第4章『オーヴァーズ』(5)


 閃光に目が眩んだぼくに訪れたのは、腹部への衝撃だった。

 次に、米俵でも担ぐように持ち上げられながら物凄い速さで移動させられ、ぼくは嘔吐感に苦しみつつも投げ飛ばされやしないかという不安に囚われながら、担いだ本人にしがみ付くほかなかった。

 指先に柔っこい感触がして、妙に心が躍ったのも束の間――案の定、ぼくは硬いクッションのようなものの上へと乱暴に投げ下ろされた。

「がはっ!」

「……不可抗力ですね、仕方ありません」

「え? あ……その声、まさかメイドさん?」

 あの時の怜悧な印象のある声が、ぼくの麻痺した耳に心地よく響き渡る。

まだ光にやられてぼやけるけれど、なぜか彼女が胸元に手を遣りながら震えているのがわかった。

「聴覚は戻ったようですが、もろに閃光で目がやられましたね。ご安心ください、貴方の母君も無事です。お隣にいますよ」

「あ、ありがとう……」

 メイドさんの言うとおり、衝撃に耐えきれなかったのか気絶した母さんが横に座っていた。後ろで扉が閉まる大きい音がして、ようやくぼくはここが車内であることに気付いたのだった。

 すぐに助手席へ座ったメイドさんが、運転席の男性に「離脱します」と声を掛けると、車は一気に加速して病院から飛び出すように走り始める。

敷地内から出て公道に入っても、制限速度なんて完全に無視して運転手は車をかっ飛ばす。しばらくしてぼくは視力を取り戻すと同時に、景色が矢のように飛んでいくのを見て酔ってしまう。ふたたび嘔吐感に襲われたところで、メイドさんが口を開いた。

「哀神方舟(あいがみノア)です」

「え?」

「あらためて自己紹介させていただきます。哀神一属が一人、方舟です。道継の従妹といえば分かりますか。ちなみに哀神としては道継に仕えている身です。隣で運転している者も、一属の者です」

「…………」

 ああ、道理でメイドさんがスタングレネードぶっ放す訳だ。

 思いっきり裏財閥、それも道継のところじゃないか。

「っていうか……あいつ、従妹にメイド服を着せて奉仕させてるの?」

「はい」

「やべぇな、変なことされてない?」

「……貴方も相当にやべぇ自覚はおありですか?」

「ん?」

よく見ると指にボタンと糸くずが引っ付いている。

車内のサイドミラーを見ると、助手席に座っている方舟さんのメイド服の胸元からは、零れんばかりの真っ白な肉の果実が車の振動でたゆたゆとしていた。

「……すげぇ」

「まずは謝れよ何なんだよ父子揃って変なところで似てんじゃねぇよ……わたし、こんな奴のことを気に懸けてきたっていうんですか」

「あ、ごめん。これ貰うね」

「あげません! わたしにボタンを寄越しなさい!」

「え、なんでさ! っていうか君、なんか普通の哀神と違うね……なんだろ、君のこと知ってるような知らないような……って、うわ!」

 素が出たのか、彼女は後部座席に振り返っては片腕で胸元を抑えながら、ぼくの手からボタンを奪い返そうとする。

 が、彼女がぼくの後方へと目を向けた途端、手元のボタンではなく、ぼくの頭を掴んで伏せさせる。髪を引っ張られて痛いなぁ――と思った瞬間。

 突如として車が弾き飛ばされ、ぼく達は車内でガラス片に塗れながら揉みくちゃにされる。そして、ひっくり返った景色の先に、一人の少女が真っ赤な血を噴き出しながら倒れ伏すのが見えた。


         *


 ――〈爆血(エクスプロード)〉

 異能を発動した少女――蘇芳命は両手の爪から勢いよく血液を発射し、標的であった黒塗りの車に命中させる。その直後、血液は凄まじい威力で爆発しながら燃え上がり、その車を容易くひっくり返した。

 遙か遠くの道路のド真ん中で停止した車を見て、病院から抜け出したばかりの少年少女たちは安堵する。

 そして――

「……後はお願いします、エリーゼ」

「うん、お休み。安心して、もう蘇芳は〝コピー〟しておいたから。また後でね」

 その言葉を最期に倒れ伏した彼女は、手からだけでなく全身から血液を噴き出して事切れた。先程までエリーゼは彼女に触れ、超過能力の威力を底上げするべく〈超過能力覚醒〉を重ね掛けしていたのだが……たった一回だけの行使で、まだ体に変調をきたしていなかった蘇芳は一瞬で衰弱死してしまった。

 倒れ伏した彼女を置き去りにして、エリーゼは呟く。

「うーん、やり過ぎちゃったかしら。でも死にかけていたなら、わたしの〈再生〉で何とかなるし。あ、でも三人纏めて死なせちゃったら、さすがに再生速度が追いつかないわ」 後悔を口にする彼女だが、それとは裏腹に軽妙なステップで上下反転した車に向かう。

 他の超過能力者たちも、ぞろぞろと自身の元に集まってきたところで――

「……っと!」

 車のドアが内側からもぎ取られた瞬間、それは車内から飛び出た嫋やかな細腕によってブーメランのように投擲され、自身の元へと勢いよく向かってきた。

 が、エリーゼは腕を振るい、難なく投擲物を弾き返す。アスファルトの上をひしゃげた鋼の板が、がらんごろんと転がっていった。

「痛ったー……なんか全然元気みたいじゃない」

 車内から、女性一人を外に運び上げているメイド服の少女を遠目で見える。

 エリーゼは彼らの反撃に警戒しつつ、車と距離を詰め始めた。


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