10

 六班は残り二枠。空いている席は、空の隣と前。


 空は窓の外を見る。

 校庭にある一本の桜の木。北海道にしては開花が早く三分咲きまできている。

 高い日の光も強さを増してきている。


 小清水の声が上がった。

 六班メンバー加入の合図である。


「よろしく。俺小清水春。君は?」


 空も一応そちらを向く。新メンバーが着いた席は空の隣。

 そして空は彼女を見て落胆する。

 それはなぜか。

 

 嫌な思い出のある消しゴムの人。嫌と手を引いた彼女がいたからだ。


 その彼女は小清水のズイズイと迫る感じに少し身を引くが、自己紹介をした。


「か、川谷かわたに花菜はなです。よろしく」

「そかそか、花菜ちゃんね。同じ六班としてこれからよろしく!」


 これを見ていた湊は、片方のつり目に皺を寄せた。

 しかし、小清水が振り返ると笑顔に戻す。


 空は最悪の気分だった。

 湊に消しゴムの川谷。さらに川谷はなぜか隣の席。どうせなら前の席に座れよ。と。


 生徒全員の班が決まったのか、立っている生徒は教壇にいる竹田のみ。

 しかし、空の前席は空いたまま。

 

 竹田はパンと手を叩き、進行を始める。


「はい静かにー。班決めはこれにて完了です! あ、自分は六班だからよろしくお願いします」


 そう言って、六班側に手を上げた。


 竹田の仕切る能力は素晴らしく。笑いも取りながら進んでいく。

 委員会決めもスムーズに進んだ。


 この高校は生徒全員がなにかしらの委員会に所属する決まりがある。


「最後は図書委員なんですが、まだ決まってない人は挙手。挙手してくださーい」


 手を挙げたのは空と川谷。


 空は隣で手を上げる川谷を見てさらに落胆した。

 

「はいそこの二人ですね。前に出てきて名前を書いて下さい」


 竹田は黒板を軽くたたく。


 空は黒板に向かいチョークで名前を書き始める。


 川谷も同じく隣で書く。そして、空が海山空と書いたのを見て小さくつぶやいた。

 とてもとても小さな声で。空にしか聞こえないほど小さな声で。


「班も委員会も同じだね……。よろしく。海山君」


 空は思わずチョークを落とした。

 慌てて拾い、川谷を見る。


 すでに自分の席に戻っており。うつむいている。

 空も席に戻り、横顔を確認した。


 うつむいているせいで、髪に隠れた顔色は分からない。

 ただ、髪の隙間から出ている耳が赤く熱を帯びているように見えた。


****


 学校が終わり、空はピッピーマートに寄っていた。

 買い物を済ませ、レジ袋を片手に入口で立っている。


 空は無駄だと分かっていたが、中に入る人と出ていく人を凝視する。

 まるでナンパなお兄さんである。


 空はあのときの彼女に会いたかった。口実としてはお釣りを返したい。

 でも肝心な顔を知らない。


 困った空はスーパー横にある自動販売機の陰でしゃがみ込み、ヤツを取り出した。


 そう。こんにゃく。またの名をクニツル。


「おいクニツル。相談が――」


 空は言葉を失った。


 クニツルの画面には覚えのないゲーム画面が表示されている。

 最近コマーシャルでよく目にする美少女カードゲーム。


「おう空坊。もう家か? 静かにしているのもなかなかいいものだ。見ろ! このルティちゃんを! 俺様の推しだ」


 そこにはURウルトラレアと左上に表示があり。ピンクの髪が可愛らしい少女のカードが表示されていた。


「――おい。そんなゲームをダウンロードした覚えはないぞ」

「まあいいではないか。で、どうした?」

 

