第3章『それは才能と呼ぶには超え過ぎた能力』(1)


 七年前の能力開発研究所、その中央区には中庭があり、そこは立花空の実験場となっていた。

 が、今では実験は終了し、その周囲には溢れんばかりの花々によって彩られた植物園と化していた。 


「とても綺麗だけど……ごめんなさい」


 噴水場の前に腰かけていた空は、物悲しそうに呟きながら実験のことを思い返す。


 つい数日程前、実験用の植物と土壌を用意され、彼は能力操作能力の実験を行った。結果、能力を行使したことで植物の種は急成長し、当時は更地だった場所が花と樹々に彩られた庭園となった。

 庭園を調べると土からは一切の養分が吸収され尽くされており、このまま放置していれば数日と保たずに、絢爛な風景は枯れ果ててしまっていたであろうことが判明する。とりあえず液体肥料を投与したものの、成長段階を飛ばして花を開いた草花は、栄養状態に関わらず短い期間で枯れる運命にあった。


 ……成長する、ということは寿命を削ることと同義だ。


 彼の異能〝能力操作能力〟は、生命の潜在能力を引き出して成長、進化を促すが、その代償として対象の寿命を大きく削ってしまう欠陥がある。

 そして力のコントロールは七年後の現在に至っても改善が見られず、天然の異能であるが故に空一人では生物を腐らせて死なせること以外できない、呪いのような力でしかなかった。


「体力は有限なのに、全力疾走して無理が祟っているようなものだ。実験とはいえ、ぼくの能力で生き急いじゃった彼らには申し訳ないよ」


 手を伸ばして、空は枯れかけた花弁を一つ摘むと近場の水路に落とす。

 ちょっとした手入れに暇を潰しているとき、草花の間から少女が佇んでいる様子が窺えたので、彼は声を掛けた。


「君、いつも道継の近くにいる子だよね。なんかいつも悲しくもなくて、楽しそうにもなくて、よく分かんないんだけど……まあいいや。道継はどうしたの?」

「お手洗いです。まだ、この後に面会がありますから、急ぎの用でないのであれば、言伝を預かりますが」

「こ、ことづ……? 難しい言葉を知ってるね、君。同い年のぼくらより頭よさそうだけど。道継に用事とかは無いよ。まあ暇そうだったら一緒に遊びたい、なんて思うけどね。それより、ぼくが気になってるのは君のことなんだよ」

「わたし、ですか?」

「そこ、思いっきり花を踏んでる。寿命が近いとはいえ、せっかく育てた花なのに酷いよ」

「はい?」


その少女は、ぽおっとした顔でひしゃげた足元の花を見つめていたが……メイド服の裾を手に取りながらしゃがみ込むと、「……景観の邪魔になりますね」と呟く。

 それから踏みしめていた花に手を伸ばし、ぶちぶちと毟り取ったのだった。


 ……そんな乱暴な姿に、空は思わず注意する。


「ちょ、乱暴に千切らないでよ。元々は実験用に植えた花で、ぼくの異能を受けて咲いたから寿命も残りわずかだけれどさ……さすがに綺麗で可愛らしいそれを、真顔で踏みしめたまま何も思わないってのはどうなの?」

「これら実験用植物に鑑賞用以外の他用途は無いはずなのですが。命を粗末にしたことが不快でしたか?」


 振り返った彼女は、平然と掴み上げた花の残骸を抱えながら空に訊き返してくる。 


「それだけじゃないよ。こう言ったら偏見だとか反論されちゃうかもだけど、女の子なんだから綺麗だとか可愛いものとかに思うところってのがあるでしょ。ぼく、女の子じゃないから、ちょっとよくわかんないけど」

「わたしたち哀神の一属は、人の心を持ちません。あなたの感情と共感することはできません。感性や情動の欠如がある代わり、我々〈哀神一属〉は学習能力と身体の頑強さを手に入れていますから」

「そんなの、まるでロボットみたいだよ」

「たしかに我々〝哀神一属〟の理想形は、人に従事する忠実なロボットであるとされています。よって、そのように振る舞い働き続けるよう心がけています。ですから、我々を人間扱いする必要はございません――見た目が人と同じでも、心が無いのですから」

「……道継にも、そう言ってるの?」

「はい。ですが聞き分けがなく、こうしてわたしを不要に連れ回しながら、楽しかったか、とか面白かったか、なんて訊いてきます。人間ではないわたし達に、そういった感情的な機能は無いのですが」


 哀神一属は例外なく、高い身体・知的能力を得たことの引き換えに精神的な欠陥を抱えた亜人である。

 一介の亜人に過ぎない彼女が実験に加わっていた理由は、自身が仕える主であり、実の従兄でもある都城道継と行動を共にしていたからだった。


 ……誰も想定していなかった。

 空が、彼女に異能を行使することなど。


「道継だけじゃなくて、ぼくの目にも普通の女の子にしか見えないんだけれどね。でも、そんなに言うんだったら、本当に君は人間じゃないんだろう。よし、やってみようか」

「はい?」

「心が無いなら造っちゃえばいいんだ――哀神の性能を超えた〝感情〟って奴をさ」


 空は自身の異能を〝人間に使うな〟と、父親である大地から強く言いつけられていた。実験用ラット、草花を容易く殺してしまうような、そういった危険な能力であることが判明していたから。


