第2章『少女たちは空っぽの夢を見る』(2)


 コンサートが終わってから大分経つと、会場から観客の立ち去った芸術文化センターは賑やかな雰囲気から一転、いつもの駅前の喧噪へと変わっていった。


 建物の裏側から出たぼくは、着慣れない衣装に脚を取られつつも外で一人、誰かが来るのを待っている。


(ほんとに来るのだろうか、その――彼女のストーカーとやらは)


 どうやら最近、自由は悪意ある何者かに付き纏われているらしい。

 彼女が恨みを買う人物なんて、ぼくに憶えはないのだけれど……まあ、ぼくの個人的な観点から述べると、敵を作りそうな気はしないでもない人柄だとは思うし。


「いや、ほんと敵になってやろうか」


ひらひらとした布地を指でつまんで、所在なく弄っては溜息を吐く。

 俯いて憂鬱な気分でいても仕方が無いので、もしストーカーとやらが現れたら前向きに対処しようと顔を上げると――


「遅いよ、日比野自由。ヴァイオリンはどうしたのよ」

「…………」


 唐突に現れた、おそらく同世代だと思われる少女の質問に、ぼくは無言を返す。


 ここは駐車場からも離れていて、昔はストリートミュージシャンが音楽を披露していたり、スケートボード等で若者が遊び騒いでいた広場だ。しかし今となっては、そういったストリート的な文化の流行も収まり、また広場における若者たちの活動に周辺住民が苦情を申しあげたことで、それらの姿は痕跡ひとつ無く消えてしまった。


 もう、ここを横切る人は芸術文化センター内の催し物が終わってから駅で帰る者、駅前で買い物などの用事に向かう者しかいない。そしてコンサートから時間が経った今、すっかり人気のない靜かな場所となってしまった。


 逆を言えば、日比野自由のような人気アーティストが会場から移動する際、この場所は誰の視線にも止まらないので好都合だ。そしてストーカーさんとやらも、そういった事情を看破したうえでやって来た訳だった。


 ……つまり彼女は、そういうことに精通している人物という訳だ。


「まあ私も、しつこく付き纏ってくる奴にケースごと押し付けたけどさ。そうよね、どうせ私のことなんて憶えていないわね、貴女は。私たちのことなんて、路傍の石っころていう認識でしょ」

「…………」


 ヴェールで顔を覆ったぼくのことを自由と思い込んでいる彼女は、動かないぼくを不審に思うことなく続けた。


「当然、石っころの気持ちなんて考えたことない。だから幾ら喋ったって仕方ないわ。今から実践する方が貴女には分かりやすいものね」


 溜息を吐くと、彼女は指を鳴らす。


 そのとき、なぜか音が鳴り響くのは皆無で――その直後、ぼくの顔を覆っていたヴェールが一陣の風によって飛ばされた。

 いや、それだけじゃない。


(痛っ……頬、切れてる)


 頬に手を遣ると、ぬるりと温かいものが流れていた。

 それは見るまでもなく、ぼくの血であり、つまり目の前にいるストーカー少女は手の届かない距離から〝何か〟を飛ばしてきたのだ。


「貴女のこと、どうしようか迷ってたけれど……優先順位を付けることにしたの。ひとつは殺す、ひとつは指を切り詰めて二度と演奏できなくする、三つめは――貴女を攫って、皆で辱めるなんてね」

「なるほど。自由を付け狙うのは君――同じヴァイオリン教室の生徒だった無才能者で、今は街の不良グループとかに入って〝超過能力者〟として暴れているという訳だ。あと、超過能力は恐らく〝自分を中心とする範囲の音エネルギー操作〟ってところかな。昔、似たような能力に目醒めた子どもがいたよ。拍手の音自体に力なんて小さいから、そういう風に薄くて細かい衝撃波を作って遊んでた。自分の指を誤って切り落として以来、すぐ能力のことがトラウマになってしまったけど」

