59

 自由広場に着いた空と椿沢。

 ここはお化け屋敷だけではなく、サーカスやマジックショー、ピッチングゲームにフリーキックゲームなど体を動かせる出店も多い。


 二人はお化け屋敷の前にいる。

 入場を待つ列に並び、中から聞こえてくる悲鳴で椿沢が静かになる。

 

 ごくりと唾を飲み、椿沢は小さな声で尋ねる。


「……本当に入るのですか?」

「大丈夫です! 俺がしっかり手を握っていますから!」


 空は走り出すときからずっと手を握ったまま。

 椿沢は振り払うことなどせずに、手を空に任せている。


「次のお客さんどうぞー! 中は暗いんで足元に気をつけて進んでくださいねー!」


 入口の従業員から声がかかり、二人は中に入った。

 

 小石のひかれた細い道。横には竹や笹が植えられている。

 道の先にはぼんやりと照らされた寺の入口。


 入口の横に着物の女性が立っている。

 白塗りの顔。笑顔で手招きをしている。


 その入口の奥から「ぎぃやぁぁぁぁぁ」という悲鳴が聞こえた。


 椿沢が空の手を強く握る。


「……こわい、ですね」

「なに言ってるんですか。こんなの作り物ですよ! 楽しみましょう!」


 空は手を引き、寺の入口に向かう。


 着物の女性の横を通るそのとき。


「ひひひひひひひひひひひ」


 その女性は不気味に笑っていた。

 口角だけを上げて不気味に。

 目は瞬きなどせず焦点も合っていない。


 不気味な歓迎を受け扉を開けて寺の中へ入る。


「――ひぃ」


 椿沢が小さく悲鳴を上げた。


 その部屋には、数えられないほどに並べられた日本人形が待っていた。

 容姿、大きさ、着物は様々。

 道を作るように並べられた人形。道の先には次の部屋に進む扉。

  

 そして無数に聞こえる幼い子どもの笑い声。


「さ、さすがに不気味ですね」


 空は苦笑いしながらそう言った。


 空はお化け屋敷をなめていた。

 お化けに対して恐怖を感じないが、不気味さにはそこまで耐性はない。

 今のところ不気味さで恐怖をあおってくるギミックが多い。


 道の中腹まで進むと、人形が一斉にガタガタと振動を始める。


 二人の足はすくむ。


 そのとき、お化け屋敷のどこかからまた悲鳴が聞こえた。「わ、わ、わたくしはこんなの怖くなんかありませんからねぇぇぇぇぇ!」という悲鳴だ。


「空さん……」


 椿沢は空の腕にしがみつく。


 空は椿沢のこの行動で恐怖が飛んだ。

 腕から伝わる体温。震えている体。髪の毛から漂うシャンプーの香り。


「行きましょう」


 二人は次の部屋の扉を開けた。

 向こうは真っ暗でなにも見えない。


「空さん……なにも見えませんね」

「きっと入るとなかの明かりが点いて驚かせるような仕組みですよ」


 恐る恐る足を踏み入れ、扉を閉めた。


 その瞬間、空と椿沢の顔になにかがぺチンとぶつかった。


「うお!?」

「きゃぁ!」


 椿沢の悲鳴とともに、部屋が一気に明るくなる。

 そして陽気な猫のような笑い声。

 大きな招き猫が祭られている祭壇がある部屋。


 空は視界がぼやけていた。眼鏡が外れたのだ。

 モザイクの視界の中、空の目の前を何度も行き来する謎の物体。

 空はそれを掴む。


「この感触は……クニツル!?」

「なにをわけのわからないことを言っているのですか。こんにゃくですよ。あービックリしました。でも、あの招き猫は可愛いですね」


 椿沢は手を離し、招き猫の元へ進む。

 空は扉のところで焦る。


「それより、今ので俺の眼鏡が落ちちゃいました。探すの手伝ってください」

「大変! 待っててくださいね」


 椿沢は空のところへ駆け寄ろうとした瞬間。部屋の明かりが消えた。


「きゃ!」

「椿沢さん! 危ないからそこで待っていてください!」


 空は手探りで後ろの部屋の扉に手をかけて開けた。人形の部屋の明かりを入れるためだ。

 