 ――しかし、亜人に使うなとは言われていなかった。


「ちょっとこっち来て」と言って自分の元に来させると、空は方舟の額に手を翳しながら彼女と互いに見つめ合う。

 五感の一つを互いに共有する――その条件を満たした〈能力操作能力〉は発動し、哀神方舟の潜在能力に作用しはじめる。

 そして人の心を持たないと言った彼女に、情緒の発達が始まった。

 感情を持たないとされる哀神の〝感情の発露〟――それが彼女の最初に覚醒した能力――ある意味では哀神にとっての〝超能力〟だった。


 握りしめていた花が無惨に潰れているのを見て、


「――ぁ」

「おめでとう、これで君は、ようやく人と同じ気持ちになれるね」


 哀神方舟は、はじめて泣いた。

 空の異能により、精神に大きな欠落を持つ亜人の一属でありながら、人と同じ感情を手に入れていたのだから。綺麗な花を踏みにじってしまった罪悪感に泣くという、幼い女の子らしい感情の発露に至っていた。


「うぅ、ぁあああ……わたし、なんでこんなこと」

「い、いきなり泣き出すとは思わなかった……まるで生まれたばかりの赤ん坊みたいだね、今の君は。というか、本当に成功するなんて。ムカっときたから勢いのままやっちゃったけど、もしかしたら失敗して死なせちゃってたかも……あっ、しかも黙って能力を使ったの、父さんに怒られそう……うーん、どうしたものか」


 これは実に幼稚で、独善的な行いだった。

 しかし、この一件により父――美作大地から叱責された空を〝最初の少女〟――方舟だけが、しばらく味方としていてくれることになる。

 たとえ空にとっては父親に怒られたという嫌な過去であるに加え、そのことから方舟が嘘を吐いていて、彼女は亜人ではなく人間だったから怒られたんだと勘違いした挙句……あろうことか、それ以降は交流の無かった方舟のことを忘れてしまっていたとしても。


「なんで方舟が泣いてるんだ? 俺がどれだけ頑張っても顔の筋肉ひとつすら動かせなかったのに……一体、どうして。空? まさか、おまえの仕業か?」

「うん、そうだけど?」


 トイレから帰ってきた道継は、事態に気付いて駆け寄る。

 それから一応は事情を一通り聞いたものの、彼は親の言いつけを破って従妹に危険過ぎる異能を行使した空に対して、拳を震わせながら言った。


「くそ、どうすりゃいいんだ。なんか知らんけど、ようやく方舟が普通になったのを喜ぶべきか、従妹を泣かせた奴に怒るべきか」

「ちょ、ちょっと待ってよ。ぼく悪いことしたの?」

「いや、今まさに悪いことっつーか……異能、使うなって言われてたろ。おまえ多分、こいつに異能を使って泣かしたろ?」

「えー、でも彼女の方から、自分は人間じゃないって言ったし」

「俺の従妹は人間だ、哀神だろうが知ったことかよ! そうやって皆が亜人を人間扱いしないから、ずっと彼女たち亜人が酷い目に遭わされ続けてるんだよ……!」

「あっ、えっと……ごめんなさい。って、そういえば従妹なの?」

「なんて空に構ってる場合じゃない。大丈夫か、方舟?」

「……空くん、だっけ?」

「うん」

「あ、俺のことは無視? お兄ちゃん悲しいなー」

「ごめん、なさい。今のわたしは普通じゃない……いえ、これが普通の人間、なのかな。わたし、空くんの育てた花に酷いことをしてしまいました。どう、すれば」

「それはまあいいよ、もう気にしてないから。あと君のお兄さん――従兄の方が怒ってるけど」

「大丈夫。うちの従兄が面倒な人でごめんなさい、空くん」

「……俺の扱い酷くないか?」


 理不尽なまでのスルーに、道継は涙目でぼやく。

 そんな従兄を横目に、方舟は空のことで頭が一杯になっていた。

 ……それから研究所を出た後も、立花空と別れてからも彼のことを思い続けてきたのだ。


 哀神方舟にとって人生の始まりは、亜人・哀神である自身が本来持つことのなかった感情という人らしさを手に入れたとき――すなわち空との出会いだったから。


         *

 

(……懐かしい夢を見ていました)


 伸びをして息を深く吸った方舟は、自室のベッドから起き上がって時刻を確認する。

 

 睡眠時間は、およそ五時間。いつもより長く眠っていたらしい。亜人である哀神の特性は人間離れした身体能力と機能であり、睡眠時間は常人の半分以下である。しかし今日は少々寝坊してしまったようだ。


