2

 ピッピ―マートからの帰り道。


 空は百円玉を見つめながら歩く。脳裏には、ぶつかった彼女の柔らかくも熱を帯びた手の感触。

 レジ袋の中には数個割れたままの卵が覗く。


 中学に入った頃から、空は友達がいなくなった。

 勉強はできても運動は苦手で、部活動にも入らず帰宅部。

 流行にもついていけず、自然と皆離れていった。


 中三の頃には噂の一人歩き。

 眼鏡のせいか、静かで内気なせいなのか、オタクやキモいなどと言われる。

 暴力的ないじめはなかったが、当然女子からは『汚物』を見るような侮蔑ぶべつのこもった眼差し。

 体育祭のとき、全校生徒が参加のダンスがあった。

 グラウンドに大きく輪を作り、手を繋ぎながら一人ずつ交代で踊るというもの。

 順番で回ってくる女子は露骨に嫌がり、しまいには泣き出す生徒までいたほど。


 このような過去が空を追い詰め、人に対する恐怖、不信感は大きなものになった。


 しかし先ほどの女性はどうだろう。

 裸眼のせいで表情は分からなかったが、空は手を触れられた。


 あのような場、状況で考えれば自然なことではある。

 謝罪、弁償が行われた場なのだから。


 それでも空は嬉しかったのだ。

 心の奥深くに根づく傷。この傷を優しく撫でてもらった気がした。


 まるで顔の見えない天使。


 できることならもう一度会いたい。顔を見たい。お釣りを返したい。と。

 


 気がつくと空は自宅の前まで来ていた。

 

 家の中に入った空は、食材と通帳を冷蔵庫にしまい自室に戻る。

 

 机にスマホの紙袋を置き、尻ポケットからスマホを取り出した。

 どんなアプリを入れようか。そんなことを考えながらスマホを見る。


 しかし――空は叫んだ。


 今の時代。中学生、いや小学生ですら持っている携帯電話。

 持たせている親にも考えあってのこととは思うが、持たされている少年少女達は違う。

 ゲームをしたり。メールをしたり。写真を撮ったり。

 空はそんな同級生たちのことを指を咥えながら見てきた。

 スマホがあればみんなの輪に入れるかもしれない。話題にもついていけるかもしれない。と。

 親にもせがんだ。しかし返ってきたのは高校生になってからという台詞せりふ


 空はただただ我慢した。

 そして今日ようやく手に入れたスマホ。


「なんでお前の方が先に逝っちまうんだよぉー!」


 午後三時十三分。空は自室で叫んだ。


 スマホの画面は蜘蛛の巣模様にひび割れている。

 空は震える手でホームボタンを押した。どうやら中身はまだ生きているらしく、弱々しくも点灯した。しかし、画面の下半分は暗いまま。


「なんでなんだよおおおおぉぉぉ」


 午後三時十四分。空は叫んだ。


 眼鏡を外し、溢れてくる涙を袖でぬぐう。

 すると、蹴り飛ばしたかのような勢いで、部屋の扉が開かれた。


 空は裸眼のまま扉の方を確認する。

 そこに誰かが立っていて、そいつが蹴り開けた犯人というのは理解できた。

 

「お前誰なんだよおおおおぉぉぉ」

「ああもう、うるさぁぁぁぁい! 空ニィいい加減にして!」


「その声はりくか」

「リクだよ! うるさいしなんなの!? それにリクお腹空いたぁぁぁぁ!」


 空は眼鏡をかけて陸を見た。

 胸まである白に近い金色の髪。肩を丸出しにた淡いピンクのキャミソール。ちなみにフリフリ付き。

 華奢で女性の膨らみ皆無な体つき。そしてフグのように膨らました顔。


 彼女、海山陸は空の双子の妹であり、二階の開けてはいけない部屋の住人。


 空は逝ってしまったスマホを机に置き、椅子に腰かける。


「なんか適当に食べればよかったじゃないか?」


 空は少し意地悪に言った。陸は料理、いや、家事というもの全てできない。カップ焼きそばを作る際、最初にお湯と一緒にソースも入れるような、アホである。

 

