第2章『少女たちは空っぽの夢を見る』(3)


 二つのケースを背負っている彼女は自由のストーカー――〝サキ〟と面識があるらしく、互いに詰め寄ると、ぼくを他所に言い争いが勃発する。


「邪魔しないで、リン子。貴女にだって分かるでしょう、あんなぽっと出に私たちの将来すべてが壊された悔しさが。才能計測器なんてものに今までを全否定されるなんて、私は認めない。あんなものに贔屓される奴らを、私は――私たち〝超過能力者〟は許さないって決めたのよ。この才能に不平等な世界を壊してやる。今から私の才能の代わりに、あいつの指を切ってね」

「もうやめろって。さっき会場でも止めただろ。こんなことしても、おまえがヴァイオリンに挫折したのは変わらない……あたしも、さ」


 ぶっきら棒な物言いだが、どこか思いやりの様なものを感じる言い回し。

 先程のヴァイオリンを背負った少女――〝リン子〟さんは不意を突いてサキの両手首を握り、両手を叩けないように捻り上げる。


「あっ、く……放しなさいよ!」

「駄目だ。放したら人殺しかねないだろ、おまえは。いま無理やり超能力を使えば、あたしのヴァイオリンだって壊れるかもしれない」

「ちっ……」


 リン子の拘束を解くべく地団太を踏むように暴れたサキさんだったけど、自身が少々小柄で、相手が女性にしては長身ということもあってか、抵抗を諦めて項垂れる。

 そしてリン子へと呪詛を吐くように言った。 


「残念、貴女も分からないようね……あんなにも私と同じようにヴァイオリンを本気でやってきたのに、七年前に機械なんかで測定された瞬間、すべて台無しになった気持ちを忘れちゃったのかしら。ま、私と違って有才能者のリン子も自由と同じなのかもね」

「それは違う、あたしだってヴァイオリンを挫折したのは辛い、けど……諦めた訳じゃないよ。本業の傍らで趣味として続けたり、そういうので付き合っていけば――」

「私には、その本業が無いのよ。だって無才能者なんだから」

「……ごめん」

「謝らないで。さっき貴女も同じ気持ちだって言ったけど、あれは言い間違いだったわ。やっぱり貴女も、自由と同じように才能計測器に贔屓された側なのよ。そのうえ贔屓された才能に目移りしてヴァイオリンを捨てた、自由とは違う意味で贅沢な人って訳!」

「…………」

「同情するようなことを言って、私を引き留めようとしたけど、結局は恵まれた立場の物言いじゃない。そんなのに私が靡くわけないでしょ。そういう偽善、最低だと思うわ。自由の次は貴女を切り刻んでやろうかしら」


挑発するように、サキはリン子さんを見上げながら舌を出す。

取り付く島もないリン子さんが後ろめたい表情を浮かべると、ふっと鼻で笑い飛ばしてから、今度はぼくに話しかけてきた。


「ねぇ、そこの無才能者くん」

「は、はい? 何かな」

「私と一緒に来ないかしら?」 

「え?」


いきなり勧誘されて、ぼくは戸惑う。

おそらく、自分たちと同じ超過能力者の不良集団に加入しろ、ということなのだろうと思ったけれど……次に彼女が話した内容に、ぼくは愕然とすることになった。


「いったい、どうして自由なんかと一緒にいるのか分からないけれど……いつも天才や、有才能者なんかと一緒にいて辛いでしょ? でも私たちは皆が同じ無才能者で、そして今は〝あの子〟のおかげで超能力を手に入れることができる。知ってた? 超能力者は一%の無才能者しかなれないの。今の世界は私たちを一%の出来損ないにしてしまうけれど、〝あの子〟のいる場所――〈オーヴァーズ〉は、私たちを特別な存在にしてくれる」

