第9話 真紅の妖魔・ディキマ

 クロトの恐怖が絶頂に達すると絶叫する。


「うわぁあああ!? 離せ! 離せぇええ!!」


 必死に腕を振りほどこうとするが、垂れ下がる蛇のような腕に感覚は無い。

 クロトの恐怖に歪む顔を、栗色の髪を揺らす女は、微笑ましく見守っているようだった。


 美智の言葉はこの世界の言語を借りているが、その意味は全く理解出来ない。


「今、あなたの腕のパースを切ったことで、腕は物質的な形態を保てなくなったわ…………命なんて洗い流せる絵具みたいな物ね」


 地面には肌色の塊が溜まり、スライムが散乱しているように見えた。

 クロトは震えた足に力を入れ、言うことを聞かせるが、足は地面を滑るばかりでその場を離れることが出来ない。


 尾角・美智は話を続ける。

 

「いずれ、この次元を巻き込んだ大きな戦争が起きるわ。この世界の人類が、経験した戦争をもしのぐ犠牲者が出る。その時、命はロウソクに灯した炎よりも呆気なく消されていくのよ」


 彼女が再び手を当てると、まるで映像を巻き戻すように地面に落ちた肌色のスライムが見えない棒を這い上がるように、垂れ下がる蛇のような腕にまとわりつく。


 だらしなく垂れた腕は、真っ直ぐ伸びて、肌色のロウソクが雫を吸収しているようだった。

 気付けば元の腕へと戻る。


 自分の身体が正常に戻っても、クロトは錯乱したまま、もがき仰け反ると、美女は手を離す。

 クロトはその勢いで尻もちを付いた。

 

 得体の痴れない美女は囁く。


「その戦争の勝敗を左右するのは君。君は私のような万能の存在でも、出来ないことをなし得るの…………万物の創造」


 言いようのない生暖かい風が尾角・美智の周囲を取り巻くと、彼女の栗色の髪がなびき、自然とポニーテールを作るリボンが解ける。


 艷やかな髪が光沢が増していくと、彼女の髪は熱せられた鉄のように赤く輝いた。


 本物だ――――――――本物の人外だ。


 

 人外となった尾角・美智は、恐怖で震える少年に背を向け語りかける。


「退化した人間の身体が器だと、覚醒に時間がかかるようね。そう…………あらためて自己紹介。私の名前は"ディキマ"。あなた達、類人猿が"神"と崇める存在よ」


 真紅に輝く長い髪は、まるでそこに空間があるかのように、無数の線が描かれ、いくつもの図を作り蜘蛛の巣を思わせる魔法陣を作っていた。

 その蜘蛛の巣は、角度がつくなどで奥行きを持たせ、広がりを感じさせる。


 神なんてものが人の前に現われると、ろくなこが起こらない。


 クロトが並木道を走って逃げると、10メートル程で身体に異変が置きた。


 身体の自由が利かない。

 まるで重力が前から当たっているように感じる。

 自分の腕に目をやると、いくつもの線が張り付き、後方に伸びている。


 その先には赤い髪の女。

 女は手をこちらにかざし、線はその手の平に繋がっている。


「君は正真正銘、特別よ。万物の根源たる原子、分子は有限でも、宇宙や次元が無限である以上、"セカイ"は再構築を何度でも試みる」


 彼女が手を引くと、クロトは身体を反転、彼女と向かい合わせにさせられる。

 自分の身体をよく見ると、全身から線が伸び、全て女の手の平に繋がれていた。

 女が腕を引くと線で繋がれたクロトは引き寄せられる。


 これはマリオネットのそのものだ。

 

 クロトは抵抗を試みるが、身体は自然と女の方に引き寄せられ、まったく歯が立たない。


 ディキマと名乗った、真紅の髪を持つ女は、声を弾ませ言う。




「君は創造主の生まれ変わり……さぁ、人間という醜い芋虫から、美しい蝶を解き放ってあげるわ」




 蟻地獄のように線に引きずられ、じりじりと後退して行くクロト。

 もがき抵抗する少年を、あざ笑いもて遊ぶ真紅のディキマ。

 

 クロトが大の字になり、空間に貼り付けにされたように動けなくなった。


 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!

 誰か! 誰か助けて!? 


 人気のない道で叫ぼうにも、まるで喉に石でも詰められたように苦しいなり、大声を出すことが出来ない。

 

 僕はどうなるんだ! このまま捕まって、溶けて死ぬのか? 死にたくない、死にたくない!


 少年が抵抗する力を無くし、四肢が投げ出されると、宙に浮いた身体が夜の闇に吸い込まれた。

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