第3章『それは才能と呼ぶには超え過ぎた能力』(5)

      

 車が辿り着いた場所は、能力開発研究所だった。

 数年ぶりに訪れた建物は少し薄汚れていて、新築の当時には感じられなかった不気味さがあった。曇天だったこともあったのだろうけど、ぼくは研究所に入るのを躊躇ってしまう。

「さて、空はすべての真相を知っているだろうけど……尋之君は、姉の葉子さんが研究所で何をしていたのか、あまり知らないだろう。前にしていた約束どおり、すべての真相を話そうか」

「はい、俺は超能力覚醒実験に参加していないので。実験が終わってみたら、姉さんが七年も失踪する羽目になって、それから両親の仲が悪化して……姉さんの知らない間に、家族は壊れてしまいましたから、誰にも訊くことはできませんでした」

「辛かっただろう。だが、もう不安に思うことはない。これから超能力覚醒実験のことと、才能開発システム〝ブルーミング〟について、この能力開発研究所という現場を巡りながら説明するよ。葉子さんを救うのは、それからだ」

 どうやら尋之君は葉子さんと違って、超能力事情に精通していないらしい。

「空も、昔のことを思い出しながら付いてきて欲しい。君が依頼内容を果たすには、過去を省みることが必要不可欠だからね」

「……うん」

 頷いて、ぼくは気が進まないけれど彼らの背中に付いていった。

 

         *


 七年前。

 空と道継は実験やテストを終えたあと、いつものように中庭で一緒に寛いでいた。

「……父さんが、ぼくに妹を造ってあげるって」

「どういうこと? 俺には全然わかんないよ」

〝妹を造る〟という言い方に背筋が凍った道継は、否定的に頭を振った。

 それを見ていながらも、空は平然と話し続ける。

「新しい家族なんだけど、普通とはちょっと違うって。だから造られた妹を改めて生み出す時に、ぼくは立ち会わなくちゃならない。ぼくの異能を使って、心のない亜人で出来た躰に、別の亜人の脳を使って精神的に進化させるんだってさ。方舟さんだっけ? 彼女のおかげで実験の目途がついたっぽい」

「また難しいことを……妹を造るっていう言い方の時点で、ヤバい話だとしか思えないしさ」

「そんなことないよ。ぼくの強すぎて猛毒にしかならない〝能力操作能力〟を、もっと薄めて超能力を覚醒させる薬にするような感じの、そんな異能を持って生まれてくるんだよ。ぼくの妹は」

「ごめん、マジで何を言ってんのか分からん」

 その後、空の妹らしき者――〝立花絵理世(エリーゼ)〟は研究所に現れた。

 彼女の正体は、二種の亜人を組み合わせて生み出された人造人間〝エリーゼ〟だ。

 哀神方舟と同様に、空によって人格を後天的に芽生えさせられた最初の一人目でもある。

 素材の一つは、偶然にも交通事故に遭ってしまったショックにより主人格が死んでしまい、心を失った亜人・叉蛇――すべての人格を失った多重人格者の少女。

〈叉蛇(サーシャ)一属〉は、それぞれ異なる能力を持つ人格を複数有しており、海外に拠点を置く裏財閥・天上院家が日本に持ち込んだ外国産の亜人のことである。

 その空っぽになった脳髄を哀神の肉躰に移植し、空の異能によって脳の能力を操作して新たな人格を一つだけ芽生えさせる。それから、叉蛇の複数人格の生成・搭載という亜人的機能を応用し、空の異能を一部だけ脳髄に複写することに成功した。

 こうして生み出された〝立花絵理世(エリーゼ)〟は、空の異能〈能力操作能力〉を小規模化し、加えて対象の少年少女の超過した能力を調整し、異能として扱えるようにする〈超能力覚醒能力〉を有していた。

