16

 ショウガと味噌のいい香りが漂う。

 

 椅子に縛られている空。

 口を大きく開け、幸福の湯気を漂わせるサバを待つ。


 空の横には川谷。

 箸でサバをひとつまみ口に運ぶ。

 この様子を見ていた陸がつぶやく。


「空ニィ。リクのときより嬉しそう……」


 空の口にたどり着いたサバはとろけるように舌にまとわりついた。

 鼻から抜けるショウガの香り。臭みの取れたサバ。ほんのりと甘みのある味噌ダレ。

 飲み込むのがもったいない。ずっと口の中に含んでいたい。そう思わせる味。

 しかし胃は飲み込めと訴える。

 空は仕方なく飲み込む。


「――美味い! 美味すぎる!」


 川谷は笑顔で安堵する。陸は口を尖らせぼやく。


「ただのテカリモノじゃん! 生臭そー」


 次に卵焼きが口に運ばれる。

 しっかりとした旨味、塩味、甘味。これらが口の中を天国へ誘う。


「すごい――。川谷さん、本当に高校生?」

「う、うん」


 空は感動した。

 しかし引っかかるところもあった。この味はどこかで食べたことがある。と。しかもつい最近。

 必死に思い出す。最後にサバ味噌を食べたのは――『たちばな食堂』。


 橘食堂は空と陸の行きつけである定食屋。入口に癖のある老人夫婦の営むあの定食屋である。


 陸はお腹が空いているのか、卵焼きを手づかみで頬張る。

 そして目が見開く。


「――! この卵焼きって……こんなの――勝てるわけないじゃん!」


 そう言ってリビングから飛び出していってしまった。


 空はその様子を見て確信を得た。


「川谷さんってもしかして橘食堂の……常連さん?」

「う、うん……まあそんなところかな」

 

 取り繕うような態度に空は違和感を感じたが、おいておくことにした。


「この勝負は私の勝ちでいいのかな?」

「まあ、陸もどっかいったしな。陸は橘食堂の卵焼きが大好きだから。きっと似てる味で悔しかったんだな。勝ちでいいと思う」


 川谷は空の縄をほどく。空は立ち上がり背伸びをした。


「しかし悪かったな。陸のせいでこんなことになっちゃってさ」

「ううん。結構楽しかったよ。……妹可愛いね。お兄ちゃん大好きな感じがさ。ところで親はいないの? 台所と食材使っちゃったし。ご挨拶もしないと」


「その必要はない。なにせ日本にいないからな」

「え!? やっぱりハーフって噂は本当なの?」


「いや。純粋な日本人。うちの両親は海外で仕事してるんだよ。帰ってくるのも年に数回。だから俺が毎日陸の飯作ってやってる」

「そうだったんだ。だから陸ちゃんは……お兄ちゃんを取られるのが嫌だったんだね。別に取ったつもりはないんだけどさ」


 空は座り直し、ダークマターの乗った皿を手に取る。

 そして、大きく口を開きひと口で放り込んだ。


「――海山君!?」


 数分間の咀嚼の末やっとのこと飲み込む。涙目になりながら食器を台所に運ぶ。


「初めて陸が俺に料理してくれた。残すわけにはいかないから」

「海山君!!」


 空は振り返らなかった。そして、川谷のことを想像する。

 ――川谷さんはきっと兄妹愛を目の当たりにして感動しているのだろう。妹の頑張りを受け止めた兄の姿に。


 しかし、空の妄想は空振りする。


「海山君! ――こ、こんにゃくがテレビ見て笑ってるの!」

「――な!?」


 リビングのテーブルで横になっているクニツル。見ているのは夕方のアニメである。

 そしてここは自宅。

 クニツルとの約束は外で・・声を出さないこと。

 空は全身から焦りの汗が噴き出す。


 クニツルは立ち上がる。


「おう。小娘と女の勝負はついたのか? どっちが勝った? 途中からこっちに集中してたものでな」


 川谷は腰を抜かしたのか、その場に座り込んだ。

 空はあきらめた。


「勝ったのはここにいる川谷さん。陸はどっかにいったよ」

「そうか。まあ、空坊の身になにもなくて良かったな」

「う、海山君……?」


「川谷さん。こうなった以上隠すのは無理だ。……紹介するよ。こいつは俺のスマホでこんにゃくのクニツル」

「――こ、こんにゃくでスマホ? クニツル? なにを言ってるか全くわからないよ」


「全く同感だ。ただ、目の前にあるのは現実」

「信じられない……」

「俺様は……まあ、クニツルと呼ばれている。以後お見知りおきを、お嬢さん」


 クニツルはテーブルの上で胴体を曲げ挨拶をした。


 この後、空は一時間ほど掛けて説明をし、川谷に理解してもらえた。もちろん口外しないようにとも。

 そして人生初の連絡先交換を川谷とした。


****


 次の日。学校。


 空と川谷は小清水のストーカー調査を続行した。

 授業間の休み時間に昼休みと。


 しかし変わったことや怪しい人物がいる様子は全くないまま放課後を迎える。

 皆帰宅や部活の準備で騒がしくなる教室。

 湊が小清水に声を掛けた。


しゅん、今日も一緒に帰ろう?」

「おう」


 二人は教室を出ていく。

 小清水は高校に入ってから部活には入っていない。委員会は湊と同じ文化祭委員。この時期は暇な委員である。

 湊も部活には入っていない。


 空は川谷の方を見た。

 川谷は察したのか空の方を向き口を開く。


「ごめん海山君。今日は用事があるから小清水君の件は行けないの」

「そっか」


「うん。それじゃまた後でね」

「お、おう」


 川谷は急ぐように教室を出ていった。


 空は川谷の言葉が引っかかっている。

 ――用事が済んだら合流するということだろうか。


 仕方がないので空は一人で尾行することにした。


****


 ここは狸小路。

 大通り公園から南に少し歩くとあるアーケード街。東西に延びたアーケードには色々な店が入っている。


 小清水と湊はゲームセンターに入った。空もバレないように後を追う。

 今のところ、学校からここまでにおかしな人物はいない。


 空はこの事件が小清水の勘違いではないのかと思い始める。


「なあクニツル。お前はどう思う? ここはゲーセンだし声出してもいいぞ」


 鞄のサイドポケットにいるクニツルは答える。

 この件はクニツルにも相談していて内容は知っている。


「んー。俺様はわからん」

「お前ほんと使えない悪魔だな。今度はこの前のと違って相手の名前も顔も分かってるんだぞ?」


「俺様を侮辱するか。……まあいい。本気を出してやろう! あそこにいる垂れ目のガキでいいんだな?」

「お。なにかやるのか? あの垂れ目が小清水だ」


「まあ見ておれ」


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