第4章『オーヴァーズ』(6)
「……大丈夫ですか、空君」
「うん、なんとか。ちょっと出たけど」
「何がですか?」
「いや何でも」
口元の酸っぱい液体を手で拭いつつ、ぼくは先程の超過能力による攻撃を思い返す。
(あれは……あの時と同じだ)
命一つを使い切ってまで、超過能力を最大限に行使する。
七年前と同様に、エリーゼは超過能力者を暴走させて、ぼくらに嗾けてきたのだ。
ぼくの真横で、何かを押し出している方舟さんに言う。
「ここまでのことがあれば、もう警察とかだって動いているでしょう。だから――」
「ごめんなさい、わたしはもう無理です」
「え?」
振り向くと、半分だけ身体を出した車外に出した方舟さんがいる。ぼくは隣の割れた窓から脱出しようと思っていたのだが、彼女は――
「後部座席に割り込んだのがいけませんでした。座席に脚を取られて、しばらくは動けません。さっきのドアを投擲したのが、最期の足掻きです」
「そんな……」
爆発によって大破した車から、火が出始めている。
このままでは、彼女が――
「わたしはいいです。彼らがわたしを殺すことは恐らくない。ですが……この方は別でしょう」
「母さん、か」
彼女は、ぼくの傍で気を失いながら横たわっている。見たところ身体が挟まっているような箇所は見当たらないので、急いで社外に運べば助かるだろう。
だけど、
「厳しい言い方ですが、今の彼らにとっては何の利用価値もありません」
「……待って、ぼくに考えがある。単純だけど、今なら――」
*
あと十数歩の距離まで、エリーゼと超過能力者が詰めてきた。
チャンスは一回きり、それもぶっつけ本番。
(今だ!)
ぼくは車窓から身を乗り出して、うぅ……と呻き声を上げながらエリーゼ達の方へと顔を向けた。当然、超過能力者の視線はぼくに集まる。
一か所に集まっていた彼らを視界に収めるのは、非常に容易かった。
(超過能力抑制・開始――!)
右手に装着したデバイスに意識を集中し、ぼくと視線の交錯した超過能力者に〝能力操作能力〟を仕掛ける。条件は感覚の共有、エリーゼの場合は直接手で触れるという触覚を用いる必要があるけど、ぼくの場合は遠くからでも〝視覚〟を合わせれば発動可能だ。
「しまった――皆、立花空を見ないで! 超過能力を奪われるわ!」
ぼくに気付いたエリーゼは、すぐさま超過能力者たちに注意を呼び掛けるが――もう遅い。すでにぼくの視界内にいる子ども達は、すべて超過能力を失い、使えなくなった力に戸惑って狼狽し始めている。その中にはサキさんの姿もあって、依存してきた力の喪失に絶望している様子があった。
(でも、これで自由は襲われずに済むかな。うぇっ……ぷ)
葉子さんの施術を何十回も繰り返したようなものなので、その分だけ負担は大きい。が、まだ倒れるわけにはいかない。
とうとう固形物が口から溢れたけど、これ以上は吐き戻さないように喉元に手を突っ込んで、思いっきり「ぺっ!」と詰まっていたものを吐き捨てる。
車から這い出たぼくは、ぼろぼろの躰に鞭を打って、エリーゼの真正面までゆらゆらと歩く。辿り着いたぼくの明確な殺意に慄いたのか、彼女は腰を抜かして地べたに尻餅を付いてしまう。
そのとき彼女の左手に嵌めていた、ぼくと同じような〝真っ赤なデバイス〟に気付いた。
(……ぼくのデバイスは大地が造ったものだ。なら、これもまた――)
もう一つの疑念が沸き起こってきたが、それは後で本人に問い詰めれば問題ない。
今は、目の前の因縁に決着を付ける。
「終わりだ、エリーゼ。今度こそ死んでもらう。君は――危険すぎる。さっきも女の子を一人殺した。ぼくは君を許すことができない。肉片ひとつ残らず腐らせて、ここで土に還してやる。ぼくの異能は、そういう風にしか使えなかったことを君が誰よりも知っているはずだ」
「……ぁ」
「あの子ども達の苦しみを味わえ、エリーゼ」
「やだ、道継……助けて。また死にたくない……!」
「――――」
怯え竦んだ彼女の口にした名前を聞いて、ついに疑念が確信へと至る。
でも、まずやるべきをこと終わらせなければならないと、ぼくの手がエリーゼの首に触れる直前――ふと、誰かのことを忘れている気がした。
ひっくり返っている車の方に視線を向ける。
が、そこには方舟さんが車内で蹲ったままの姿だけがあって、もう一人の姿はどこにも見当たらなかった。火が回る前に、エリーゼを処理した後は素早く彼女を回収するつもりだったのに――!
