第2話 逃亡
チン!
タイムマシンの揺れが止まって、タイムトラベルの終わりを電子レンジのように告げた。
暗闇の中でサイモンが手触りでギアをグルグル回して、扉が開いた。その瞬間、隙間から氷のように冷えた風が滑り込んで私の髪を揺らした。
外は薄暗いので目を凝らしてもあまり見えない。
「私が外を見渡しますね。念のために静かにしましょう」
恐る恐る顔を突き出すと、乾いた埃のが襲ってきて、思わず咳き込んだ。無様に咳のオーケストラがこだましてしまった。
「だ、だめ、じゃな、いですか?」
モナリザ女に叱られてしまう。
「ご、ごめん、なさ・・ケホッー、オエエ」
たまりかねたサイモンがドアを完全に押し開けた。今度こそ外の景色がハッキリと見えた。そしてすぐにここが安全な場所だと知った。
到着した場所は廃墟になった教会の中だった。目の前には古くて壊れたベンチが、いつか誰かが座るのを待つかのように綺麗に並んでいた。マッチがあればタイムマシンの側にあるロウソクに火を灯したいところだけども、蜘蛛の巣でいっぱいだった。
私たちはそれぞれ博物館の中を歩むように教会の中を歩き回った。足元では小石が砕けた。
ベンチに腰をかけると木の軋んだ。そこから壁を埋め尽くす青と赤のスタンドグラスを見上げることが出来た。月光が透き通って、教会の中の埃が見える。
サラもサイモンも同じくそれぞれベンチに腰掛けていて、これから礼拝が始まるようで、聞こえる事がないオルガンの音に耳を傾けていた。
タイムマシンが公開されれば、ここに来れるのがこれで最後になるのかな?今の私たちのタイムマシンは20年前までの今日に遡る事が出来る。世間に公表したら、今後開発が続いて、20年から30年、40年、そしていつかは時の始まりまで行けるようになる筈。
そこで私は気がつく。私が今からやろうとしている事をしても、しなくても、どの道人類の歴史が変わる。私の手に汗が滲み出てくる。
するとサイモンの声が聞こえた。
「行こうよ。ここにタイムマシンを長く放っておきたくない。早く行って、飲んで、早く戻って来るべし」
サイモンの耳にはイアホンがぶら下がっていた。
「そうですね」
私は頷く。さあ、覚悟を決めて行かなきゃ。
後ろからはサラが服の埃をパッと払い落とす音がした。
★★★★★★★★★★★★★★
紫とピンクのスポットライトが店を忙しく照らし回っていた。
私たちはバーの奥の端っこの席に座って、スピーカーから流れるジャズピアノ、そしてスーツやドレスを来た小洒落た客たちの話し声を聞いていた。モナリザ女はこの時代に合わせた使い捨てカメラを取り出して写真を撮っていて、サイモンは腕組みをして、慣れない社交の場を観察していた。
同じ国にいる筈なのに外国に来たような気分だ。
私は出口から目が離せない。タイミングを見つけてここを出て行かない訳だけど、まずはこの二人をどう巻くかだな。
耳をすませると、スピーカーから懐かしい歌が流れていた。
I hate to turn up out of the blue uninvited
招待もされていないのに、出し抜けに現れたりしたくなかったわ
But I couldn't stay away, I couldn't fight it.
でも行かずにはいられなかったの、我慢ができなかった
I had hoped you'd see my face and that you'd be reminded
あなたが私の顔を見て、思い出してくれることを期待してたの
That for me it isn't over.