 ……彼女は、そのためだけに生み出された〈超能力覚醒器〉という道具でしかなかった。

「うん、なんかヤバいな」

「どの辺が?」

「〝人造人間〟って奴だろ。この研究所、人間を造るなんて禁忌に手を染めはじめたのかよ。本格的に命の危険を感じてきたぜ」

「そんなものかなぁ」

「それに、もしそいつが〝失敗作〟だとしたら、研究所の連中はどうするんだろうな」

「どうって……普通の女の子として育てるとか?」

「…………」

 道継の脳裏に〝モルモットの廃棄処分〟という言葉が浮かび上がる。

 しかし、目の前で平和ボケしている空に、そのことを伝えるのは気が引けてしまった。

 結局、道継は超能力研究の終焉が訪れるまで、空に待ち受けるであろう責務を告げることはできなかったのだ。


          *


 道継の予想どおり、超能力覚醒実験が頓挫すると、〈超能力覚醒器〉であるエリーゼもまた廃棄処分の命が下された。

 しかし生まれて数ヶ月とはいえ、空や道継たちと同年代の少女としての人格を持っていたのだ。

 当然、死の恐怖に駆られた彼女は、過剰なまでの自己防衛をするべく――子ども達を超過能力者に覚醒させ、超過能力を暴走させることで次々と研究員を殺害し、能力開発研究所からの脱走を企ててしまう。

 その結果……ぼくは超過能力による惨劇を止めるべく、自身の〝能力操作能力〟による生命力の枯渇効果を用いて、彼女の息の根を止めた。

 ぼく達三人は、エリーゼの研究所脱出まで目と鼻の先だった場所にいる。

 七年前のここで、ぼくが彼女の前に立ちはだかり、無事に事態は収束した。

「ここが子ども達の集まっていたエントランスの広間だ。遊具や児童書の立て掛けられている本棚があるのは、その名残といったところかな。僕は現場に立ち会っていなかったから、詳しい状況までは知らないのだけど」

「エリーゼという少女によって超能力を覚醒させられたということは……姉さんや空さんのように、子ども達みんなが超能力者という訳ではなかったんですか」

「え? 葉子さんは、ぼくと同じ先天的な異能者だったの?」

「はい。姉さんが能力開発研究所に招かれたのは、先天的な異能〈隠滅〉による副作用や突発的な発動といった暴走を治すことと引き換えに、超能力のサンプルとして研究に貢献するためでした」

「そっか……そりゃそうだよね。ぼくと違って亜人の血による異能ではなく、不完全な超過能力を生まれ持っているから苦しんでいるんだ……」

 ちょっとだけ仲間を見つけたと思ったのだが、残念ながら勘違いでしかなかったようだ。

 溜息を吐いたぼくに、大地は馴れ馴れしく肩に手を置く。

「空、僕が言うのもなんだが、異能に代償のない君は奇跡とも言えるほど特別だ。生まれながらに超能力を持って生まれてくる一般人の子どもも、ごく稀にいる。だけれど〝人間を超えた力〟に、人間という通常種の器は耐え切れない。君が平気でいられるのは、先祖返りの亜人混血者だからだよ……我が子ながら、君は本当に素晴らしい〝人外的存在〟だ」

「あっそ」

 手を振り払って、ぼくは息子を〝人でなし〟呼ばわりした彼を睨みつける。

 正直、優秀なモルモットのように褒められても嬉しくなんてなかった。

 ぼくのぞんざいな返事を受けて流石に堪えたのか、それとも尋之君という他人様に見られて恥ずかしいものがあるのか、大地は苦笑いしながら歯切れの悪い声で言った。

「あー、まあなんだ。とにかく超能力実験は、〈超能力覚醒器〉であるエリーゼの暴走によって失敗に終わった」

「……ずっと思っていたんですが、エリーゼって子は造られたとはいえ人間なんですよね。そんな彼女を〈超能力覚醒器〉なんて道具のように呼んだり、自ら生み出した命でありながら、都合が悪くなると殺処分するだなんて、正直……」

「僕らが、いわゆる悪の研究に手を染めてるように見えるかな?」

「まあ、そうですね。一般人から見ると、狂気の沙汰としか」

「そうだね。でも君こそ勘違いしてはいないかな? 一般から見て異常でも、僕ら裏財閥にとっては普通だよ。造ったのは僕たちだ、エリーゼの命は僕らが安全に管理するさ。その結果、貴重なサンプルを失うという手痛いことになったけど、脱走した彼女が一般人に危険を及ぼす前に殺処分することに成功したんだ。これのどこがおかしいかな?」

