第5章『再生と前進』(2)


 まもなくして。

 とうとう立花の墓石を、ぼくは見つけた。

 だいぶ記憶が古いのだけど……多分、あれで合ってるだろう。本家から連絡が来た際に位置を確認しておいたので、場所を違えたとしても、その辺りにあることは間違いない。

 でも、お墓を見て、ぼくは何をすればいいんだろう。墓参りなんて手ぶらでできる訳じゃあるまいし。母さんの名前でも確認する? そんなことをして何になるのだろう。母さんの死を直視して、ただ胸が苦しくなるだけだ。

 ――ぼくはこれから、どうやって生きてゆけばいいのだろう。

 母さん、ずっと貴女のために生きてきました。でも貴女がいなくなったら、無才能者のぼくは何を理由にして生きてゆけばいいのだろう。この世界と、どう向き合ってゆけばいいのだろう。超過能力者、無才能者……一%の犠牲で成り立つようにしたのは誰のせいだ? ぼくだ。ぼくのせいで、ぼくは滅茶苦茶になってるんだ。ぼくだけじゃない、一%の皆まで苦しんでいる。この世界に迷惑をかけている自分に、生きる資格なんてあるのか?

(あれ、墓の前に――誰だ?)

 思わぬ先客が、立花家(暫定)の墓石前に佇んでいた。

 どうしたものか。声を掛けるにしても、見た感じ外国人の女性らしい。

 困ったな。退いてもらおうにも英語は一般人レベルで、会話なんて無理だ。

 なんて思っていると女性が、否、よく見るとぼくと年の変わらないくらいの少女が、こちらに歩み始めてきた。

 ……目が眩むほど輝かしく、豊かな金髪を宙に舞わせながら。

 その少女は、ぼくに話しかけた。

「もしかして貴方、道継のご友人では? 立花空さん、でしょうか」

「そうです、けど。どうしてぼくが?」

 唐突に声を掛けられて動揺する。

 しかも流暢な日本語だったので、びっくりして変な顔をしてしまったかもしれない。

「確かにわたくしは貴方にお会いした事がありません。ですが一度、道継に写真を見せて頂いたことがあるんです。天上院家でも、貴方のことは現存する異能者として認識されてますし、個人的にも以前から関心がありました。無才能者で、例の特殊な力を持つという貴方の希少性に。なにより道継自身から、貴方のことを頼まれましたから」

「他人から聞いてみると、まるで珍しい野生動物みたいですね、ぼくは……あ」

そういえば何処かのヴァイオリン少女が言ってたな、ぼくのことを珍獣だって。

 いやはや、とうとう自ら事実であると認めてしまったらしい。

 それに道継と知り合いの天上院さんって、ちょっと前に聞いたような。

 えっと、たしか末娘と許嫁になったとか――

「よろしければ少し、お時間を頂いて構いませんか? わたくし、貴方にずっとお話ししたいことがありましたから。それに道継から、貴方のことを頼まれていまして」

「その前に、貴女は一体……」

「あら、道継から詳しく聞いてませんのね。わたくしは天上院遊鳥と申します。道継の許婚、といえば話が早いでしょう」

「ぼ、くは――」

 そして限界が訪れた。

「う、ぇ……ぐぷっ」

「って、貴方ちょっと顔色が――あら」


     *


「……その」

「なんでしょうか?」

「申し訳、ありませんでした」

 胃の内容物を吐き出したぼくの正面には、彼女がいた。

 結果、吐瀉物の飛沫があろうことか、ぼく達二人の衣類を汚してしまったのだ。

 直後、そのまま倒れ伏したぼくに気付き、駆け付けた彼女の付き人が彼女の自宅――天上院家まで運んだ。当然、彼女も同乗しており、自宅の到着と同時に二人分の衣類の処理や、意識の混濁したぼくの介抱を行ってくれた。それから彼女ら天上院の邸宅に招かれたのだ。

「別に大したことではありません。むしろ助けられてよかったと思いましたわ。今すぐというつもりはありませんでしたが、元から貴方には大切な用事がありましたから」

「用事、ですか」

「はい。ところで、用意した衣服はどうでしょうか? すぐに外出しても差し支えないものを選びましたが」

 そう述べた彼女は、ぼくを上から下まで視線を流す。

 能力は完全に切ってあるので、ぼくも自身の格好が気になり、彼女と対面配置されたソファに座りながら用意されたワイシャツ、ジーンズと自前のスニーカーを確認する。

 ずいぶんとシンプルなものである。

 なんかこう、もっと刺激が……

「わたくし自身、他者にとやかく言われなければ、身なりに関しては無頓着な方だったりするのですが……他人に着せるとなると話は別で。問題が無ければよろしいです。そうです、シンプルイズベスト、これでいいのですよ、佐々木さん。まったく、あの人は凝り性なんだから」

「は、はは。流石に助けて頂いた上、服装にまで文句を付けるってのは図々しいにも程がありますよ。ただ、サイズさえ合えば何でも構いませんから」

「ごく普通の女物でもですか? むしろそっちの方がサイズ的にも結構……」

「今は乗り気じゃないので、遠慮しておきます」

「え?」

「え?」

「いえ、冗談ですから」

 彼女の方から断ってくれたが、なんだろう。

 どうして、ぼくを変な目で見るのだろうか。

 ……そういえば匂いや汚れの事情でシャワーをお借りしている際、シャワー室の向こうで、付き人の佐々木さんとキャッキャウフフなファッション談議が行われていたんだっけか。『旦那様の物だと体格が合わない』という事情で男女兼用普段着に決定するまで、本気で彼女ら二人は女物を検討していたのが丸聴こえだった。

