第59話 前途多難過ぎる恋 16

◇◆◇◆◇◆



 その頃コハクは城の裏庭で、何をするでもなくぼんやりと木の下で佇んでいた。側にはマリサナがいる。


「……マリサナ、退屈じゃないのですか?」


 ただボーっとする自分に付き添うマリサナに、コハクはそんなことを問いかける。唐突に話しかけられたマリサナは、びっくりしたように目を丸くした後、「いいえ」と答えて笑った。


「今日は天気がいいですし、風が心地いいです。たまにはこうやって外で、何も考えずにぼーっとするのもいいですね」


「……」


 マリサナがわざと昼間の事に触れないでいるということは、賢いコハクにはわかっていた。だからわざわざこちらから話しを振らなければ、彼女はコハクに昼間の話はしないだろう。


「……昔、ここでよくお兄様に本を読んでもらっていました」


「え?」


 唐突なコハクの言葉に、マリサナは戸惑った様子で彼女を見やる。コハクはかまわず、唐突な話しを続けた。


「好きな本があったんです。中身はよくある子供向けの、他愛も無いお話でした。でも小さい頃の私はその話が大好きで、それをお兄様に読んでもらうのが私にとって一番楽しい時間でした」


 本の内容は、仲良しのこぐまの兄弟の話だ。なぜか幼い頃の自分は、その話が本当に好きだった。そしてまだ文字が多く読めない自分の代わりに、兄のフィニアが内容を読み聞かせてくれるのが楽しくて嬉しかった。


「あの頃の私にとって、お兄様は頼れる存在でした。私の読めない文字を読んで、私の使えない魔法を使ってみせて、私より足も速くて、私の知らないこともそれなりに教えてくれて……その背中がとても頼りあるものに見えた。……でも今は違う」


 まだ幼かったコハクにとって、四つ上の兄は自分よりも頭のいい優しくて頼れる存在だった。しかしその考えがいつの間にか消え、成長するにつれ彼女は兄は頼りない存在だと思うようになる。


「いつからか私はお兄様を軽蔑するようになりました。……幼い頃の自分が、お兄様に期待しすぎていたのでしょう。お兄様は悪くないと、それはわかっているんです。でもどうしても今のお兄様を見ていると、幼い頃に感じていたお兄様への憧れの感情を思い出して、私が勝手に理想として思い描いていたお兄様の姿との違いに気づかされて無性に腹が立つんです」


「コハク様……」


 兄に対する不満の本当の理由を他人に打ち明けたのは初めてだった。全て自分が悪いのだと自覚しているコハクだが、不満の理由すら兄のせいにして押し付けていた。そんな自分が嫌で、だからますます兄に辛く当たってしまう。


「頭での理解と感情とが必ずしも同じになるとは限らないんです。だから苦しい……本当は私だって、昼間に兄がいなくなって心配しましたわ。殴ったのもやりすぎた気がします」


「……はい、わかっています。コハク様が心配していたのも、だから少し大げさにフィニア様を注意してしまったことも」


 マリサナがそう静かな声で返事をし、コハクはちょっと驚いたように目を丸くして彼女を見返す。マリサナは優しい笑顔で、コハクを見返した。


「でもマリサナはよく私に注意するじゃありませんか。お兄様に私が言いすぎた時とか……」


「そ、それは、フィニア様が今にも泣きそうな顔をするのでつい……」


 マリサナは苦笑しながらそう言うと、また優しく微笑んでこう言葉を続ける。


「でもコハク様が本当はフィニア様のこと、本気で嫌いなわけではないとわかっています。きっとフィニア様も」


「……」


 マリサナの言葉を聞き、しばらく黙っていたコハクは、また唐突に「部屋に戻ります」と言う。


「コハク様?」


「今日は昼間歩き回って疲れたので、ちょっと部屋で休みます。マリサナも今日はもう休んでかまいませんよ」


 コハクはそう言うと、マリサナに背を向けてさっさと部屋に向かう。マリサナも直ぐに彼女の背に続き、歩き出した。




◇◆◇




「フィニア」


 ドアの向こうからそう声がして、フィニアはベッドから起き上がった。ちょっとベッドの上でうつ伏せでうとうとしかけていた彼女は、声を聞いて一気に目が覚めたのだ。


 この声はイシュタル!


「は、はは、はい!」


 フィニアはまだちょっと寝ぼけた頭のままドアに走り、急いでドアを開ける。ドアの前にはやはりイシュタルが立っており、彼女はフィニアを見てちょっと心配そうに微笑んだ。


「ごめん、もしかして寝ていたかな?」


 明らかに寝起きの顔でかつぼっさぼっさのフィニアの髪の毛を見て、イシュタルはそう言ったのだろう。フィニアは恥かしくなってめちゃくちゃに髪を手櫛で整えながら、「大丈夫です!」と微妙にずれた返事を返した。


「そう? あの、ちょっと心配で様子見に来たんだけど……」


 イシュタルはフィニアの様子を窺うようにそう言う。フィニアは彼女がやはり自分を心配して来てくれたのかと、それを知ると嬉しい高揚感で胸がいっぱいになった。


(イシュタルはホント優しい人だな……)

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