6
空はドアの開く音でうっすらと目を開けた。
ベッドの間接照明を点け眼鏡を掛ける。時計を見るとまだ夜中の三時。
ドアの方を確認したが、寝る前との変化は感じられない。
空は夢かと思い照明を消しもう一度布団にもぐった。
しかし、ドアの向こうから物音と話し声がうっすらと聞こえる。
空はさほど気にはしなかった。
陸はよく夜中にうるさいからである。生配信も夜中にやっていることが多い。
空は意識が遠くなる中、壁という吸音材を越えた子守歌で再度眠りにつく。
念のため壁ドン用の拳を握ったまま。
一方陸はというと。
「もう堪忍しなさい!」
「この俺様を呼び出したのはどうやら小娘、お前のようだな。要件はなんだ」
自室でこんにゃくを握っていた。
「空ニィ寝てるんだからもう少し静かにしてよね」
「先に大声を上げたのは小娘だろう」
「うう。いいから黙って従いなさい!」
「あまり強く掴むな。痛いでは――」
「もう、うるさい。もう一度確認するわ! あなた本当にこの本のこの悪魔なの?」
陸は本に指をさしながら訊く。
「だから何度も言っているであろう。この俺様はル――」
こんにゃくが言い切る前に、壁を殴るドンという音が空の部屋側から響く。
「もう。あなたがうるさいから!」
「いや。明らかに小娘のせいだと思うがな」
****
朝。時刻は五時五十分。
空は時計のアラームでもなく、スマホのアラームでもなく、陸に起こされた。
「空ニィ! 朝! 今日からリクも学校行くんだから朝ごはん作って!」
陸は空に馬乗りで肩を掴み揺さぶる。
「――朝か!」
パキンと目を開けた空は、布団を持ち上げるようにして陸を転げ落とす。
そして、寝起きとは思えない動きでカーテンを両手でシュパンと開ける。その動きはまるでミュージカルの主演がスポットライトをピンで受けているかのように華麗。手の動きはクロスからのYである。
そのまま流れるように着替えていく。
左手で衣装ダンスの靴下が入っている取っ手。右手はインナーの入っている取っ手。
これをテーブルクロスを引くようにズバっと開ける。
温泉饅頭の箱を開けた瞬間のように美しく収められている靴下。その一つを迷うことなく取る。
そして、フンと鼻息でドヤる。
転げ落ちた陸は、しばらくその着替えを見ていたが、耐えられずリビングに向かう。
キッチンのガスコンロには鍋。強火でぐつぐつと水が煮えたぎる。
陸は鍋の中身を確認すると、静かに蓋をした。
食卓テーブルにメイク道具を広げ、目のクマを消すためにコンシーラーを塗りたくる。
しかし、鏡を見ながら落胆の息を吐いた。
空はまだ着替えの最中である。
グレーベースにチェック柄が入った制服の下を履き、白いワイシャツのボタンを留める。
赤いタイをきつく締め、紺のブレザーを脇に挟む。
すでに準備が整っている鞄を持ち、スマホを探す。
「あれ? 確かベッドのところに置いてたよな?」
スマホがないことに気づいた。
しばらく辺りを探したが見つからず、取り合えず諦めてエサの準備に向かう。
リビングには制服に着替えた陸。
手鏡を置き、髪をツインテールにしている。
空は陸の顔の異変に気づく。
目の下にクマができているのだ。
椅子にブレザーを掛け陸に尋ねる。
「なあ、俺のスマホ知らない? それと目のクマどうした?」
「ああ、
陸は口にゴムを咥えたまま指さす。クマのことは無視した。
示す先はガスコンロ上の鍋。火は点いていて、鍋蓋の穴から噴き出している湯気。
蓋を開け鍋をのぞき込むと、そこに
ぐつぐつと沸騰したお湯の中でゆらゆらと茹るこんにゃく。
「は……は?」
その時、空のスピードは音速を超えていただろう。
すぐさまザルに上げ冷水で冷やす。
「おお少年。おはよう」
「なにがおはようだ!」
こんにゃくはなにもなかったように朝の挨拶をしてきた。
壊れていないか色々確認する。異変は無く壊れてはいないようだ。
そして後ろの陸から舌打ちが聞こえた。
「くそー茹で
陸になぜこんなことをしたのか問いただした。
しかし答えてはくれず、襟元の赤いリボンを揺らしたピーカブースタイル。ツインテールも揺れている。
疑問は晴れぬまま、適当に朝食を済ませ学校へ向かう。
登校中、通学路にあるピッピ―マートが目に入る。
空は女性とぶつかったときのことを思い出した。
少し顔が熱くなるが、真っすぐと学校を目指す。
****
学校に着き教室に入る。
空の席は入口側一番後ろ。出席番号順。
教室内ではすでにグループができているのか、男子同士、女子同士が四五人で固まっている。
皆片手に携帯電話を持ちなにやらがやがやと。
まだ時間が早いせいかクラスメイトは少ない。
そんな中、皆の輪には入らず空と同じようにポツンと机に座る人物が一人いた。
空の左隣の席。
その人は黒髪で真っすぐに切りそろえられた前髪。長さはショートボブ。
肌は白く凛としていながらもあどけなさがある顔。
机の上に置かれたペンを握る手はとてもか細く折れてしまいそうである。
なにかを書いているのだろうか。気になった空は目だけを動かした。
すると彼女の机からポロリと消しゴムが落ちた。
消しゴムは空の机の横に転がってくる。
空は拾ってあげるために手を伸ばすが――。
ゴツンと鈍い痛みが頭に走った。
「――痛っ」
「――きゃっ」
空は咄嗟に頭を抱え座りなおすが、視界がぼやけている。眼鏡が外れたのだ。
そして鼻をかすめる香りに一瞬固まる。
「ごめんなさいっ!」
左側から聞こえる声で硬直が解ける。
「あ、こちらこそごめん」
モザイク掛かった彼女の方を向き謝る。
「あの……め、眼鏡」
彼女は細い手で眼鏡を拾い上げ空に手渡した。
「ありがとう」
「う、うん」
彼女はかしこまったようにノートを見つめる。
消しゴムはまだ空の足元。
空は消しゴムを拾い彼女の方に差し出した。
「嫌っ――」
しかし彼女は手を咄嗟に引き、顔をうつむくようにし手を膝の上に置いた。
空は机の上に消しゴムを置いてあげた。
その日、空は学校で誰とも話すことはなかった。
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