「母さんはどこだ、答えろ! おまえらが何かしたんだろうが!」
「し、てない! だって、いつのまにか、あそこに……」
涙目で背後を指さしていたエリーゼに気付くと、ぼくは彼女が嘘を吐いているのか疑うことなく後ろへと振り向く。
そこにいたのは、母さんだけじゃなくて――
「……え?」
なんで大地が、そこに?
ありえない人物が道路の向こう側にいた。
しかし、どことなく雰囲気が違うような。
まるでそっくりな人が、たまたまそこに居るだけの違和感。
「って、母さん! なんで道路に飛び出して――っ!」
待って。
母さん、行っちゃ駄目だ。
その〝美作大地〟は、恐らく超過能力者が作り出した幻だ。
もう彼はアメリカに舞い戻っている。またTMIの海外展開で、しばらく日本に帰ってこないとも言っていた。
だから今日、ぼくが施術をするというのに不在で。
轟音が迫る/ぼくからは遥かに遠い/クラクションは鳴らなかった/飛び出したのだから間に合わなかったのだろうか/母さんが近付きつつある巨体に振り向く/〝美作大地〟は無表情で眺めていた/母さんが腕を〝美作大地〟の方へ伸ばす―/―届かない。
母さんが吹っ飛んだ。
十字路の中央を超えた辺りで着陸し、跳ね上がる。また、再度、絶えず、繰り返す。
転げまわる、というよりアスファルトの方を削るべくして叩きつけられているかのような、酷い暴力性と人命の冒涜。地面と衝突するたびに、ずたずたに衣類が、肉が、血が、へばりつくかのように道路を染め上げてゆく。
さながら真っ赤な塗料と襤褸切れで、黒板を彩ってゆくかのような、幼稚な絵遊び。
そして、ようやく。
視線の先で、真っ赤な粒のようになってしまった、母さんが、止まった。
ああ、ここからだと、遠いんだ。
でも、今は大丈夫だ。車が、止まってくれている。
だから、そのまま、母さんの元に行こう。
母さん。母さん。今、助けるから。
そうだ、今のぼくは、昔のぼくとは違うんだ。
超過能力に苦しむ少女を一人救ったんだ。
母さんだって、治してみせる、直してみせる、なおしてみせる。
……どうやって?
超過能力の覚醒なんて、ぼくにはできない。おそらくエリーゼは超能力によって自身を蘇生させたのだろうけど、それをぼくが再現することは不可能だ。
「う、うわぁああぁあああああ!」
遅れて、大地のような〝少年〟が悲鳴を上げる。
超過能力者だったであろう少年は、どうやらエリーゼの危機に無我夢中で、超過能力を使って美作大地に〈擬態〉してしまったのだろう。人質にでもして、ぼくからエリーゼを解放させるつもりだったようだ。目の前で、人が死ぬとは思わずに。
そして、
「大地。迎えに、きて、くれたの……」
「え?」
ぼくの顔を見つめた、その虚ろな目。
母さんは最期まで、あの人の名前を呟く。
「やっぱり……ぼくは、いらないんだ」
「大地、大地……」
家族にこだわっていたのが馬鹿らしくなる。
ぼくの独り相撲だったことに気付いて、なにもかもが阿呆らしくなる。
――自分に縋りつく母の手を振り払って、ぼくは空を見上げた。
なにも見たくなかった。
周囲に人だかりができていて、エリーゼや超過能力者たちが退散したことで助かったのだということすら、もうどうでもよくなっていた。
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