「えっ? その顔と声――違う、あんたは誰よ? それに超過能力って……超能力の言い間違いで……いえ、そういう呼び方をする人を知ってるけど、まさか」


 ヴェールが外れたことで、ようやくぼくが自由ではないことに気付いた彼女は、ひどく狼狽して後退りながら言及する。


 そんな彼女に対し、ぼくは肩を竦めながら余裕を演じて言った。


「自由とは昔馴染みでさ、いわゆる友達だよ」

「は? あの自由と友達? いたの、あんなのに」

「あんなのでもいるんだよ、ぼくのことは奇特な人間だと思ってくれて構わない」


 ……物陰から突き刺さるような、冷ややかで鋭利な視線を感じる。

 しかし、今はそれを気にしている場合ではない。


「あんた彼氏か何か?」

「残念ながら違うね。昔馴染みから進展は無し、というか自由には好きな人が別に――」


 いかん、視線の痛さが増してきた。

 途中で口籠ると彼女の方から再度、ぼくの方をちらちらと見ながら、ぎこちなく話を切り出してきた。


「ところで、さ」

「うん?」

「どうして、あんたがそれを着てるの?」

「それは自由に頼まれて、君と話し合うために仕方なく――」

「仕方なくで着れるものなの、それ。声でわかったけど、あんた男だし」

「……サイズが合ってたんだよ。あと自由に凄まれて、断れなくて」

「え、えぇ? その、大丈夫? あんた自由にいじめられているの?」

「は、はぁ。まあ確かに、先程まで弄られてはいましたけど。いま思えば、いじめの範疇かもしれなくもないかなって」


 つい先程まで命を付け狙っていたストーカー少女だが、ぼくを蔑んでいるのか憐れんでいるのか断定しがたい、一種の同情と思われる眼差しを向けてきている。


――現在、ぼくはコンサートで自由が着ていたドレスに身を包んでいた。


 いや、その……色々と大変だったのだ。他人をストーカー少女の囮にするべく、自由の姿に扮することを彼女から提案されたのはいいものの、その囮役を務めるのが異性でありながら背丈と体格が似通っている〝ぼく〟しかいなかった訳で。


 ちなみに自由は胸が貧相(シンデレラ)なので、本当は何も詰める必要が無かった。そのことを告げようとしたとき、鏡越しで鬼の形相が見えていたので、口答えすることなく適当なハンカチを詰めておいた。

 自分のコンプレックスを直視してまで、どうしてぼくを女装させようとしたのかが謎だったが、まさか超過能力者絡みで命が懸かっていたとは。


 ……いや待て、先に言えよ。すこし逸れてたら目に当たって失明か、首筋を掻っ切られてたかもしれないじゃねぇか。


「って、今はぼくのことなんていいから。とにかく早まらないで」

「そう言われて、ハイと答える人がいるわけないでしょ。どうせ近くで見てるんだろうし、さっさと自由を出しなさい。見ず知らずで関係のないあんたのことは見逃してあげるわ。……その二重の意味で可愛そうな顔を見ると、なんだか気が削がれちゃったし」

「気遣ってるようで酷いこと言うね、君……ぼくがいなくなったら自由をどうするつもりかな?」

「さっき言ったでしょ。三つほど考えているって」

「皆で辱めるって言ってたね。他にもいるんだ、超過能力者」

「っ……なんで詮索するの。あんたみたいな自由と仲良しの有才能者には関係ないでしょ、私たち無才能者のことなんて」

「あっ、ぼくも無才能者だよ」

「は?」


 あんぐりと口を開いた彼女は、呆気にとられたまま絶句して立ち尽くす。


 そんな彼女に「いやー、あはは。お互い苦労するねぇ」と軽口を叩く傍ら、ぼくは必死に頭の中で次を話題について思案を巡らしていた。


(まだかよ自由。こっちは性癖に多大な誤解を受けてまで時間稼ぎしてるんだから、早く日比野家から超過能力対策の人達を呼ぶか、この際は普通に警察でも――)


内心で焦りつつも、にこやかな笑顔で親し気に喋り続けようとしたとき。


「嘘でしょ。無才能者が、あんな恵まれた天才を前に平然としていられる訳なんて……なんで、あんなのと仲良くできるのよ……」

「そこにいたのか、サキ」


 唐突に、ぼくら以外の誰かが横から声を掛けてくる。

振り向くと、そこにいたのはコンサート途中の休憩中、ぼくとぶつかった少女だった。

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