私にとってはまだ終わっていないってことを
Adele の歌。そう言えば、二十年前の私のスマートフォンに入っていた曲だっけな。歌を口ずさむと、胸の中に暖かいものが広がって、気づいたら頰が緩んでいて、肩の力を抜いて席に身を委ねていた。
「あまり歌は上手じゃないじゃん」
サイモンが言って、モナリザ女が笑った。
薄暗い中からウェイターが飲み物を運んで来てくれた。私のビール、サイモンのジン、そしてモナリザ女の水。
「二十年後の世界のために、私たちの成功を祝して、乾杯です!」
私が言うと、一斉にグラスがぶつかり、それぞれが20年前の飲み物を口に含んだ。
私はすぐに手を挙げてウェイターを呼ぶ。
「サイモンのジンをもう一杯、そしてサラ、あなたも水じゃなくてビールで飲みなさい」
「わ、私はの、飲めない」
モナリザ女が手を横に振る。
「じゃあ、日本酒を飲んでみてください」
次のお代わりが来て、私はサイモンが横でジンを飲み干すのを見守った。
「ウェイターさん、ジンをもう一杯お願いします!」
私はまたウェイターを捕まえた。
「おい主任!」
私は一瞬息をするのを忘れた。サイモンが目を細めて私を見ている。
「俺たちを酔っぱらしてどうするつもりだよ?」
私の魂胆が見えてしまったのか?するとサイモンは笑顔になった。
「俺はまだまだ行けるぜ」
気がついたらサイモンの話し言葉が変わっていた。
サイモンが次のジンを口に含むと、首の脂肪の下に隠れている喉仏が大胆に上り下りするのが見えた。サイモンの顔が明るい赤色になっていた。
「ジンを!」
私は手を振り回してウェイターの注意を引いた。
「俺は・・まだ行ける。何故なら銀河がそうしろと私に囁いているからだ」
・・よし、後もう一押しだ。
「エ、レナさん、や、やめましょう。な、何をやっているんですか?」
「お祝いですよ。ウェイターさん、私は水を!そしてサラに赤ワインをお願いします」
サラの目がカッと開いた。
「な、な、何をしている、んんんんですか?」
「時間がないお祝いなんだから仕方がありません。一生の中で今日は最後だからいいのですよ」
テーブルに置かれたジンをサイモンに渡して、赤ワインをモナリザ女の前に押した。勢いで赤ワインがグラスから溢れてしまう。
サイモンはジンを一気に飲み干すと、背中をベンチに委ねた。
「地球が俺の帰りを待っているんだ。私は・・・・うううう・・・まだ大丈夫だ。諦めちゃいねえ。早く次の奴をもってこい」
そしてサイモンは地球の期待を裏切って、眠り始めた。バーに着いてから20分。こんなに簡単に行くとは!私はテーブルの下で勝利の拳をブンブンと振った。
後はモナリザ女。先程からまだ一口も飲んでいない。酔わせるのは無理なのだろう。
ユーロビートに音楽が変わって、重たいベースが内臓を揺らしていた。バーのメインフロアを振り向くとお客たちが踊り始めていた。
「せっかくだから踊りませんか?」
手をメガホンにして、モナリザ女に言う。
「お、踊るなんて、で、できません」
モナリザ女は顔をブンブン横に振った。さっきから酒も飲まない、踊りもしない。面倒臭い女ね。
「じゃあ、サラはここでサイモンと待ってください。私は踊ってきます」
私が立ち上がった途端、モナリザ女が私の手を握った。絵画のようにエレガントな掴み方ではなく、握力が効いた相手を逮捕するような握り方だった。
「ど、ど、こかに、い、行くつもりですか?」
モナリザ女の目はクッキリと私の目を真っ直ぐに見ていた。
「ああああ、やしいです。いいい、いつものエレナさんではありません」
「踊るだけです」
握られた手が痛い。
「じゃあ、わ、私も、つ、付いてきて問題ないですね?」
★★★★★★★★★★★★★★
私の体より2、3倍大きいスピーカーからは爆音が流れていたけど、それでも群衆はその前で踊っていた。私達は踊る群衆の中に飛び込む。
私は踊るふりをしながら20メートル先の出口をチラチラと見ながら。周りを蛇のような柔軟な踊りと表現するなら、私の踊りはガチガチのロボットダンスで見苦しいに違いない。
スリムフィットのシャツとズボンを履いた男やミニスカの女性の後ろに移動したけども、サラは無表情で、さっきからボデイーガードのように私の後ろに付いてきていた。
モナリザ女の監視の目を逃れるだろうか?どうする?時間がないのに、こんな鬼ごっこをしている場合ではなかった。
「サラ」
モナリザ女は耳を私に近づけた。
「今日まで本当に・・・・ありがとう」
モナリザ女は目を大きくした。私がここで感謝を言うのに驚いたのに違いない。周りで踊る人たちと対照的に表情や体が固まっていたけども、しばらくして肩の力が抜けて、まさしくモナリザの姿になった。
「エレナさん」
モナリザ女は言った。
「実は私、エレナさんに憧れて開発に加わりました」
珍しくモナリザ女はどもらなかった。
「研究一筋に身を捧げて、人類の誰も完成することが出来なかった物を完成した」
私は笑顔で優しく返事をする。
「サラさんと私は歴史に残る女性となります。サラさんの力がなければあの開発は無理でした」
私の言葉に揺さぶられて、モナリザ女の目に涙が浮かび始めた。後一押し。
「私はサラさんを尊敬しています。本当に貴方には感謝しきれません」
モナリザ女は両手で目を抑えた。だけど涙を止められなかった。
「さあ、涙をテーブルで拭いてきてください。今日はお祝いなんですよ」
モナリザ女は頷き、サイモンがいるテーブルの方に歩き始めた。
「私はトイレに行きますので、ちょっと時間がかかります!」
そう言って、私は一目散にバーを駆け抜けた。
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