前か。同い年だし。

僕は彼女の病気については何も聞かなかった。

多分聞くのが怖かったんだと思う。


ある日の午後、いつものベンチで

彼女は自分の病気について教えてくれた。


がんで手術したこと

かなり長く入院していること

近々もう一度手術が必要になること

転院するかもしれないこと


静かに、でも僕にヘビーな思いをさせないように少しおどけて話してくれた。


僕は目の前にいる同い年の女の子がこんなに厳しい現実に直面していることが信じられないのと、そんな状況にも関わらず僕に気遣ってくれる彼女の優しさと自分が何にも出来ないことに対する無力感でぐじゃぐじゃの感情になった。


誰かを恨みたかったけど誰を恨んでよいのか分からなかった。


しばらくお互い下を向いて黙っていた。

不意に僕の左手に彼女の右手が乗る。

僕はそっと彼女の顔を見る。

今すぐにも泣きだしてしまいそうな顔をした彼女の右手を

僕は少しだけ強く握り返し手を繋いで病棟に戻った。


彼女の病気の話はその日だけで次の日からは何時もの他愛のない話に戻った。

僕の退院の話もしなかった。

退院したら何をしたいとかいう話もしなかった。

僕は彼女よりずっと早く退院しちゃうのは分かってたし、彼女もその話題を避けてたんだと思う。

この午後の自動販売機前のベンチで話す時間がずっと続けばいいなと思ってた。

この場所で僕達が話をできるってことは少なくとも彼女の病状は劇的に悪化してることはないはずだ。

もちろん僕は普通の高校生で彼女の病気を治したり自分の退院日を先延ばしにできるような力はないのでどうにもならないんだけど。


そうそう

1度だけ僕から彼女に質問したんだっけ。

「何で話しかけてくれたの?」って。

彼女の回答は「同い年くらいに見えたし、優しそうだったから」

やっぱりイケメン枠ではなかったよ。



朝の回診で翌日の退院が決まった。

退院日は朝の10時頃には病棟を出なくてはいけないので彼女に会えるのは今日が最後だ。

自分だけ退院してしまうことにすごく後ろめたさを感じている。

彼女に何て言おう。

学校があるから毎日は無理だけど週末はお見舞いにくるよ。面白い話をまた聞かせてよ。

何度も練習してからいつものベンチに向かった。

ずっと待ってたけど彼女は来なかった。


退院日

朝、洗面台で彼女の姿を探したが顔を見ることはなかった。

もう病棟をでる時間だ。

せめて別れの挨拶だけでも、と彼女の病室の近くでしばらく待ってたけど結局会うことはできなかった。


退院1週間後

通院で病院に行ったのでお見舞いしようと病棟に寄った。

彼女がいた病室の入口にあった彼女の名札は無くなっていた。

病棟の窓口で顔見知りの看護師さんに彼女のことを訪ねた。


「この病院にはもういません。」


もちろん詳しくは教えてもらえない。

僕はものすごく大事な何かを失くしてしまったことにようやく気づいた。



多分、僕が彼女に対して抱いていた感情は好きとか付き合いたいとかを通り越してその先の愛おしいとか慈しむとか尊敬とかそういったものが混ざった感情なんだと思う。


もちろん彼女が僕のことをどう思ってたかは分からない。

好きだとか付き合って欲しいって言ったらきっと「やだよ。」って笑われたと思う。

それで良かった。

いやそうするべきだった。


もし、もし、万一だけど

僕の言葉を待っていてくれたとしたら

再会を約束するような話題を避けてたのが彼女の優しさだったとしたら


僕はなんて馬鹿なんだろう。

彼女と今まで通り話ができなくなるのが怖くて「もう一度逢いたい。」って言えなかった僕は卑怯者だ。


情けない僕はボロボロと泣きながら病院を後にした。


「待って」

さっきの顔見知りの看護師さんが僕を追って走ってくる。


「これ、もし君に会うことがあったら渡してって頼まれていたの。」

僕の手に小さな髪留めが置かれた。

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