「……あの子、というのは」

「私と一緒に来たら教えてあげるわ。とても愛らしいけれど残虐で、同時に天使のように慈悲深く私たちを救ってくれる〝真っ赤な女の子〟……なんて言っても、実物を見ないとにわかに信じがたいでしょうけどね。きっと、うちのボスも貴方を歓迎するわ。〝すべての無才能者が特別で唯一の、素敵な存在になれる理想の世界〟――ボスの理想を実現するために、我が〈オーヴァーズ〉は人手不足で仕方ないんだから」 

「……え?」  


 話しのほとんどが気になる内容ばかりだったのだが、〝真っ赤な少女〟と〝特別で唯一の、素敵な存在になれる理想の世界〟を、彼女が口にしたことが引っかかった。

 後者に至っては〝ぼく自身の言葉〟を言い換えたような言い回しであることから、明らかに関係者が少数に特定される。


 そして前者に至っては――


「……〝エリーゼ〟が生きてるのか?」

「あら、知ってるの! 話が早くて助かるわ、だったら今すぐ一緒に行かないかしら?」

「殺さないと」

「え?」

「死んだはずだ、彼女は。だって彼女は、ぼくが殺したんだ」


 超能力開発が失敗し、子ども達の命を奪う危険な存在と化した〝超過能力覚醒能力者・エリーゼ〟を殺さざるを得なかったから。


「ちょっと、殺したって何よ。貴方、いったい何なの? だいたい、エリーゼを知ってる連中なんて私たちと〝ボス〟くらいで……」


 取り乱し始めたぼくに、サキが怯え始める。

 もはや彼女からは超能力を行使する気概は微塵も感じ取れず、リン子さんによって両腕を捻り上げられた今となっては、ただのか弱い無才能者の少女でしかなかった。


「もう日比野自由も帰っただろ、サキ。これだけ騒いで姿一つ見せやしない。そこの変態野郎も、囮ってことで置き去りにされたっぽいしな……酷い話だけど、あの自由ならやりかねないだろうし」


 おい、さらっとぼくを変態扱いするな。これには事情があるんだよ。


 抗議の声を上げようとしたが、自由に置き去りにされたと聞いて辺りを見渡すと、すでに自由の気配はおろか、日比野家から自由の連絡で来てくれるはずの対超過能力者のエージェントたちも、こちらに向かっているような様子は見当たらなかった。


(いや、いくらなんでも昔馴染みの少年に、自分のドレスを着せたまま逃亡してしまうなんてことは……そういえば一度着ただけなのに、このドレスは処分するって言ってたような)


 二人がいる手前で憚られたが、スカートの中に手を突っ込んで隠し持っていた携帯電話を取り出す。そして新着のメールを開いて確認すると、


(……ええ、嘘だろ)


『一般人ですが真摯な方が一人ほどいますので、助けはいらないでしょう。ドレスは差し上げます。よくお似合いよ』なんて本文には記載されていた。


 ついでに、化粧を施されているぼくの無防備で間抜けな姿を、携帯のカメラで鏡越しに撮影した写真まで添付されている。


 どうやら完全に見捨てられていたらしい。ぼくが屋外で囮になっている間は屋内で待機する手筈だったのだが、たぶんリン子さんが現れたあたりで収拾するとでも思い、そのまま別の出入り口から帰ってしまったようだ。 


「あっ……」

「手首、大丈夫か? すこし強く捻ったから痛めてるかもしれない」


 すでにサキさんの対象だった自由がいなくなったことで、リン子さんは彼女の拘束を解く。いままで掴み上げられていたサキさんは、気丈を装って返事をする。


「これくらい仲間に治してもらえるわ、才能なんて不平等で曖昧なものより、私は仲間の力を信じるの……今回は失敗だから、仲間に治してもらおうだなんて言うのが恥ずかしいのだけれど」

「今回で終わりにしろよ、天才狩りをしたって無才能者の立場が悪くなるだけだ。おまえも、おまえ以外の無才能者も、超能力なんてものに手を出しては、自棄っぱちの後先考えない犯罪に手を染めようとしてばかりで……見てられないんだよ、あたしは」