 こっちとしては出された物を黙って利用するしかないし、シャワーを浴び終えたぼくはワクワクしながら、洗面台横に用意された衣類を確認したのだったけど。

 あれ? もしかして、この服って――

「では、単刀直入に言わせて頂きます。わたくしのサークルに参加していただきたいのです」

「――え、はっ、はい! なな、なんですか!?」

「あら、如何なされましたか? まだ気分が優れないようでしたら、客室でしばらく休まれてもよいかと。こちらとしても余計な負担を掛けさせてまで、重要案件を突き付けるつもりはありませんから」

「あっ、ああいえ何でも……体調はお陰様で万全です。気分もすっかり良くなりましたし。この素敵な服のおかげで。いやほんと素晴らしいです、最高です。特に匂いが」

「……そうですか。では改めて、厳密に伝えましょう。わたくしが運営しているサークルに、無才能者としてだけでなく、超過能力を抑制する異能者として参加していただきたいのです」

「…………え?」

 彼女は不思議そうな表情をしたものの、向かいのソファに腰を深く据え、真剣な面差しで、ぼくの目をまっすぐに見つめてくる。

 その、こちらの事情を探っているような仕草に、居心地の悪さを感じざるを得なかったのだが。数々の不作法に対する引け目もあって、ぼくも目を逸らす訳にはいかなかった。

「わたくしの許婚である道継と懇意にされている、美作博士から貴方のことを伺っています。詳細は後ほどでよろしいでしょうか。これからサークル活動場所まで案内しますし、よろしければ今からご一緒に――どうされました?」

「…………」 

 数秒ほど。

 沈黙と共に、ぼくはこれまでの無様で散々だった出来事を自嘲しながら。

 力なく、彼女に返答した。

「ごめんなさい。ぼくには無理です」

「どうして、ですの?」

 理由を尋ねてくる彼女の声色から、非難めいたものは感じられず。

 ただただ純粋に、こちらの事情に配慮しようとする彼女の姿勢が、これから誤魔化そうとするぼくには苦々しく思う他なかった。

「道継から話を聞いていませんか? 立花家は今、都城家との繋がりが深まっています。共同で才能開発システムの維持を行っていますから、当然といえば当然です。そしてぼく達のような若い世代は、都城家とのつながりを保つべく様々な機会を頂いているのです。ぼくも次期当主から見合いやら、そういった話をされたこともあります。だから依頼なんで引き受ける余裕はありません。これから、ぼくは次期当主――貴方の許婚でもある道継の元で働くことになるでしょうし。学業の傍ら、校外のサークル活動に参加できるほどの器用さもありませんし」

「あら。どうやら立花家と都城家に関してわたくし達、齟齬があるようですね」

「ぼくの説明に不備があったからだと思います」

 やや敵意のある言い方だったと後悔して、すこし顔を顰めてしまう。

 でも彼女は特に気にすることなく、ぼくに対して理に適った異論を述べ始めた。

「道継のことは、別に断っても構わないことでしょう。貴方が一人の無才能者として生きるのであれば。都城家との付き合いも、貴方が立花家に相応しい優秀な人間であるならともかく、無才能者の時点で、貴方は道継にとっての友人という、個人的な価値のある存在でしかありません。少々、厳しい言い方ではありますが自惚れですよ、貴方の考えは」

「ただの無才能者として、ぼくに生きろと?」

「それは他の無才能者と、どう違うというのですか? 貴方だけが苦しいのではありませんよ。すこしきつい言い方ではありますが。正直なところ、貴方がこれからやろうとしているのは、道継に縋りつくということにしか聞こえてきません。道継もそれを気にして、わたくしに貴方を頼んだのでしょう」

「……そうだね。ぼくが甘ったれてたんだ。それが普通の無才能者で、ぼくはズルをしているようなものだった。自分を特別扱いして誤魔化してきただけだったんだ」

 本当は、はじめから知っていた。

 研究所での実験失敗を経て、いかに自分が無能で無力かを思い知らされた、あの日から。

 それでも、ぼくには自分を抑圧する何者かが必要だった。だから大地を、父さんを悪者にしながら母を守っている振りをして、母に必要とされる自己を確立していた。

 卑怯だと思う。

 それ以上に空しいと感じていた。

 そうやって生きてきた今、ぼくは一人ぼっちになってしまったのだから。

「もう言い訳は結構です。ただ一つだけ質問に答えられるのであれば、そのまま貴方をご自宅まで送ります」

「…………」

 彼女は、ぼくのことを見透かすような眼差しを向けながら言った。


「――貴方はこれから、どうやって生きてゆくのでしょうか?」


「ぼく、は……」

 そんなの考えられない。

 都合の良い理由や、手頃な障害も失ったのだ。

 誰のせいにもできないし、誰かの為にもなれやしない。

 ぼくは、もう自由だった。

 それこそ何もできないくらい孤独だった。

「……まあ、悪い勧誘にでも引っかかったと思って、これから少し付き合って下さいな」

 そう呟いた彼女は、どこか懐かしいものを眺めるような眼差しと共に微笑んだ。


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