(本来ならば、道継の仕事であるはずのTMI事業。今週はプライベートが忙しいとのことで、在宅ワークだけ代行するよう頼まれましたが……わたし自身も女学院生活との両立に、すこし無理をしてしまいましたか。わたしも哀神としての性能に不備はありませんが、さすがに道継のようにはいきませんね。デザインされた混血種は純血の能力を上回りつつも、亜人特有の欠陥がない――ただ、人工的な成功例だからこそ、彼は自然に生まれた先祖返りの異能者である立花空に惹かれるのでしょうか)


 寝起きの頭は取り留めのない思考に浸ったままで、方舟は過去のことも想起する。


 ――あれは、ただの偶然でしかなかった。


 空の気まぐれで、亜人でしかなかった彼女は人の心を手に入れた。天然物の異能を使うということは制御に難があることから、とても危険な行為ではあったが、幸い亜人の異能に対する耐性は高く、大事には至らなかった。

 もちろん、その後は異能の亜人被験者として空と離別することになり、そのまま再会することは一度も果たせていない。


「でも、これは七年ぶりに本人と出会うということですよね、道継」


 ベッドから這い出た彼女は、近くのデスクに置かれた便箋を手に取る。

 これを書いたのは彼女ではないが、なぜかこれを空に届けるよう道継から言いつけられていた。


「……手紙くらい自分で渡せばいいでしょうに。同じ学校なんだから」


 不満を呟いた彼女は、クローゼットに向かって着替えを始めることにした。


         *


 方舟は放課後の学校帰りを予測し、家の前で便箋を受け渡す相手が来るまで待っていた。

 咲命館高校の時間割を把握したうえで予想した帰宅時刻どおり、自宅に帰ってくる空の姿が道の角から見えた。


 すっと忍び寄るように近づくと、彼女は空に声を掛ける。


「少々よろしいでしょうか?」

「ん? って、なにそのメイド服! しかもコスプレっぽくなくて本格的だなー……着心地とか、どんな感じ?」

「昔と変わりませんよ、服装は」

「……昔?」


 どうやら方舟のことが、記憶の彼方へと消し飛んでいるらしい。

 空はポカンとて口を半開きにしながら、彼女を前に突っ立っていた。


(警戒心とか、普通はそういうものがあるでしょうに……)


 不用心な振る舞いに呆れてしまうが、とりあえず先に仕事だ。

 方舟は空に手紙を手渡す。


「こちらをどうぞ」

「ん、これは随分と可愛らしい便箋だね。ひょっとして君の? ラブレターとか」

「違います」

「嘘だぁ、そんなに恥ずかしがらなくてもいいんだよ。そうだ、ぼくとメイド服について話そうか。とても興味ある。俄然、気になって仕方がない」

「……他人から代わりに渡すのを頼まれただけです」


 なんだか彼の視線に危険さが増したような気がして、事務的な対応になってしまう。

 他にも何か、久しぶりの再会であることを教えて想い出話とか、自分が彼にどのような想いを寄せてきたのか、方舟には色々と伝えたいことが胸の奥にあるのに。


「そう、残念だよ。どこで売ってるのか訊きたかったのに」

「え?」

「ああ、でもこれから暑くなるし、買ったばかりで着ることなく秋まで待たなくちゃいけないか。ぼくったらドジなこと考えてるなぁ」

「…………」


 おかしい。七年前は異能関係以外では常識的なはずだったが、やや性癖に歪みがあるように思えてならない。


 かつての恩人であり、陰で慕っていた彼女は時の流れに残酷なものを感じつつ、震え声で必要事項を述べて別れることにした。


 ……すっかり自分のことを忘れてしまったらしい彼に、無理に過去のことを掘り返すようなことをしても気まずくなるだけだろう。

 昔の記憶は、どれもが綺麗で大切という訳にはいかず、研究所のことはトラウマになっている可能性があるから。


「とにかくですね、そちらに記載された日時に、指定された場所で待ち合わせてください。あらかじめ言っておきますが、これは裏財閥関係の仕事です」

「……触った感じ、普通に紙が入ってるだけだね」


 今更になって不審がった空は、しゃかしゃかと便箋を振って内容物を確かめる。


「重要事項は印刷してまとめておきましたが、依頼主本人の直筆による文書もありますので、あまり乱雑に扱わないように」

「あ、はい。ごめんなさい」

「……それでは」


 仕事を終えた方舟は踵を返して、空の前から立ち去る。


「うーん、なんだか不思議な女の子だったなぁ。ぼくのこと知ってる感じだし」


 そんな彼女の、すこし気を落としたような背中に、空は見憶えがあるような気がしたのだが……それ以上は深くは考えず、自宅までの階段を上り始めるのだった。


「そういえば、これ何の手紙だったっけ? えっと、たしか何かの仕事……だとは思いたくないな。きっとラブレターなんだろう、うん。ぼくってば父親譲りなのが気に入らないけど割とイケてるほうだしね。ふふん……きっとそうだ、そうに違いない」


 のちに彼は勘違いして困ったことになるので、もう少し真面目に話を聞いて深く考えるべきだったのだが。

 ……肝心な裏財閥関係であることが、すっかり頭からすっぽ抜けていたのであった。


         *

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