「見て欲しいなんて言ってない、私たちのことなんか放っておいて」

「否が応でも目に付くんだよ、おまえら超能力者って奴らは。すっかり、ニュースやら新聞で悪者扱いだ。そういうのに関わってるのが自分の友達だって知ったら、あたしは平気でいられない」

「私の仲間たちに、ほとんど友達なんていないわ。みんな才能が無いってだけで、友達や家族を失ったから。失った以外にも自分自身で切り捨てた、という子もいるけれど」

「あたしは、もう友達じゃないのか?」

「仲間の元へ帰るわ。もう私に関わらないで。じゃないと、今度はリン子のことも切り裂いてしまうかもしれない。仲間じゃない子なんて、もう友達でいられないわ。私のヴァイオリンを返して、リン子」

「……わかった。ほら」


 リン子さんからヴァイオリンケースを受け取ったサキさんは、ぼくらに背を向けて走り去っていった。

 それを見届けたリン子さんは大きく溜息を吐き、ぼくの方に振り返ると半目で睨みつけながら言った。


「――ところで、あたしは君に帰れって言ったはずだけど?」

「そ、そういえば……やっぱり、サキさんとやらのことで警告してくれてたんだね」

「あのとき男子制服着てたよな、君。有名な学校だから知ってる、あれ咲命館のだろ。男で、間違いないんだよな。なのに、どうして自由のドレスを着込んでいる? 事情によっては通報するぞ、この変態」

「ちょ、ちょっと待って、これは違うんだ」

「はぁ? 違うって何が。変態じゃなかったら一体どういう存在なんだ、珍獣か。自称・無才能者なのに咲命館なんて有名校の制服を着こんでて、挙句に天才の自由に纏わりついてて、でもなんか知らないけど置き去りにされていて……いったい君は何者なんだよ。しかも顔の作りが幼いせいか、妙にドレスが似合ってやがるし」

「ち、珍獣って……」

「っていうか君、どっかで見たような顔してんな。女々しいけど」 


 ぎくり、と彼女の言葉に思わず身震いする。

 父である美作大地は、ぼくと非常によく似た顔の造形をしているのだ。

 苗字も違うことだし、さすがに身内であると察することはないだろうが、好ましくない人と似ているだなんて指摘を受けると少々不愉快だ。


「いやぁまさかそんなことは」

「なんで動揺するんだ。まあいいや、頬の怪我以外は大丈夫みたいだし」

「……超過能力で傷付いたのは、これで初めてだよ」

「そりゃ皆そうだろ。あたしだって、あいつの超能力を見るまで超能力が存在するなんて信じちゃいなかった。でも実際、あいつは会場の拍手に紛れて超能力を使うことで、自由諸共コンサートぶっ壊そうとしていた」

「え、なにその自爆テロ」

「茶化すなよ、珍獣。あたしが止めなければ舞台が血まみれになっていたかもしれないんだぞ。でも結局……あいつは人を傷つけることはできるけど、大好きだった楽器を壊すことはできなかった。演奏者を切れば、楽器は血で汚れて落下するからな。そういう人よりも楽器に優しいのが歪んでるんだろうけど、それでもあたしは、あいつのことを単純に間違っているだなんて言えなかったよ。今も、ろくに反論ができなかったしな」

