17

 十分後。

 ずっと沈黙していたクニツルが言葉を発する。


「不覚」

「なんだ? 失敗したのか? まあなにをしたのかは知らないけどさ」


「ただ。この件はもう放っておいた方がいいだろう」

「はぁ? どういうことだ。お前はなにをしたんだよ」


「ええいうるさい! 俺様は悪魔だが恋路を邪魔するようなことはせん。……空坊、余計な詮索は悲しみを生むことだってある」

「もうなに言ってるかわかんねーよ!」


 しかし、クニツルはこれ以上語ることはなかった。


 空はあきらめて時間を確認した。

 そろそろ帰って夕飯の準備をしないといけない時刻。帰宅することにした。



 空は帰宅した。そして、違和感を感じた。

 違和感その一。玄関に学校指定のローファーが二人分あること。一つは陸。もう一つは謎。

 違和感その二。料理の匂い。食材を炭に錬金する陸が出すものではない。きちんとした料理の匂い。


 空はリビングに駆け込んだ。


「おかえり。海山君。ご飯にはまだ早い時間だけど……どうする?」

「――は?」

 

 制服のままエプロンを身に着けた川谷がそこにはいた。

 キッチンで鍋にお玉を突っ込んでいる。


「なんで川谷さんがここに?」

「なんでって? 昨日陸ちゃんと勝負して私勝ったから。あ、安心して。ちゃんと陸ちゃんの分も作ってるから」


「ふは、は」


 空は口角をつり上げ変な笑い声を出す。


「あれ? 迷惑だったかな?」

「――い、いや。そんなことはないけど」


 空は困惑する。そして整理する。

 ――川谷の思考が全く読めない。まさか本当に作りにくるとは思いもしなかった。

 初めての出会いは消しゴム事件。そのとき川谷さんは完全拒絶していた。でも、同じ六班になってから常に一緒にいるような気がする。

 川谷さんはもう拒絶どころか自ら進んで近づいてきている気もする。それは嬉しい。でも、なんで。

 春君のような男子なら分かる。川谷さんは女だ。俺をもっとも暗い世界へ案内してくれる侮蔑の目をする女。

 手を触れることを拒み涙した女どもと同じ女。蔑み笑う女。信じてはいけない生き物だ。


 空の思考はどんどん深く暗い奥の方へ向かう。


「空坊。もうやめろ。そこにいるお嬢さんは違う。もちろん妹の小娘もだ。空坊の知っている女とは違う。安心しろ」

 

 まるで空の心を読んだかのようにクニツルは発した。


「――おま!? なんで」

「ぐっ――! さすがに久しぶりに力を使いすぎたか。一日に四度・・が限界、か――俺様も衰えたようだな。

 とにかくそこの川谷とかいうお嬢さんはお前の思っているような女ではない。俺様を信じろ――お前は男だ。女は大切にしろ――」

 

 そしてクニツルは全く反応しなくなった。スマホとしての機能も停止する。


 川谷にはこの会話が聞こえていなかったらしく、空に尋ねてくる。


「海山君? どうかしたの? お腹空いた?」

「……いや。なんでもない。荷物を上に置いてくる」


 空は階段を上がると陸とすれ違う。


「空ニィおかえり! 花菜はなちゃんいてビックリしたでしょ?」

「ああ」


 空はそう一言だけすれ違いざまに発し自室へ入った。

 陸は首をかしげるが、夕飯の匂いに負けリビングへ向かう。


 空は鞄を置き机に腰かけ考える。右手には反応しないクニツル。

 ――先ほどのクニツルの発言で少し落ち着いた。

 クニツルの心を読んだような言葉。あれは悪魔の力なのか。四度と言っていた。

 ゲームセンターで春君に使ったとして一回。俺に使って二回目。そして川谷さんで三回目。もう一回は……陸か?

 クニツルを信じたとして、川谷さんは悪い奴じゃない。でも俺はどうすればいい。

 ずっと友達のいなかった俺が急に対応できるわけがないだろう。


 壁掛け時計の秒針が音を刻む。

 しばらく空は座り込んだまま動かなかった。



 部屋は暗くなり、窓から街灯の明かりが四角く差し込む。

 時計の針は七時を回った。


 ドンと扉を蹴り開けられる。


「空ニィ! いつまで待たせるの! もうリクお腹ペコペコなんだから早く降りてきてよ! ――空ニィ?」

「…………」

 

 陸は空の異変に気づき近づく。


「空ニィ?」

「――ればいい? 俺はどうすればいい?」


 耳を近づけなければ聞こえないほど小さな声。


「ん? 下に降りてくればいい」


 空は急に立ち上がる。

 陸は驚き尻もちをついた。


「俺はどうすればいい! 急にこうなっても俺は……。友達なんていない俺は分からない! なんでご飯を作りにくる! 俺はあいつに嫌われていたはずだ!」

「――空ニィ?」


 空は気づいていなかった。そこにいるのが陸だけではなかったことに。


「私は海山君のことを嫌ってなんかいない! 初めて会ったそのときからずっと! ずっと」


 空はそこにいた川谷に気づく。


「――川谷、さん」

「消しゴムのときのことはごめん! 私、あのときはびっくりしちゃって。あんな態度しちゃったけど。あれは私の本心じゃない……。

 本当は友達になりたかった。だから同じ班になれたときは嬉しかった」


 陸は半眼になり、なにかが始まってしまったと様子を見守る。


「友達に……? 俺と?」

「そう。海山君と。……私はてっきりもう友達だと思ってたよ? 一緒に探偵ごっこみたいに小清水君追っかけたりしてさ。図書委員のときだって、私楽しかった。

 陸ちゃんともさっきお話しして仲良くなれた」


 川谷の脚は震えている。手は胸元で握るようにしている。目元にはうっすらと光るもの。


 空はこれを見て心の中でなにかが動いた。

 ――クニツルも言っていた。俺は男だ。

 男の自分がなにを悩んでいる。目の前の女の子は震えながらもはっきりと気持ちを伝えてくれた。自分は逃げていてばかりの大馬鹿だ。

 

 空は川谷の前に立つ。


「川谷さん! 俺と――俺と友達になって下さい!」


 空は頭を下げ手を差し出した。

 川谷は歩み寄り空の手を掴んだ。


「だからもう友達なんだよ。でも、これからもよろしくね」


 川谷の手はとても熱かった。そう、とてもとても。

 

 陸は立ち上がり半眼のまま「くっさー」と言い残し部屋を出ていく。


「ほら、ご飯覚めちゃうから。早く食べよ」

「うん」



 誰もいなくなった空の部屋。

 机の上に置かれているこんにゃくはつぶやいた。


「フッ――空坊もなかなかやるではないか。友達……できたな」


 と。


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