 しかし、明かりは入ってこない。


「あれ?」


 そして様々な方向からどよめいた声が聞こえてくる。

 空は暗闇の中を這いつくばって探すことにした。


「空さん。なにか様子がおかしいですね? 声をよく聞いてみてください」


 空は探しながら耳を澄ませた。

 すると、遠くの方から従業員らしき人の声が耳に入った。


「発電機が故障しました。中にいる人は危険なので、その場で待機していてください。スタッフが迎えに行きます」


「発電機の故障!?」

「そのようですね。しかたありません。ここで待っていましょう」

 

 空は這いつくばりながら眼鏡探しを続ける。

 すると手にとても柔らかい感触が伝わってきた。

 今までに感じたことのないとてもとても柔らかな感触。


「なんだ? クッション?」


 空はそれを何度も何度も揉むように確かめる。


「――んっ――だめですわっ」


「――!? 椿沢さん。今なにか言いました?」

「いえ。外からの声ではないですか?」


 空は疑問に思いながらも、手に伝わる心地よい感触がやめられず揉み続ける。


「んぁ――んっ――ん」


「椿沢さん? やっぱり変な声出してますよね?」

「出していませんよ? 怖いこと言わないでください。そうやって怖がらせるのはダメです。――あ、そうだ。携帯の明かりを使いましょう!」


 椿沢は携帯電話を取り出し、ライトを点けた。

 入口側を照らすが空の姿はない。そして、入口の横を照らすと空の靴が見えた。

 

「空さん?」


 椿沢は近づき全身を照らした。


「そ、空さん……一体なにしているのかしら」


 声には怒りがこもっている。いつもより低い声。


 空はライトにより照らされている。柔らかいなにかも照らされている。しかし、裸眼のため空にはなにか分からない。


「椿沢さん! こっちきてこれ触ってみてください! すごい柔らかくて気持ちいいんです!」

「ん――んっ――」


「空さん! あなたって人は……とんだクズやろうですね……」

「え!?」


 ライトに照らされていたのは。

 イケメンの男が女の巨乳を揉みしだいている姿。


 椿沢は空の眼鏡を見つけ、空に投げつける。


「自分の目でしっかりと見てみるといいです。そしてわたしはもう帰ります! さようなら!」

「え!? 椿沢さん?」


「もう知りません!」


 椿沢は人形を蹴散らしながら逆走して出ていった。


 招き猫の部屋にまた暗闇が訪れる。

 人形の部屋とは逆の扉。順路の扉側から音がした。誰かが入ってきたのだ。


 空は急いで投げつけられた眼鏡を装着する。


 入ってきた人も携帯をライトにし、部屋の中を照らす。


「ここにもいないのかなぁ。清香ちゃーん! 清香ちゃーん!」

「ほんとあのクソ令嬢風情はつかえないわね! ビビッて逆走なんてしちゃって。見つけたらたこ焼きと焼きそばおごりの刑なんだから」


 そのとき部屋に明かりが点いた。発電機が直ったのだ。


 入ってきた二人と空は一斉に声を上げた。


「陸!」

「空ニィ!?」

「清香ちゃん!!」


 入ってきた二人は陸と小松だった。


 空は手元に目をやる。そこには気絶した平野の姿。

 手は彼女の大きな乳房をわしづかみにしていた。

 

「はへ!? え。平野さん!?」

「――んっ」


 陸と小松の目にはこう映った。

 停電してるのをいいことに、気絶した平野を襲っている最低な男。


 空は弁解をする前に視界が大きくぶれた。

 そして、遅れてやってくる左頬の痛み。浮遊感。


 空は空中で気づいた。

 ああ。陸に殴られたのか。と。


 冷凍マグロのように着地した空は意識が遠くなった。


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