「……リン子さん」


 ぼくは掛ける言葉が見つからず、唇を噛み締める。

 彼女もヴァイオリンケースを背負いなおして、駅の方へと体を向けた。


「あたしも帰る。君も、あの制服に着替えたら早々に立ち去りなよ」

「そうだね……あっ」

「どうした?」

「着替え、楽屋の中だ」

「……もう閉まってんじゃないか。あたし、会場が閉まってから出てるし、たぶん中に入れてくれないぞ」

「制服だから、学校に落とし物として連絡入りそう。だけど……自由の楽屋に男性の服って、きっと誤解されるよね。えへへ」

「なんで嬉しそうな顔をしているんだ……やっぱり君、やべぇ奴なのか」


 ドン引きしたリン子さんは後退って、ぼくから距離を取る。


「まあいいや。とにかく女物の服を着てるんだから、お巡りさんに気を付けつつ帰れよ。もし捕まったら変態確定するからな」

「大丈夫だよ。自由から貰ったのは事実だし、このドレスはもうぼくの物だから」

「女装が癖になってんじゃねぇか……? ったく、どいつもこいつも頭の痛くなる奴ばかりでうんざりだ」


 リン子さんは頭を掻いて、また盛大な溜息を吐く。

 一見すると、女性らしからぬ荒っぽい仕草や口の悪さから、不良っぽいイメージがあるけれど、サキさんのことといい面倒見の良い彼女に好感を憶える。


 ぼくは笑いかけながら、彼女に言った。


「でも、今日は君のような人に会えてよかったよ」

「ん?」

「無才能者のことを気に掛けてくれる人は、少ないから。皆、自分の才能のことで夢中になってるし、一%の持たざる者のことは見ない振りしている感じで」

「そんなに上等な動機なんてない。あたしは才能とか関係なく、友達だった奴のことを見限りたくないんだよ、他の連中みたいに。それに……あたしだって才能関係で問題が無い訳じゃない」

「才能事情で、友達や家族との関係に支障をきたすのは、けっこうな割合だもんね」

「他人事みたいに言うけど、君だって無才能者なんだろ」

「ぼくは……そうだね、ぼくも困ってる感じかな」


 進路のこと、母さんのこと、亜人斡旋業のこと……ぼくが無才能者でなければ、すべて解決していたかもしれない。


 けど、ぼくには無才能者以外の道はなかった。

 才能計測器を生み出した当事者の一人が、それによる恩恵を受けることなんて許されないと思ったし、そもそもTMIは異能者のぼくが才能も手に入れられるようには出来てはいない。


 ――あれは本来、〝九九%の凡人〟を特別にするために創られたのだから。


「あー、悪い。さすがに電車に乗り遅れる。暗くなる前に帰らないと変なのに絡まれるぞ、お姫様」

「やぁん怖ーい、駅まで送って下さって?」

「気持ち悪い声を出すなよ。しかも駅まで歩いて三分程度だろ。つか君も電車か」

「ぼくは虹ヶ丘市内のS駅まで。近いから、知人に会わないことを警戒すればいいかな」

「マジで近っ! たしか三駅先くらいじゃないか、っていうことは付いてくるのかよ!?」

「変なのに絡まれるんでしょ、一緒に帰ろうよリン子さん」

「やめろ、あたしに付き纏うな珍獣!」


 軽口を叩きながら、ぼくは通りすがり同然だったはずのリン子さんがすたすたと駅へと早足で向かうのを見て、その背に引っ付くように駆け寄る。気付いた彼女がしっしと手を振りながら「近寄んな変態!」と叫んだとき、ぼくは慣れないドレスの裾を踏んでしまい、すってんころりんと石畳の上で転んでしまった。


「いったぁ……結構動きづらいな、やっぱり」


 呻きながら顔を上げると、こっちの様子に気付いたリン子さんが走り寄ってくるのが見える。

 踏んでしまった裾を手で払い、立ち上がって大丈夫だと手を振り返そうとする。

 けど、もう目の前には、膝に手を置いて大きく息を吐いているリン子さんがいた。

 出会って間もない相手のことを心配するとか、やっぱり彼女はお人好しだなぁと思う。


「馬鹿、ドレスで走ろうとするなんて無茶だろ。そんな調子じゃ、エスカレーターや電車の扉に服を挟むぞ」

「ご、ごめん」

「もう見てられない。何かあったら夢見が悪いし、あたしに付いてこい」

「やだ、かっこいい……」

「うっさい、置いてくぞ」


 軽口を叩くぼくを引っ張るように、彼女は駅へと先行する。

 その背中を追うように、ぼくは落ち着いて足元に注意しながら歩いて行った。


 ……その後、彼女と帰る道中で少々トラブルに見舞われたのだけど、正直思い出したくない。

 ドレス姿に衆目を浴びるのは覚悟していたので我慢したが、まさか電車に出没する女性の敵から狙われるなんて思いもしなかったのだ。


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