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 時は黄色マスクが物置に忍び込んだ頃。


 果たし状のメールを確認しながら生徒玄関を出る茶木ちゃき英里子えりこ

 前髪を作っていない真ん中分けの長い茶髪。モデルのように長い脚。

 そして、日ごろ喧嘩をしているようには見えない綺麗な手。


 果たし状の最後に書いてある文。

 それは『平野がパシリじゃなくなり残念ですね。もしあなたが私に勝ったのなら、私はパシリになります。ただ、私が勝った場合はあなたが私のパシリです』と。


 風で髪がさらりとなびく。


 目の前には真っすぐ校門まで延びる通路。

 

 この校門から生徒玄関までの通路。この高校では、通称『ポプラ通り』といわれている。

 通路の両サイドは芝生になっていて、ポプラの木が植えられている。小さな並木道である。

 生徒には人気のスポットでもあり、昼休みにここで食事をとる生徒も多い。


 茶木は目を凝らしてポプラ通りを観察する。

 果たし状に書いてあった指定場所はこのポプラ通り。


「――いたじゃん。絶対あれじゃん」


 茶木は見つけた。明らかに場違いな人物を。

 その人物は木の側で体育座りをしている。そして、異様な白色の覆面マスク。

 制服はスカートなので、それが女子だということは分かる。


 茶木は白色マスクに近づき声をかける。


「お前がうちに果たし状くれたやつ? そのマスクかっこいいじゃん?」


 白マスクはビクリと肩を動かした。


「あ、あなたが茶木先輩ね。わ、わ、わ、私と、しょ、勝負よ!」


 声は震えている。さらに手をバタつかせ落ち着きもない。


 茶木は残念な気持ちでいっぱいになった。

 久しぶりに挑んできた一年が明らかに弱そうだからだ。

 巷の不良たちに有名な茶木。女同士でのタイマンは無敗を誇る。


 茶木は無言で踵をかえした。


「へぇ。後輩から、に、に、に、逃げるんだ。――逃げるんですね」


 この『逃げる』という単語に茶木は反応する。

 白マスクに背を向けたまま苛立ちを言葉にする。

 

「ああそう。お前がその気なら別にいいよ。やってやんじゃん」


 茶木は振り返る力を利用しながら、回し蹴りを放った。

 しかし、それは大きく空を切る。


「――な!?」


 体育座りをしていたはずの白マスクの姿がそこにはなかった。


 茶木は左右の胸元に圧を感じた。目をやると、そこにあるのは手。

 そして二三度揉まれる。

 

「――ひ!?」

「茶木先輩。胸ないですね」

 

 揉んでいたのは、いつの間にか背後に回り込んでいた白色マスク。


 茶木は顔を赤くしながら手を引きはがす。そして距離をとった。


「お前いつの間に後ろに回った!?」

「普通に歩いてですけど」


「はぁ? 普通にって――ふざけてるじゃん」

「ふざけてなんていませんよ」


 白マスクはふざけてなんていなかった。本当に歩いて後ろに回ったのだ。


 茶木は舌打ちをし、白マスクに前蹴りを繰り出す。

 

「おっと! 先輩! 暴力はダメですよ!」


 白マスクは後ろに飛びながら言った。


「なんで? 果たし状出してきたのそっちじゃん?」

「そうです。でも、暴力はいけません。ここは学校ですよ? 誰が見ているかわかりませんよ? 停学になってもいいんですか?」


「じゃー場所変えるじゃん?」

「ダメです! そうしたら私がボコボコにされちゃいます。だから健全な勝負をしましょう!」


「なんだそれ」

「簡単にいうと、これを使った鬼ごっこです」


 白マスクはポケットから紙のようなものを取り出して口につけた。

 そして頬を膨らませながら紙を膨らました。

 出来上がったものはカラフルな紙風船。サイズは両手に収まる大きさ。


「……紙風船?」

「そうです。私はこれを頭と背中にひとつずつ付けて逃げます。茶木先輩は私を追いかけて風船を割ってください。

 30分以内に二つとも割ることができれば先輩の勝ちです。30分逃げ切った場合は私の勝ち。行動範囲はこのポプラ通り内。私がこの範囲から出た場合は私の反則負けです」


「つまんないじゃん。うちは帰る」


 茶木は踵をかえした。


 白マスクは気にせず続ける。


「じつは見物客が一人いるんです。三階の窓を見てください」


 茶木は歩きながら校舎の三階を見た。


「――な!? はじめっち!?」


 茶木は足を止める。

 三階にいたのは剛力ごうりき萌。購買四天王のトップに君臨する男。この高校最強の男。

 茶木の最終目標でもある男。


 白マスクは言葉で追い打ちをかける。


「いいんですか? ライバルにそんな姿を見せても。私は運動音痴でトロっちいです。そんな一年からの勝負を逃げたとなれば――」

「いいじゃん! やってやるじゃん。うちはその風船割ればいいんだろ」


「そうです。それじゃーあの時計で30分計りましょう。いま5時13分ですね。キリのいい15分スタートにしましょう」


 白マスクは校舎の上部についている大きな時計を指さした。

 

「上等じゃん!」


 オレンジの陽がポプラの木を照らす。

 ポプラ通りに伸びた影を作る二人の生徒。

 一人は長い茶髪をなびかせる。

 もう一人は白い覆面マスクをかぶっている。


 校舎時計の長針がコトンと15分を指したそのとき。


 二つの影は一斉に動き出した。


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