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「君は得意なこととか好きなことはあるかな?」
川谷はガムシロップを注ぎながら答える。
「料理が好きです」
「そうか。なら料理にたとえよう。んーと、みそ汁にしよう。大根と豆腐のみそ汁だ。みそ汁は出汁や具によって大きく味が変わる。どんな高級な食材を使っても出汁がないと美味しくならないよねぇ?」
「はい」
「候補メンバーを食材にしたなら。一丁数万円の豆腐。百グラム数万円の味噌。超高級天然水。一本数万円の大根。これだ。でもね、肝心な出汁がいないんだ。さらにこの具たちは出汁が出ない。
味噌を溶かした具の浮いている大根臭いお湯だ。そこで君という出汁の登場だ。天然水にいきわたるいい香り。味噌と出汁の素晴らしい融合。これで大根は本気を出せる。ただの根菜臭が不思議と鼻を抜ける風味となるのだ。それらが染み渡った豆腐なんて最高だろう。これで初めてみそ汁というユニットになるんだ」
「確かに……でも私にそんなことできるとは思えないです」
「君はいつも通りにしていればいいだけなんだ。特別なことをしようとするのではなくね」
川谷は首をかしげる。
「まあこれはあくまでおじさんの願望。君の意見はまだ聞いていないしねぇ。やりたい方向は決まっているのかな?」
川谷は口をつぐむ。しかし唇はかすかに動き、言うのをためらっている様子。
「恥ずかしがらなくていいよ。おじさんは真面目に訊いているんだ。笑ったりしないさ」
「…………あ、あいどる。アイドルになりたいです!」
古嶋は驚いた。表情には出さなかったが、意外な答えだったからだ。
「そうか。そうかそうか。まいったねぇ。おじさんは嬉しいよ」
川谷はカフェオレをストローで吸いながら顔を赤くした。
古嶋は腕を組み考えるように静かになった。そして、横にある鞄に目をやる。
「花菜ちゃん」
「は、はい!」
古嶋は鞄から書類を取り出した。B5サイズのプリント一枚。
「これを渡しておく」
プリントを渡された川谷は眉を下げた。
「オーディション……ですか」
「そうだ。そこに書いてあるように、君にはオーディションを受けてもらう。っていっても少し違うんだけどね」
「はい?」
「簡単に言うと個人面接だよ。一応歌やダンス、得意なこと。これらは見ておきたいからね。そのプリントは前のオーディションの使いまわし。見てほしいのは歌とダンスの内容のところさ。まあ宿題だな」
「ここにある課題曲の歌唱とダンスをやるということですか?」
「そうだ。再来週に面接するからよろしく」
「に、二週間……」
「なーに、完璧じゃなくていい。どのくらいできるか見たいだけだ」
「はい……」
川谷はプリントを見つめながら真剣な表情に変わる。
「頑張ります!」
「よし。それじゃ解散にしますかね。祭りにいくんだろう?」
「はい」
「うん。それじゃ詳しい時間とかはおって連絡するからね。以上」
川谷は深々と頭を下げ、カフェを後にした。
****
その大きさは地下鉄の一駅区間程。
公園の中には、天文台や体育館、テニスコート、コンサートホールにホテル。中心部には自由広場という大きな広場など。
普段は静かで通学路として使われていたり、近所の憩いの場となっていたり、観光客がいたりと平和である。
しかしこの日は違う。時刻は夜の7時。
公園を縦に割るようにある道に隙間なく並んだ出店。
道は歩く場所もないほど人で埋まり、数メートル進むだけで何分もかかる。
人の流れは、まるでベルトコンベアーで運ばれているかのよう。
買った食べ物を楽しむためには、道を外れて芝生部分に入る必要がある。
群から抜けて芝生に入ると、家族でしゃがんで焼きそばを食べていたり、街灯の当たらないところでカップルが潜んでいたり、若者が騒いでいたり。
そんな中島公園の芝生に座る海山空と椿沢涼子。
空はハットリバー王国のTシャツにウエスタンシャツを羽織っている。
椿沢は紺の浴衣。牡丹柄。黄色の帯。
「もう食べられませんね。お腹がいっぱいです」
「俺もです。たこ焼きにリンゴ飴、チョコバナナにお好み焼き。結構食べましたね」
空は緊張していた。
女の子との初デート。しかも相手は崇拝する天使。
「さっきから浮かない顔ですね。わたしと一緒だと楽しくないですか?」
「そんなことないです。楽しいですよ! ただ、こういうの初めてで緊張しちゃって……」
「それならよかったです。――あれは!!」
椿沢は急に空の後頭部をわしづかみにし、地面に叩きつけた。
「――あだぁ!? な、なにするんですか!?」
空は芝生に顔を押し付けられたまま訊いた。
「しっ! 静かに」
「ええ!?」
空は首を少し回した。
すると視界に若者集団が入った。
人数は五人。男二人に女三人。そして、その四人は知っている顔。知らない顔は女。
しかし空はその女がなに者かはすぐに分かった。
「六班メンバー……。もう一人は辞典君の彼女か」
小清水を筆頭に芝生を進む。そして空たちの前を通り過ぎていく。
皆は二人に気づいていない。
「行ったようですね」
「頭から手を――離してください」
椿沢はハッとし、謝りながら力を抜いた。
空は罪悪感があった。六班メンバーの誘いを断ってしまったこと。
顔に付いた草を取り、空は訊く。
「……椿沢さん。皆のところに行きませんか?」
「……やっぱり。わたしと二人きりだと楽しくないのですね……」
椿沢は下を向いてしまう。
「う、嘘です! あ! そういえばお化け屋敷ありますよね! 自由広場のところに! 一緒に行きましょう!」
「お、お化け屋敷ですか。ちょっと怖いですね」
「大丈夫です! 俺がついてますから!」
空は椿沢の手を取り、立ち上がった。
「――え!? 空さん!?」
「いいから行きますよ!!」
空は椿沢の手を握って思った。
冷え性なのかな。と。
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