8

 空は夕食を済ませた。


 リビングのソファでアイスキャンディー片手にくつろぐ陸。風呂上がりで髪は少し湿り気を帯び、キャミソールとショートパンツの部屋着姿。

 リビングのテーブルで横置きになりくつろぐクニツル。ツルツルの裸体。

 陸とクニツルはテレビを見ている。

 月曜九時春の新ドラマ。


「おい小娘。この薄い箱に人が入っておるのか?」

「ちょっとうるさい。いいとこなんだから黙ってて」


「うむ」


 空は食器を洗い。風呂場に向かった。


 リビングはテレビの音だけが響く。


「ぐぬぅ。おい小娘。なんだこの大きな四角いものは! それに走る大きな箱!」

「チッ」


「むう」


 クニツルは陸の舌打ちで再度黙る。


 テレビドラマの舞台が東京で、そこに映る高層ビル、車。

 クニツルはこれら全て見るのが初めてで興味が湧いている。

 もちろんテレビ本体を見るのも初めてである。この薄型テレビの中に人が入っていると、そう信じている。


 陸にかまってもらえないクニツルは立ち上がる。


 クニツルはこんにゃくだが動くことができる。

 角四隅を手足のように動かし、テーブルから飛び降りた。


 クニツルが最後この世界に来たのが今から五百年程前の日本。

 見慣れたものは現代にほとんどないだろう。


 クニツルは、ぴとぴとと歩きながらリビングにある物を見て回る。


 絨毯を見る。


「これは、獣の毛皮か?」


 人工皮革のソファに角で触れる。


「これは、獣の皮か?」


 カーテンに角で触れる。


「これは、獣の皮か? いや布だ」


 テーブルの脚に角で触れる。


「これは、木かブッヘェ――」


 クニツルは強い衝撃と共に壁に打ちつけられた。

 そして、ずるずると壁を滑り、ぺたりと倒れる。


 陸が思いきり蹴飛ばしたのだ。


「さっきからペチャクチャペチャクチャと。ほんとうるっさいわねぇ」


 顔、いや。直方体の面ABCDを上げたクニツルはおぞましい陸の表情を見てしまう。

 陸は拳を握り、パキパキと鳴らす。


「こ、小娘! その顔はまさかベルゼブブ!?」

「誰がハエの王じゃ」


「しかし――瓜二つではないか!」

「ちがーう! リクはハエでもクソでもない! 美少女よ!」


 クニツルは沈黙する。

 テレビからコマーシャルの陽気な音楽が流れる。


「ちょっと。なんか言いなさいよ!」

「いや。すまぬ。現代の日本も変わらぬのだなと思ってな」


「なんの話よ?」

「俺様が来たときの日本人女性は皆、胸が無い方がいいと言っておってな。あの重ね着の……着物と言ったな。胸があると映えないとかなんとか。確かに着物を纏った女は美しい」


 陸の顔色がさらにおぞましくなっていく。

 しかしクニツルは続ける。


「日本以外の国では大きな乳房が好まれいた。やはり髪型といい日本は独特というか、変だな。小娘はさぞかし着物が映えるのであフガァベァ――」


 クニツルは再度蹴り飛ばされた。ビタンと壁に張りつく。


 立ち上がったクニツルは構えた。

 しかし見た目は少しねじれたこんにゃくである。


「ふふふ。この体では少しばかりやりづらいが、久しぶりの再会じゃ。受けて立つぞベルゼブブ」

「火あぶりぃ。釜茹でぇ。滅多打ちぃ。どれがいいかしらねぇ。クニツルぅ!」



 一方で、空は風呂を上がり、リビングから聞こえる騒がしい音を無視し自室に戻る。


 空は風呂の時間が短い。

 のぼせやすいとか体を洗うのが面倒とかではなく、風呂場にいる時間が嫌いなのだ。

 風呂ではよく嫌なことを思い出してしまう。視線。小言。表情。

 今日なんてなおさらである。

 反射的に脳は考えてしまう。隣の席の彼女のこと。咄嗟に引かれた手。うつむく顔。嫌がった声。


 空は机の椅子に腰かけ、おもむろに財布を開き小銭『42円』分を取り出して机に置いた。

 そしてルーズリーフを出してなにやら書き始める。


 それを書き終えると、フーズリーフで小銭を包むようにして綺麗に折りたたんだ。


 そのころリビングでは。


「だから違うってば。ブラウザバックは左から右にフリック」

「こ、こうか?」


 ソファに座る陸。手にはクニツルを持っている。

 クニツルはプルプルと微動し、時折四隅をもどかしそうに動かす。


「あーなにやってんの! 違うページ開いちゃってんじゃん。はい、ブラウザバックしてー」

「たっぷ。とやらは分かったが。ふりっくのコツが掴めん」


 陸はクニツルに、クニツル自身・・の操作方法を教えている。


 じゃれ合い決闘は陸の勝利で終わりを迎えていた。

 負けたクニツルは亀甲縛りにされたまま陸に言ったのだ。この現代のことをもっと知りたい。と。

 陸は、自分がスマホなんだから自分で調べろ。と。

 やり方がわからん。と。

 頼み方があるんじゃない? と。

 陸様、自身の操り方を教えて下さい。お願い致します。と。

 美少女の。が足りないけれど、まあいいわ。と。


 そして、今に至る。


 陸はまずインターネットのやり方、タップなどの基本操作を教えている。

 今の時代、調べ事はインターネットでほとんど解決する。

 今のクニツルにはもってこいだろう。


「おお。小娘! できたぞ! ぶらうざばっくとやらが」

「その調子。次は自分で検索バーに文字を打ち込んでみて」


「けんさくば、とはなんだ」

「んもー」


 こうして二人の夜は更けていった。


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