28
放課後。空と川谷は図書委員の当番がある。
川谷は先生に呼び出しをくらったため、空は一人で図書室へ向かう。
廊下の角を曲がり、教室二つ分歩けば図書室がある。
角を曲がった空の前から一人の女子生徒が歩いてくる。
彼女は黒髪で長さは肩上のボブスタイル。背筋が伸びた気品の漂う姿勢。目は少し細く、左目の下にホクロがある。
制服のリボンの色は紺。
二人の距離は段々と近づき、空と彼女はすれ違った。
彼女の周りの空気が時間差で空の前を流れた。
そのとき空は立ち止った。彼女はただ真っすぐと歩を進める。
空は心臓が強く打つのを感じた。目が大きく開く。全身の毛穴から痛みを感じる。そしてじんわりとにじむ汗。
空は振り返り声を上げた。
「――待って!」
すでに彼女の姿はなかった。
空はすかさずきた道を戻り廊下の角を曲がった。
しかし、曲がった先にも彼女の姿は見当たらない。
空の心臓の高鳴りは止まない。空は胸のあたりをブレザーの上から手で抑えた。
空が感じたもの。それは彼女から漂っていた匂い。忘れもしないあの匂い。
ピッピーマートでぶつかったときの彼女から感じたシャンプーの香りと同じ匂い。
****
図書委員の仕事も終わり帰宅途中。
空は川谷とピッピ―マートにいた。
二階にあるドラッグストア内、空はシャンプーが置いてある棚の前で難しい顔をしていた。
香りを確認できるテスターを片っ端から嗅いでいる。
川谷は初めて見る空の行動で半眼になる。
「海山君ってシャンプーこだわる派なの? そんな針金みたいな頭なのに」
「う、うん。まあね」
空は様々な匂いが鼻に残り、少し気分が悪くなる。
「今使ってるのはどのシャンプー?」
「確かこれだったかな」
空が指さしたシャンプーは、コマーシャルでもよく流れている一般的なシャンプー。
「ふーん」
川谷は飽きてきている。適当に返事をした。
空は同じ質問をする。
「川谷さんは?」
「私は最近変えたんだよねー。今使ってるのはこれ。安いし」
川谷が指さしたのは、空が使っているものと同じような一般向けのシャンプー。こちらもよくコマーシャルで流れている。
「そうなんだ。じゃあ同じの使ってみようかな」
「お、同じにするの!?」
「え? ダメだった?」
「い、いいえ。う、海山君がいいならいいとお、いいお。――お、思うよ」
川谷は下を向き言葉を噛みまくった。
空は川谷に嘘をついて付き合ってもらっている。シャンプーが無くなったから選ぶのを付き合って。と。
しかし、本当の目的は図書室前ですれ違ったときのあの匂い。ピッピ―マートでぶつかったときのあの匂いを探すため。
結局ここには同じ香りのシャンプーはなかった。
空は川谷と同じシャンプーを買い帰宅した。
川谷は上機嫌で夕飯の準備をする。鼻歌も聞こえる。
いつもなら陸が川谷の隣でよだれを垂らしているのだが、今日はなぜか上から降りてこない。
空はリビングのソファでクニツル片手に難しい顔をしている。
頭の中は図書室前ですれ違った彼女のこと。顔は少しだけだが見た。制服のリボンの色から二年生と分かる。
空の高校は学年でリボンとタイの色が違う。赤は一年。紺は二年。緑は三年。
クニツルを使いシャンプーをインターネットで検索する。しかし、空はすぐに諦めた。種類が多すぎるのだ。それにインターネットでは香りも分からない。
「海山君。夕飯できたから陸ちゃん呼んできてくれる?」
「――分かった」
空は立ち上がり二階へ向かう。そして、陸の部屋の扉をノックする。
「陸。夕飯できたぞ」
返事はない。空はもう一度ノックをした。
「――今いくから先に食べてて」
ドア越しに返事が返ってきた。
空は下に降り、食卓テーブルにかける。
「陸ちゃんは?」
「なんか、先に食べててってさ」
「珍しいね。いつもここに座って待ってるのに」
「……そうだな」
空は一つの不安が脳内を巡った。しかし、顔には出さずそのまま夕食をとった。
そして二人が食べ終わる頃。
陸が降りてきた。苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「陸ちゃん?」
陸は腰かけて下を向きながら口を開く。
「四日前くらいに学校で告白された」
空と川谷は顎が外れた。そしてお互いにはめ治す。
川谷は顎が戻るとニタァと笑った。
「誰なの? カッコいい人? 同じクラスの人? 誰? ねえねえ」
川谷は椅子の上で正座をし、はしゃいでいる。
空は先ほど過った不安は勘違いかと胸を撫で下ろす。
しかし空は疑問もあった。なぜいまさら四日前の話をしてきたのだろうと。四日前はいつも通りの陸で、告白されたような気配はなかった。
「先輩。全然知らない先輩。緑のネクタイだったから三年生だと思う」
「で、カッコよかった?」
「全然。ネックレスとかピアスとか指輪とかジャラジャラつけてて。おまけに香水臭くて吐きそうだった。髪もちょーオレンジで変だった」
「なんだぁ。じゃあ断ったんだね?」
「うん……」
少しの沈黙の後、陸は笑顔を作り顔を上げる。
「お腹空いたしご飯食べる!」
****
五日が過ぎた朝。
空は朝食の準備をするためキッチンにいた。クニツルはテーブルでニュースを見ている。
シンクの中には水に浸けてある食器。
これは陸が夜中にご飯を食べた証拠。
陸はあの日を境に殆ど下に降りてこなくなっていた。会ったときの会話などは普通に空や川谷ともしていたが、様子がおかしい。
陸も着替えを済ませ降りてきた。
「陸。今日も友達と学校に行くのか?」
「う、うん。だから先に出るね」
陸は入学してからの数日以外友達と学校に登校している。
ただ、空はその友達を見たことがない。同じ学年の誰かも知らない。空の予想ではD組の誰かだろうということ。
「あのさ。俺も一緒に行っていいか?」
陸は一瞬固まったがすぐに首を横に振る。
「ダメダメー。友達は女の子なんだからね!」
「なんで女だとダメなんだ?」
「なんでも! あ、今日は待ち合わせ早いんだった。もう行くね」
「お、おい! 朝飯は?」
「コンビニで買ってくー」
陸はバタバタと家を出ていった。
空は確信した。陸はなにかを隠していると。
「クニツル。どうだ?」
「ああ。空坊の言われた通りにしたが……少し話し辛いな」
空は事前にクニツルに頼んでいた。陸の記憶を見てくれと。
「大丈夫だ。話してくれ」
「時間が少なすぎて少ししか見れんかったが。どうやら――」
クニツルは覗いた陸の記憶を話し始めた。
今日5月25日朝。空はクニツルから陸の記憶を聞く。
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