第5章『再生と前進』(1)
数日ほどの自主休暇中。
氷室先生から電話を頂いた際、『おまえさんの進路については、期末テスト後にゆっくりと考えるべきや……今はゆっくり休んどいた方がいい』と、激変した家庭状況を加味してくれた彼からの提案を受け入れた。
なにも変えられなかった。
変えようとしたはずなのに、超過能力者を救える可能性を求めたはずなのに。
むしろ、大切だったはずの人がいなくなってしまった。
でも母さんのいない立花家での生活は、とても居心地のいい毎日です。
煩わしい母の世話はしなくていい。家事は一人分だけ。気楽で穏やかな時間が流れる。
なんて親不孝な子供。
こんな人でなし、ぼくが知る限りぼくしかいません。
無才能者の価値の無い人生が続きます。
異能を持つ特別な存在だったことは、無才能者の絶望しか残せませんでした。
なにひとつ、ぼくの人生は変わり映えしません。
だけど、たった一つだけ申し上げるのなら、自由になったのです。
将来も、希望も、夢も、母のせいにしなくても、よいのです。
嬉しかった。
自分が自分のために生きて行けるなんて。
でも――どうして。
こんなにも自分を殺したくなるほど、憎たらしいと思えるのだろう。
*
「う、く……」
嗅覚が麻痺しているはずなのに、酷いアルコールの臭いがした。
その元は紛れもない、ぼくからだ。種類種別なんて知ったこっちゃない、ただ母さんが遺した台所の酒瓶を眺めていて、未成年の飲酒は固く禁じられているなんて、ふざけた文面が気に入らなくて。
気付いたら栓を開けて、瓶口からダイレクトに喉へ灼熱の液体を流し込んでいた自分がいた。
ああなんてまどろっこしい、一言で済ませばいいんだ、違法上等の自棄酒だって。
くら、くらと、リビングの天井が揺らいでいる。あ、今のぼくは仰向けなのか。
壁時計の方に視線を向ける――午前一〇時。いつ就寝したか全く不明なので、どれくらい睡眠時間を取ったかは分からない。だけど、少なくとも酔いが完全に冷めるほどの時間は経っていないようだ。すっげぇ頭痛い頭痛と、洗濯機みたいにグルグルと胃の中スパイラルな吐き気、声の出し方が分からなくなるほどの喉焼け。
絶賛、二日酔いです。おまわりさん、こちらですよーうふふ。
……そういえば母の葬式があったらしい。父は来ていたらしい、なんだか晴れ晴れとした表情だったとか。ぼくはいなかった。どこにいたかは記憶にない。心神喪失でしばらくは目が離せなかったと、見舞いに来てくれた尋之君から聞いた。あれ、尋之君と一体どこで話したのだろう。
そうだ、病院にぶち込まれたんだっけ、ぼく。四十九院が事態を把握して、系列の病院へと搬送されたんだ……なんか凄く騒がしかったなぁ、尋之君。こんなことになるなんて、とか病室内で言い続けていて、看護士さんから強制退去されるまで謝罪ばかりを口にしていたらしいんだけど。なんでだっけ?
「――か、ふ」
ぼくは生前の母と同じように、自堕落な日々を送っていた。
……部屋の冷房が、タイマーで切れている。でも六月中旬以降の、それなりに暑い空気を吸ったのに、喉が心地良いほど冷たくなった。
さて、これからどうしよう。
人生のたった一歩、今日の過ごし方すら迷子なのです。
(母さんに会いたい)(いやもう死んでるから)(居場所を知ってるじゃない)(居るんじゃなくてあるんだろ)(信じたくない死んだなんて)(確かめてもいい行ってごらん視たくない)
――ぼく、うるさい。
消えてしまえ、死んでしまえ。
「お墓、参りくらい、しようよ。立花、空」
そう呟いて、ぼくはぐらりと、平衡感覚に支障をきたした躰を正面に傾ける、傾ける? 違うそうじゃないだって眼前に迫るのはテーブル――ごっ。
「っ、痛ぅ」
痛いのは、生きてる証拠。
頭部への衝撃に思わず吐瀉しそうになるも、しばらく体勢と共に呼吸を止めて耐え抜く。 ……よし、おっけー。
大丈夫、この足は、まだ立ち上がれる。
リビングから廊下に、自室へと移動し、財布やら携帯電話等を手提げ鞄に放り込んで、そのまま玄関に向かう。
きっと酷い容貌をしていることだろう。乱れた髪が、汗と共にべったりと顔に張り付いているのが分かる。でも、どうだっていい。いなくなった誰かさんの分まで、きちんとする必要なんてない。
ふらふらと覚束ない足取りだけれど。
起床直後よりは正確な足踏みで、玄関の扉から外へと足を踏み出した。
……このとき、ぼくは気付いてはいなかったけど、もし今日が曇天でなければ日差しにやられて道半ばで行き倒れていたに違いない。
*
あっれ、どうやって、ここまで辿り着いたんだっけ?
確か、電車を乗り継いだ記憶はあるのだけれど。
マズイな、ぼく、帰れないんじゃないか? だって、こんな今にもぶっ倒れそうな体調で、だいぶ遠くまで来ちゃってるんだぞ? そもそも墓参りの作法って、なんだっけ? 機会が無かったから知らない、調べておけばよかった。今、携帯で調べればいいんじゃないか? でも液晶を見た瞬間、胃の内容物を戻しそうだし、やめておこう。
飛び飛びの記憶を無理に回想しても、壊れたレコードじみた感覚で、キィキィと脳髄が軋む気がして辛いだけ。とりあえずは立花の墓が位置する墓地に辿り着いたのだから、母さんの眠る場所へ足を運ぼう。
*
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