 空は取り合えずゲームのことは置いておくことにし、相談内容を話した。



「うーむ。空坊は相手の顔を知らないのか。向こうはおぬしの顔を知っているのであろう?」

「そうなんだけど。ほんの数分だったしなぁ。どうやったら会えるだろう?」


「うーむ。……他に特徴はないのか?」

「覚えてるのはシャンプーの匂いかな。あと、ぼやけていたけど髪はそんなに長くはないと思う。肩上位で……あと黒髪」


 クニツルの画面が急に切り替わる。そして、検索画面へと移り、検索バーに『しゃんぷー』と打ち込まれて検索結果が表示された。


「ふむ。シャンプーとは頭を洗うときの洗剤か。ならば、片っ端からその匂いを嗅ぎ分ければよい」

「なんかお前……すごくスマホらしくなってないか? いや。それはいい。俺は犬じゃないから、近寄らないと匂いは分からないよ」


「なら、その長さの黒髪女を片っ端から嗅げばよかろう」

「いや。それはただの変質者だ。下手したら警察呼ばれる」


「うーむ。随分と窮屈な世の中になったものだな。まあ、諦めろ」

「お前悪魔なんだろ? もっとなんかないのかよ? 呪い殺したりしてたんだろ?」


「失礼な奴だな。俺様はそんな下等なことはしない。それに、せめて名前ぐらい分からんとどうにもできん」

「名前も分からない」


「やはり諦めろ」


 相談をしている空とクニツル。

 空は日の光が遮られたのを感じ顔を上げた。

 そこには、のぞき込むように空たちの様子をうかがう川谷の姿。

 

 川谷はおもむろに訊いてきた。


「それなに? こんにゃく?」


 空はすかさずクニツルを鞄に押し込む。


「――な、川谷。さん。な、なんのこと?」


 空の額に汗がにじむ。


「今のこんにゃくだよね? 話してたよね?」


 空はこの危機的状況をどう脱出するか考える。

 ――もしこんにゃくと話していたことを学校で話されたら、高校生活は確実に終焉を迎えるだろう。

 かといって正直に話して信じてもらえるようなことでもない。

 いや。クニツルと会話させれば信じるか。しかし、これは弱みを握られることになるのではないだろうか。

 強引に逃げるか。これはだめだ。班と委員会が同じ、席も隣。今逃げたところで学校でまた聞かれるだろう。

 こうなったら誤魔化すしかない。


「川谷さんなにを言ってるのかな? こんにゃくと話すわけないじゃないか。俺は今スマホで電話してたんだよ」


 たらりと頬を伝う汗。

 

「そう? 私の見間違いだったのかな?」

「そうだよ。ははは……」


 川谷は首をかしげる。

 空は安堵する。

 しかし川谷は空の前にしゃがみ、グイっと近寄っていく。鼻と鼻が付いてしまいそうなほどに。


「本当に見間違い?」

「――う、うん」


 空は唾を飲みこんだ。

 川谷の白い肌。小さくも艶やかな唇。くっきりとした二重。大きな瞳。整えられた眉。顎元になびく黒い髪。

 空はこのとき初めて川谷の顔をきちんと見た。

 そして空は知った。川谷の可愛さを。

 消しゴムのときから空は川谷を見ないようにしていた。見たとしてもシルエットのみ。間接視野で終わらせる。もう想像でしか顔を思い出せなかった。

 しかし目の前の川谷は、そんな想像上の川谷とはまるで別人だった。

 

「どうしたの? 固まっちゃって」

「い、いや。なんでもない」


 川谷は前傾を戻した。


「それにしても分厚い眼鏡だねえ。ちょっと外してみてよ」

「でも、外したらなににも見えな――ちょ」


 空の言葉も虚しく、川谷は眼鏡を外した。


 少しの間の後、眼鏡は戻される。


「やっぱり海山君は眼鏡かけてる方がいいかな。だって――」


 空は、その後に続く言葉を聞き取れなかった。


「私もう行くね。また明日学校で」

「え。う、うん。また明日」


 川谷は笑顔で手を振る。



 海山空が初めて恋をした瞬間だった。 


 そしてこのときの空はまだ知らない。

 一か月後に携帯電話の請求額で、クニツルと壮絶な戦いを繰り広げることになろうとは。


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