「………えっと」

 あ、尋之君が大地にドン引きしてる。  

 でも、こんなのは序の口だ。幼い頃のぼくには分からなかったけど、大地は人畜無害な優男のように見えて、実際は鬼畜外道の屑なのだから。

 彼は平然と息子を実験に利用し、邪魔になると母親ごと置き去りにする。中学に上がった頃、ぼくが彼に「帰ってきてほしい」と言ったときに返ってきた言葉は「君の実験は終わったから、もういい」だった。

 独善的な癖に、綺麗な理想を口走るものだから、幼心に父を慕いつつ、信じ切っていたぼくは美作大地という〝外道科学者(マッドサイエンティスト)〟に騙されてしまった。

「移動や過去の話を聞いて、すこし疲れただろう。休憩所まで案内するよ」

「…………」

 気遣う彼だけど、もうぼくだけではなく尋之君からも信用を失っている。

 ぼくらは少し距離を置きながら、警戒気味に大地の背中を追ってゆくことにした。


         *


「そういえば超能力――もとい〝超過能力〟について、まだ尋之君は理解が及んでいないだろう」

「……どうして貴方たちは超能力と呼ばないんですか?」

「それは失敗したからだ。君が超能力と呼んでいるものは、代償ある失敗作に過ぎない。僕らが完成させたかったのは代償なんていらない、人を超えた異能の超能力。代償の有る無しで、ただ区別しているだけさ」

 大地の説明に納得して、尋之君はうなずく。

次に、大地は休憩所の棚から幾つかの紙コップを取り出し、冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルとオレンジジュースの紙パックを机の上に置いた。それからマーカーペンを机の上から手に取る。

椅子に座っていたぼくらは、いきなり目の前に出てきた物に注目してしまう。

「ここにMサイズと、Lサイズの紙コップがある。それぞれを人間、亜人とする。そしてSサイズの紙コップを才能値と仮定する」

「……えっと?」

「わかりやすくした喩えだよ」

 ペットボトルの蓋を開けると、彼は口を傾けて水を紙コップのそれぞれに注いでゆく。

「それでね、このMサイズの紙コップに水を半量注ぎ込む。そして、このMサイズの紙コップからSサイズの紙コップに幾つか分けて水を注ぐ。これが普通の人だ。ほら」

 ――Sサイズの紙コップ(才能値)には、それぞれ量の異なる水が入っている。

「能力というのは、この水の量で決まる。総量が少なめでも、ひとつの才能に集中して能力が注がれていれば、その人は才能というものを持つことになる。この最も多量に水の入った紙コップが、その才能値A、すなわち有才能者に相当する能力を意味する。この才能を意味する水の量に、マーカーを引いておこう」

「…………」

 Sサイズの紙コップに入っていた水を、元のMサイズに注ぎ戻す。

 それから空になった紙コップの中に、〝才能〟に到達する値を意味する線を描いた。

「もちろん水の総量が多い者も中にはいて、いくつも才能を獲得することもあるだろう。しかし、残念ながら才能に届かない水量を、それぞれSサイズの紙コップに注いでしまえば、才能を手に入れることはできない」

「つまり才能計測器は、このSサイズの紙コップに注がれた水の量を測って、才能を見つけ出すものなんですね」

「違う。才能計測器は〝才能を計測していない〟」

「――は?」

尋之君は、才能計測器――〈Talent Measuring Instrument〉の真相を聞いて呆然とする。

 そんな彼に畳みかけるよう、大地は容赦なく説明を続けた。

「あらかじめSサイズの紙コップには線の位置まで、すなわち才能の分だけ水を注いでおく。それからMサイズの紙コップ、すなわち人間の中に前と同じ半量の水注ぎ込む。この二つを、ここに用意する」

 ぼくらの前に、普通の人間と〝才能〟の紙コップが現れる。

「これが有才能者になる条件だ」

「……どういうことですか」

「才能計測と呼ばれているシステムの正体は、こういうことさ」

 大地は手にしたSサイズの紙コップ――天才の才能値で満たされている物から、すでに半量ほど満たされているMサイズの紙コップ――すなわち〝人間〟に水(さいのう)を注ぎ入れた。