「リクの優雅な休日を邪魔したんだから詫びてよね。ご飯で詫びてよね!」

「優雅なって。お前の部屋は湿気でジメジメしてて真っ暗なダークネスで。どこが優雅だ。飯は適当に食え」


 陸はさらに頬を膨らまし、どこかから出した目薬を差し涙ぐむ。


「空ニィおねが~ぃ」


 陸は人差し指を口に当てて言った。


「あざとく言っても駄目だ。俺は忙しいんだ」


 次は床に倒れこみバタバタと手足を動かし暴れる。


「やだやだやだ! お腹と背中がくっついてビックバン起きちゃう! やだやだやだ!」 

「いいじゃん。そのまま腹ん中に宇宙作れよ。それとも改革案の方か?」


 陸には後半部呪文のように聞こえた。

 体を起こし、空の足をポカポカと叩く。


「空ニィの言葉むーずーかーしーぃ。いいからご飯ご飯ごはんー」


 空はため息をついた後立ち上がる。そしてリクの頭に手を置いた。


「わかったよ。先に下で待ってろ」


 この言葉で陸はパアっと笑顔になり、物凄い速さで下のリビングへと向かっていった。


 空がリビングに着く。陸は四人掛けの食卓テーブルに腰かけ、足をバタつかせている。

 空はそれを横目に冷蔵庫を開け、生卵と納豆一パックを取り陸の前に置く。茶碗に米を盛り同じく置く。そして、バーテンダーのように醤油さしを滑らせる。


 スーっと滑る醤油さしを陸は見つめる。

 醤油さしは絶妙なスピードである。早すぎた場合バランスを崩して転がってしまうだろう。

 遅すぎても陸の前までは届かない。

 空は眼鏡に手を当てドヤっている。


 そして醤油さしは軽く卵に当たり停止した。


「フンッ」


 空は鼻息でもドヤり。自室へ戻るためリビングの扉に手を掛けた。


「やだぁぁぁぁ! リク卵納豆ご飯は嫌だぁぁぁぁぁ!」


 空はドアノブを回し始める。


「させるかぁ!」


 角度にして七度回したところで陸に妨害される。

 ドアを開くためには、このL字型のノブを四十五度まで回さなければいけない。


 しがみついてきた陸の頭を必死に押しのけようとする空。右手ではドアノブを下げる。

 しかし陸は押しのけてくる手を踏ん張り、右手でドアノブを上げる。


 ノブの角度は十五度を行ったり来たりと繰り返す。

 両者一歩も引かず。ドアに密着した状態。

 

「に、逃がすかぁ!」

「俺は忙しいんだ! あれでが、ま、ん、し、ろ!」


「空ニィはそうやってリクを虐めて楽しんでるんでしょ。シクシク。リクがすっごい可愛いからって……。そうやって自分の性欲を満たそうとしてるんだ! リクは妹なのに。最低! サイアク! 悪魔ー!」

「んなわけあるか!」


 すると急にノブが四十五度まで全開になる。

 陸が手を放したからだ。


 空は、よし今だ。そう思った。 

 しかし、ドアはリビングからは引いて開けなければいけない。

 密着している空は一歩程下がらなければ開くことはできない。

 陸はそれを見越していた。


 三歩程距離を取った陸はシュッシュと拳を出しながら首を左右に振る。その姿はまるでボクサーそのもの。


 空は危険を感じていた。

 ――もしドアを開くために一歩下がった場合、完全に陸の間合いに入ってしまう。このままではまずい。


 陸はなにを思ったのか、さらに一歩後ろに下がった。


 空は考える。

 ――罠か。しかし一歩分距離は広がった。これならいけるか。

 陸を見て考えるんだ。ヒットアンドアウェイか? もし俺がドアから一歩でも下がったら、陸はすかさず打ち込んでくる可能性がある。

 でもあの構えは……ピーカブースタイル!

 ふ、誤ったな陸よ。それはインファイターのスタイルだ。いける!

 

 空はドアを開くため一歩下がった。


「もらったぁ!」


 そう叫んだのは陸だった。


 その瞬間、顎の下で両拳を構えた陸は突進し空をドアに押し付ける。

 空の体は反応しきれず、ドアと自分の体の間にノブを掴む腕を挟む態勢になってしまう。

 

「なに!?」

 

 空はすかさずあいている左腕で顔を守る。


 陸は頭を∞模様インフィニティに振りながら、左右の拳を交互に出してくる。


「リクは幕の内弁当が食べたい! 幕の内弁当が食べたい! 幕の内弁当が食べたい!」

「フゴッ、グフッ、ゴホッ」


 言葉と共に速さ、威力が増していく陸の拳。

 空はなすすべもなく受け続ける。


「わかったゴホッ、わかグフッ、もうやめブフッ――」

「幕の内弁当! 幕内弁当! 幕内弁! 幕弁! まべ! ま!」


 空は床に膝を付く。

 肩で息をしている陸。


 空は意識が飛びそうな中、妹様に確認を取る。


「ま、幕の内……定食。でも、いいでしょうか?」


 陸は空に抱き着く。


「さっすが空ニィ! だーい好き!」


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