64

 陸とクニツルは特別教室棟へ向かうため、渡り廊下いた。


「――あの変態はいかにも怪しいわね」


 陸はそう言った。


 二人の目の前には、大の字で横になる頭巾をかぶった生徒。

 呼吸が荒く、はぁはぁというこもった呼吸音が響く。


「ぬ。匂うな。さっきから匂いが濃くなってきておる」


 頭巾の生徒に近づくにつれてクニツルはそう言った。


「そこの変態さん! あんたは何者?」

「はぁ、はぁ――はぁ、はぁ――」


 陸が話しかけるも返事が返ってこない。


「小娘。間違いない。匂いはこいつからだ。それに……この匂いはやはりサキュバスのものだ」

「そう。ならこの変態を叩きのめせばオッケーってこと?」


 陸は拳を握り、パキパキと鳴らす。


「いや。こいつはおそらくサキュバスのあるじだ。俺様でいう空坊みたいなもんだな。少し待っておれ、記憶を見る」


 クニツルはそう言って、頭巾の記憶を覗く。


 無反応状態になり、5分もかからずクニツルはピクリと動いた。

 頭巾の生徒はいまだに大の字のまま。


「ふむ」

「どうだったの?」


「垂れ目が危ないな。空坊も一緒のはずだ」

「茶髪が危ない??」


「空坊はもう駄目かもしれん……」

「どういうこと? ちゃんと説明してよ!」


 そのとき二人の背後、教室棟の方から声が上がった。


「陸ちゃん!?」


 声を上げたのは湊。

 その横には渕田の姿。


「あ! 亜樹ちゃん!」

「クニツルも!? あ!!」


 湊はクニツルと言葉に発した後、手で口を押えた。

 隣に渕田がいるからだ。


 しかし、クニツルはそんなことを気にせず声を出す。


「この頭巾頭はお前たちに任せるぞ。俺様は空坊を探す」


 そう言って特別教室棟の方に走っていく。


「ちょっと! 任せるってどうすればいいのさ!?」

「逃げないように見張っておれ!」


****


 空は小清水を探して特別教室棟を走っていた。


 しかし、空自身の意識は夢の中にあった。


 赤土の荒野。赤い上空。転がる岩。

 空はこの荒野の夢からずっと覚めることができないでいる。

 札幌まつり一日目の夜に眠ったときからずっと。

 

 空は憔悴していた。

 絶え間なく追い続けてくる醜い豚のような女性。思うように動いてくれない手足。

 追いつかれるたびに何度も何度もおぞましい唾液を顔にかけられる。

 そして、大きく開かれた腐臭のする口が空の口元へ近づけられる。

 なんとか振り払い、また逃げる。


 空の顔はやつれ、目から精気が無くなっていた。


「もういいや……疲れたな……」


 空は足を止めた。


 聞いたこともない地鳴りのような声が近づいてくる。


 空は目を閉じた。

 

「諦めタカ――モウ少し遊んデいようヨ――ワタシとサ」


 瞼を閉じたことによって暗くなった空の視界。

 ――俺はどうなるんだろうか? このまま死ぬんだろうか? それとも目が覚めてあの部屋に戻れるんだろうか? そもそもこれは夢なのだろうか? 

 もう二日くらい経っているよな? 陸はちゃんとご飯食べているだろうか? 

 あ。起きれたら皆に謝らないとな。まず平野さんと椿沢さん。それと六班メンバー、春君と辞典君、湊さん……あと……。あと一人は誰だっけ。

 いや。いないな。六班は自分を入れて四人メンバーだ。


 真っ暗な瞼の裏。

 そこに花が見えた。勉強机の上に置いてあった花。空が名前も種類も知らない花。小さな薄花色うすはないろの花。


「――花?」

 

 そのとき、空の後頭部に鈍痛が走った。

 その痛みで空は目を開く。迫ってくる地面。チカチカとノイズが走ったような視界。

 空は殴られた衝撃により前方に倒れそうになっているのだ。


 咄嗟に手をつくが、背後から頭を掴まれ、宙吊りに持ち上げられた。


 醜い豚の女性は手首を回し、向き合う形になる。


「空坊! 諦めるでない!」


 空の右側、遠くの方から声がした。


「――この、声は――くにつる!?」


 空の目にほんの少しの精気が戻る。

 空は頭を掴まれている手に爪を立てて必死に振りほどいた。

 そして、声の方を見る。


「――くに、つる!? なのか? その姿は……ル……ル……」

 

