第28話 彼と彼女の出会いのお話 28

「ふぎゅっ!」


 変な悲鳴をあげて、フィニアはイシュタルの腕の中におさまる。三階が意外と高くて落下中『死ぬ』と思ったフィニアは、しかし落下が止まっても痛みが全然ないことを怪訝に思って、ゆっくり目を開けた。そして視界に飛び込んできた美貌に、一瞬言葉を失う。


「だ、大丈夫かい?」


「へ? あ……うん、あの……」


 長年本と魔術に夢中で引きこもり生活をしていたフィニアは、食事をろくにとらないような日もあったためにわりと痩せ気味だったのが、皮肉にも今回は幸いしたのだろう。それとフィニアをキャッチしたイシュタルが、女性でありながら戦う為に力をつけていたのもフィニアが助かった要因かもしれない。


「え、ありがと……」


 フィニアは自分を助けてくれた人がイシュタル王子だとは気づかず、普通に礼を言う。それにしても綺麗な顔の人だと、フィニアは顔を赤くした。

 透き通るような白の肌に、青玉のような深い青の瞳とそれを縁取る長い睫毛、涼しげな水色の髪がさらさらと風に靡く様はそれだけで絵になる。飾らない赤の口唇は妙に色っぽく、その唇が動くとひどく胸が高鳴った。


「いや……それより事情は知らないけど、でもとりあえず女性がそんな格好で外に飛び出してはいけないと思うんだ」


 イシュタルがそう呟き、フィニアを抱えたまま器用に白のマントを脱ぐ。そしてそれでフィニアの体を包んだ。


「あ……」


 そこでフィニアはやっと自分がどんなとんでもない格好で落下したかを思い出す。外、さらに周りは男だらけで、元々男なフィニアだったがさすがに恥かしくなって顔を真っ赤にした。

 それにしても自分を助けてくれたこの人は、なんてかっこいい紳士な青年なんだろうとフィニアは惚れ惚れする。自分を助けてくれるし、マントを羽織らせるし、美人だし。もし自分が本当に身も心も女だったら、間違いなく一目ぼれしていただろう。


「王子様みたい……」


 ぼんやりとしながらそう思わず呟くと、側で心底呆れたようなロットーの声が聞こえた。


「みたいじゃなくて、正真正銘の王子ですよ。あなたを助けたこの方がイシュタル王子です、お馬鹿なフィニア王女様」


「え?」


 ロットーのツッコミに、フィニアは思考停止する。イシュタルもこの裸同然で降って来た女が見合い相手とは思わず、目を丸くしてフィニアとロットーを交互に見やった。騎士たちとメリネヒもびっくりな展開である。オリヴァードは今にも失神しそうなほど驚いていた。一人わりと冷静なロットーが、呆れ顔でフィニアに問う。


「っていうか王女、あんた何やってるんですか。元気に外走り回りたい気持ちもわかりますが、服くらい着てください」


 フィニアが何を言えばいいか困っていると、ロットーは今度はイシュタルに向き直ってこう言う。


「すいません王子、王女ってば最近凄く元気になったのでそれ以来変にはしゃいじゃうんですよ。ほら、王女ずっと病気がちだったんで」


 ロットーが何を説明しているのか、フィニアは直ぐには理解できなかった。


「最近薬ですっかり体調が良くなって、それから毎日こんな感じで元気すぎるくらいに城ん中走り回ってるんです。健康なのが嬉しいんだと思うんですけどね。それにしても今回は俺たちも驚きました」


 ロットーの説明を聞いて、イシュタルは何となく理解したらしい。フィニアを見て笑い「そうだったんだ」と言った。


「それにしても本当に元気だね。私は病気がちだと聞いていたので、ちょっと驚いたよ。でも飛び降りるのは危ないですし、服はちゃんと着たほうがいいですよ、フィニア王女」


 ロットーが適当に出任せな説明してくれたおかげで、フィニアが本当は見合いの準備が嫌で逃走したということはイシュタルには伝わらずに済む。フィニアはこれ以上ないくらい顔を赤くさせ、「すいません」と消え入りそうな声で呟いた。


「それじゃ王女はとりあえず服着てから出直してくださいね」


「うぅ……本当にごめんなさい……」


「ろ、ロットー! 王女を早く部屋に連れて行きなさい! こんな格好で王子の前に……全く恥かしい……っ!」


 やっと正気を取り戻したオリヴァードが、大変ご立腹な様子でそう叫ぶ。ロットーは「はい」と溜息まじりに返事し、イシュタルからフィニアを受け取ってさっさとこの場を立ち去った。


「お、王子、申し訳ないですぞ。お恥かしいものをお見せしてしまい……」


 オリヴァードがぺこぺこ頭を下げて、イシュタルに謝る。イシュタルは苦笑しながら、「いえ……」と困った様子を見せていた。


「それに王女を助けていただき本当にありがとうございます」


「いいんですよ、私も王女が無事で安心しました。……それにしても」


 イシュタルはちょっと控えめに笑う。オリヴァードが不安げに「いかがなさいました?」と聞くと、イシュタルは笑いながらこう答えた。


「いえ、想像していた王女の姿とだいぶ違っていたもので」


「そ、それはやはり……あわわわ」


 青ざめるオリヴァードに、イシュタルは慌ててこう言葉を付け加えた。


「いえ、想像よりも面白そうな方でとても好感が持てました。ああいう王女は見たことがなく、とても新鮮で面白い」


 実際自分とは正反対なくらい元気な女性が好きなイシュタルなので、フィニアのぶっ飛んだ登場の仕方はドン引くどころか好感触だったらしい。


「それにとても可愛らしい」


「はぁ……それはありがとうございます……」


 クスクスと笑うイシュタルを見て、オリヴァードはとりあえず安堵の息を吐いた。

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