29

 五月も終わりに差し掛かる頃のことである。日付にして28日。


 体育館へ繋がる一本の廊下。その途中にトイレがある。放課後までは殆ど使われることのないトイレ。

 そこに一人の女子がいた。この日は体育着を洗面台で洗っている。先日は髪の先を洗っていた女子。

 体育着は赤色で白いストライプが肩から袖に一本入っている。洗面台の中のジャージは所々黒く染まっている。

 流れていく水は黒く濁り、洗剤を使わなければシミとなってしまうだろう。


 彼女は必死に洗う。備え付けの手洗い用液体石鹸を使い必死に。

 

 トイレの外から声がする。

 声色からして女性である。声の数は三人。


「なんかこのトイレから墨の匂いしねーか?」

「するじゃん? なんでなんで? 習字でもやってるのかな」

「あははは。トイレで習字する奴なんている? あははは」


 嘲笑うかのような声は止まらない。

 しかし彼女は唇を噛みながらジャージを洗い続ける。


「まじ調子乗り過ぎなんだって。ちょっと可愛いからって。なんだよあの金髪」

「一年のくせに。ほんと生意気じゃん」

「ちょ、いいすぎ。あはははは」


 声は遠ざかっていく。


 彼女は視界がゆがんだ。

 洗う手も止まる。

 唇からは血が流れる。


 彼女の次の授業は体育。しかし、体育に参加することはなかった。



 29日。

 学校が終わり、彼女は生徒玄関にいた。

 下駄箱を開け外履きを出そうとした、すると一枚の手紙が入っていることに気づく。


 彼女は恐る恐る手紙を開く。

 そこにはこう書かれていた。


 ミミズが這ったような文字で『明日の放課後グラウンド裏の旧物置に来い。私たちは兄に』と、文字はここで終わっている。



 30日。

 陽が傾き空はオレンジ色に染まってきている。


 彼女は震えていた。

 数々の嫌がらせ。

 体育の授業では彼女たちの息がかかった生徒からのラフプレー。髪に墨汁をかけられたり。体育着のジャージには知らぬ間に墨汁が掛けられていたり。

 昨日の手紙も彼女たちの仕業だろう。

 書かれていた最後の『私たちは兄に』という部分。

 彼女はここが一番恐れている部分でもある。続く文字が『私たちは兄に手を出す・・・・』という意味だろうと。


 彼女には兄がいる。

 大切な兄だ。親が仕事の関係上ほとんど家にはいない彼女にとって、兄は親のような存在。

 手紙に従い自分が赴けば手を出さないでくれるだろうと。


 兄には心配を掛けたくない。

 その想いから、嫌がらせされていることも内緒にしてきた。


 彼女は震える足を運びグラウンド裏に着く。

 ここは校舎からも離れていて、さらには防風林が植えられているせいで人目に付きにくい。

 校舎側に新しい物置ができてからは、ここの物置はほとんど使われていない。中に入っているのは使われなくなった古い道具。

 

 雑草が生い茂る中にたたずむ旧物置。辺りに人影はない。

 地面から生えるように出ている一本の水道。蛇口からぽたりぽたりと落ちる水滴が妙な恐怖を思わせる。


 彼女は近づき引き戸を開ける。

 中には四人の生徒がいた。

 一人は男でオレンジ色の髪が目立つ。ネクタイをだらしなく締め、胸元は大きく開いている。


 残りの三人は女。

 ロングストレートで根元が伸びプリンになっている茶髪の女子。

 白に近いピンク色の髪の女子。パーマがかかっていてふわりとしているロングヘアー。 

 ただ脱色されたような汚い金髪のショートヘアーの女子。

 三人とも化粧が濃く、スカートも短く穿いている。皆緑のリボンを着けていることから三年生と分かる。

 

 物置の窓から入る西日。

 

 彼女は西日に照らされる異様な箱が目についた。箱は地面に置かれている。数は四箱。

 片手で持てる大きさの箱。その箱には黒髪の女性が印刷されている。

 そして『絶対に色落ちしない髪色戻し黒染め』という文字。市販のヘアカラー剤である。


 彼女は今から自分がされることを理解した。

 恐怖から足が動かない。


 ピンク髪の生徒が口を開く。


「そこ閉めてもっと中に来いよ」

 

 女性とは思えない低い声だった。


 彼女は扉を閉め、足を引きずるように中に進む。

 するとピンク髪の生徒が動く。床にある黒染めを拾い上げ彼女に近づき、がっしりと右手を掴んだ。


 彼女は腰が抜けその場に座り込む。


「おい。立てよ!」


 ピンク髪の生徒は腕を強く引く。


 彼女は恐怖から涙がこぼれた。

 そして心の中で助けを呼ぶ。


 空ニィ助けて。と。


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