 空は驚きで言葉がうまく出なかった。


「ふふふ。空坊安心せい! 俺様が助けにきてやったぞ!」


 声はクニツル。しかし、こんにゃくの姿ではない。


「クニツル……その姿はなんだ!? まるで……」


 クニツルは人の姿で、ピンクと白を基調とした服を着ていた。

 靴は白いメリージェーン。ピンク色の二―ハイソックス。絶対領域を作るスカートは白く、淡いピンクのレースがついている。

 胸元には大きなピンクのリボン。手首にはシュシュ。手にはステッキ。先端はハート型になっている。

 髪はピンクでウェーブのかかったボブスタイル。右の耳上あたりだけ結ってある。

 顔は童顔で身長も低い。小学生のような女の子・・・


「ルティじゃないか……」


 見た目はまさに『魔法少女ルティ』そのまんまであった。

 しかし顔と身長は、空の知っているルティではない。


 アニメの魔法少女ルティは高校生である。こんな小学生のようなサイズではない。


 その姿を見た醜い豚の女性は腰を抜かした。


「オ前は――オ前は――ナゼこんナとこロニ……」


 空を追いかけていたときの威圧的な態度とはうってかわって、怖気づいたように後ずさりをしている。


「やはりサキュバスであったか。しかし、なんだその姿は? そんな姿では男の気は引けんだろう?」

「う、うるサイ! コノ男の中の女ハコノ姿だっタのダ!」


 ルティの格好をしたクニツルは顎に手を当てている。


「……ふむ。確かに空坊の中の女はそうなのかもしれんな。……過去の忌まわしき女性像か」

「クック。姿ナどどうデモいい。ワタシの目的ハもウ済んダのだかラナ」


「目的? 空坊はもう子種を吸われたのか?」


 醜い豚の女性、サキュバスは立ち上がった。


「笑止。子種ナどどうデモいいノダ。インキュバスたちに売っタとコろで大シタ価値にもナらんしナ。……ワタシは、コノ男かラ女ヲ想う心ヲ消しタダけダ」

「なに!? ……なぜそんなことをした?」


「主様に協力しタダけサ。ワタシも主様の趣味にハ共感しましタ」


 クニツルは椿沢の記憶に深く入り込んでいなかった。見たのは小清水を追いかけているときの記憶だけである。


「趣味だと?」

「ええ。男ト男ノ愛し合ウ姿を綴っタ小説。主様ハ言っておらレましタ。素晴らしイ作品ヲ作るタめにハ、やハり本人タちが実際にソれヲ行ってイるのヲ取材すル必要がアると」


「…………」

「ダからワタシはコノ男から女ヲ想ウ気持ちヲ消シ、男ヲ好くよウに暗示をかけタ」


「…………」

「ナかナか大変でシたヨ。主様ノ体を借りてコノ男に近づキ、体液ヲ混ぜた飯ヲ食わせタり。弁当に体液ヲ入れテ渡しタりとネ。ワタシの体液は夢ヲ見させる毒ダ。ワタシはソノ夢に入るこムことができル。マあ、オ前なラ毒のことハ言うまでモないカ。クック……」


「…………」

「後ハ放ってオけば勝手に男同士で始めるダろウ。クック」


 クニツルは震えていた。

 下を向き、歯がギリッと音を立てるほど力まれた顎。眉間は皺が寄り、もはや小学生の女の子からは程遠い顔。


「サキュバスよ……俺様のもっとも嫌いな二つのことを教えてやろう」

「なにヲいまさラ」


「一つは週に一度あるの『魔法少女ルティ カードゲームバトル』のメンテナンス時間だ。木曜日の10時から15時までかかる。俺様は学校にいる時間だ。声も出せずただじっと待つだけ。その時間は己との闘い」

「なんノ話ダ」


「もう一つは――」


 ルティの格好をしているクニツルの右手に握られていたステッキが、握力により折れて弾けた。

 そして、目にも止まらぬ速さでサキュバスに向かって真っすぐに跳躍した。右手は力一杯に握られた拳を作っている。


「――他人の恋路を邪魔することだ!!」


 クニツルは叫ぶと同時にサキュバスの顔面に拳を叩きこんだ。サキュバスの体は頭から地面にめり込む。


 それはすさまじい音だった。

 砂埃が舞い、めり込んだ地面は小さなクレーターを形成している。


 サキュバスは声を発する暇もなく絶命していた。


 空はこの光景を見ていて思った。

 魔法で戦わないのか。と。


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