 彼は、才能開発システムの正体を告げる。


「才能計測器は、後天的に〝才能を与える〟ものだ」


「――――」

 尋之君が絶句した。

 Mサイズの紙コップ。すなわち人間に、後天的な才能を意味する追加の水――才能を注ぎ込んでいった結果、コップの縁近くまで〝才能が人間に溜まっている〟

 今にも零れんばかりに揺らめいている水面を眺めながら、大地は言う。

「この後天的に与える才能は、Mサイズの紙コップから溢れ出てはならない。元々、紙コップに入っていた水量が人よりも多めで、これが溢れるというのが超過能力者なのだ。超過能力者は溢れ出るほどの水量、すなわち生命力の流出に耐え切れず衰弱して、やがて死に至る。葉子くんのようにね。つまりTMIは、リミッターを掛けられた超過能力覚醒器でもあるのさ」

「……溢れ出た水が、どうして才能ではなく超能力――超過能力になるんですか?」

 尋之君の質問に、大地はLサイズの紙コップを手にして答える。

「このLサイズの紙コップを、異能を持つ亜人、もしくは亜人混血者と仮定する。亜人のことは詳しく――」

「知ってます。姉さんは純粋な人間で、空さんと大地さんは確か亜人の先祖がいるとか」

「そう。で、空や他の亜人は、こちらのLサイズまで水量に耐えられる。そして――Mサイズの紙コップが一杯になるほどのを水を、こちらに注ぎ込んだうえで、追加のオレンジジュース……〝異能〟もまた注ぎ込める」

 大地はMサイズの紙コップから、水をLサイズの紙コップに移すと、躊躇なくオレンジジュースを注ぎ込んだ。

 大量の水で薄まったそれは、正直もったいなく思えるが、突っ込むのも時間の無駄なので、ぼくらは大人しく彼の話を聞き続けた。

「さて、これが立花空をはじめとした異能者だ。彼らは人間を超えた力を持っていながら、それを溢れさせることなく保有できる」

「そこは普通の才能を、他人よりも多く持つんじゃないんですか?」

「そういう人よりも優れた才覚を有する亜人が専らだ。しかし中には、異能を才能の代わりに獲得する者もいる。それにオレンジジュース……異能は、一般人の容量以上に水を注いだうえで、ようやく手に入れられるという、いわば大容量のものだ。人を超えた能力は、常人の限界容量を突破しなくてはならない。もし亜人でもない人間が本当に超能力を実現したのなら、人間未満の異能人外生命体、つまりは新しい亜人に進化して出来るだけだろう。それは、僕らの求めるものでは到底ない。ただの怪人、バケモノだ――もっとも、そうなる前に君の姉のような末路を辿るだろうが」

「っ……いえ、なんでもないです」

 口元を手で覆いながら、尋之君は頷く。

「先程、無才能者は水量――生まれ持った能力が常人よりも多いことを話したね」

「はい」

「では、あらためてMサイズの紙コップ――普通の人間に〝才能〟という水を満タンまで注ぎ込み、それから異能のオレンジジュースを無理やり注ぎ込もう」

「え?」

そう言った大地は躊躇なく、宣言通りのことを実行する。

大地の両手にある水のペットボトルに加え、オレンジジュースを限界以上に注がれたことで、Mサイズの紙コップからは薄黄色の混合物が、ぽたぽたと机の上へと溢れ出す。

「落ち着きたまえ、後で拭いておく……この無理をした結果、命を零してでも異能を行使する超過能力者が生まれた」

 Mサイズの紙コップには、亜人と仮定したLサイズの紙コップと同様に薄いオレンジジュースで満たされているのに、ずっと大地がオレンジジュースを注ぎ続けるため、ずっと飲み口から内容物が机の上へと零れ落ちてゆく――

「……こうして彼ら超過能力者は誕生した。だが亜人と同じ総量に、人間の器は耐えられない。代償として、彼らは寿命を引き換えに異能を行使することになった。個人それぞれで様々な異能力に覚醒するが、それをエリーゼによってコントロールする――すなわち注ぐ才能(水)を異能(オレンジジュース)に変えることで、ある程度の実用性を確保した超過能力を得るまでには到達した――命を削る代償だけは変わらず残したまま。それが当時の、そして今に至るまで超能力研究の限界だった」

 

         *

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