タイムマシン
@Kairan
第1話 出発
「よっし、完成です!」
タイムマシンを取り囲む機材器具のスイッチを切ると、天井の冷却器がジェットエンジンのように唸り、料理後のフライパンのように溶けそうなコンピューターボード、ネジやアンテナを冷やそうとした。
タイムマシンの完成。
タイムマシンは卵のように白く丸い作業用ポッドの形をしていた。
汗で灰色に変わった白衣の袖をめくり上げて、時計を確認してみた。夕方8時12分、12月24日。
巨大な蛇のようなケーブルでグルグル巻きにされた開発室の床には、スタッフのサイモンがスライムのように倒れているし、サラはメガネにはり付いた汗をぬぐっていた。私といえば壁のケーブルから伝わる電気の震えを背中で受け止めてボーッとするだけだった。私たちは役割を果たして命が終わろうとする虫。タイムマシンの完成は、サッカーでゴールを決めた瞬間のようにすがすがしく、服を脱ぎながら雄叫びをあげるものではなかった。
エンジンオイルと薬品の臭いが充満する開発室を後にして、私たちは隣の冷蔵庫のようにヒンヤリした会議室に倒れこんだ。
サイモンは白衣を床に投げ捨て、サラは顔の汗をタオルで拭いていた。私は昨日の夜から働いてカチコチになった体をストレッチする。
「明日、世間に発表するだけですね」
頭の中では、明日の今頃にタイムマシンの前に立って記者に囲まれる自分たちの映像が流れていた。私の目はこの瞬間を見ていなく、次に行かなければいけないゴールを見ていた。
飲みかけのコーヒーとポテトチップスが散らかっているテーブルを囲んで、明日の記者会見の段取りについて議論した。革命的な開発に成功した3人。だけども、グループセラピーの参加者のような姿であった。あまりにも長い間、外の世界との関わりを捨てると人間は徐々に腐るようであった。この15年間、タイムマシンの開発に打ち込んだ中で肌は荒れたい放題に荒れて、顔は不健康な真っ白な色に成り果ててしまった。
議論している間、右の椅子の背もたれに全身を預けた巨大なサイモンの体から漂う昨日のカレーの匂い、そして左のサラの汗と油で固まったモナリザのような黒いカツラが気になっていた。
最後に私はある提案をした。
「今後、私たちがタイムマシンを自由に使用することは一切なくなるでしょう。ですので、今夜がタイムトラベルが出来る最後の時です」
サイモンとモナリザ女は私の目を凝視していた。
「せっかくですので、最後に20年前の世界に遡って、ささやかなお祝いをしませんか?」
プログラマーのサイモンとモナリザ女は顔を合わせたまま返事をしない。久しぶりに人間らしい事をするのに抵抗があるようだった。
「か、過去にこれ以上、行くのは、よ、よ、くないかと」
モナリザ女はいつものようにどもりながら言う。
「この前、帰ってきたら俺らの大統領が違う人になっていたじゃん。必要以上に使わない事を約束したじゃん」
とサイモンは補足する。
「大統領が変わったのは私たちが宝クジを当てまくって金儲けをしたからです。でも、今回は飲みに行くだけで、それだけでは何の影響もありません」
二人は首を縦に降らない。会議室は爽やかな冷房の音しか聞こえてこない。私はテーブルの上の塩まみれのポテトチップスを口に放りこんで噛み砕いた。
「そ、そう言えば今日は、く、クリスマ、スイブ」
外国語を話すかのようにモナリザ女が口をパクパクさせた。
「そうですね、クリスマスイブはどう過ごすんですか?」
二人はまた顔を合わせている。
窓の外から街のネオンの光が忍び込み始めていて、太陽の光はとっくに地平線の向こうに消えていた。外ではバカップルが手を繋いで歩いたり、アパートの中で抱き合い始める時間帯。この開発室にいる3人は誰も家族持ちでもないし、友達もいない。誰も予定なんてない事ぐらいは知っている。
私は本音をフラットに伝えた。
「ま、来たくなければ来なくても良いです。私は行ってきますので。では明日の会見前に会いましょう」
そう、別に来なくても良い。私には過去に遡って最後にやる事があるのだ。これから過去へ飲みに行くのではない。祝う事もしない。2人を誘ったのはタイムマシンを使う建前を作りたかったから。
最後に昔の自分と会いに行くの。そしてある重大な事を伝えたい。その時に二人には来て欲しくない。おそらく大統領が変わるレベルを上回って、人類の歴史も上書きする結果になるだろう。
どんな犠牲があっても、周りから止められても、昔の自分に会って、伝えるべき話を伝える価値はあるの。
自分の気持ちに今日まで正直に従ってきたからこそ、私は今日タイムマシンを完成させる事が出来た。やりたい事はやる。
ヒンヤリとした部屋を後にして、私の小さな寮の部屋に戻った。
いざタイムマシーンを最後に使うとなると、身なりを整えるのに忙しくなる。
ここ3日間は同じ服を着続けたので、白衣の下にあるシャツが汗と油で真っ黒。もう2度とこの服を着る事はないだろう。タイムマシンの部品を取り付けたりする際に、自分のIDパス「エレナ・ブラッドフィールド」の名前に黒い指紋がベットリと染み付いて何が書いてあるのか分からなくなった。開発が終わっても、このIDはいつまでも取っておこうかな。
熱いシャワーを浴びた後、ロッカーの鏡に目をやってギョッとした。
洗った顔はまだ灰色で、埃が積もっているようだった。20年以上タイムマシンに命を費やした私。病院に行けば間違いなく病気を宣言されるような顔。私服のジーンズはダボダボ。一本一本の髪の毛は外に向かったアフロ。まるで宇宙人の姿。
20年前の私は美しかったかな?もう昔の自分の姿を思い出せない。だけど、これも今から分かるだろう。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
残念ながら2人はタイムマシンの前で私を待っていた。
やっぱり来るのか。舌鎚を打つ。
過去に戻って2人をうまく撒くしかない。うまく行くのかが不安になって、せっかく着替えた服が汗で濡れ始めた。
サイモンは宇宙戦艦と爆発の煙が派手に描かれたシャツを着ていた。だけども、シャツの下から大きな腹の脂肪がハミ出ているので、クリスマスイブの寒さに耐えられるのだろうか?すぐに帰ろうと言わないだろうか。
サラは腕組みをしている。シャワーを浴びてもモナリザのヘアスタイルは変わらないし、服も黒色だから余計にモナリザに近い。その目は私の頭の中を解読しそうだ。
無駄だと思いつつも私は訪ねてみた。
「もう遅いので二人とも休んだ方が良いのではないでしょうか?」
「さ、最後なので・・・」
モナリザ女は腕組みをしている指をモジモジした。顔は落ち着いているようだったけど、大統領が変わってしまって以来、居心地が悪そうなのが薄っすらと伝わるようになった。
サイモンと言えば、眉を顰めて不快な気持ちを隠さなかった。
「本当は今夜、バトルスター・ブロンプトンシリーズを見逃したくないのだが」
私は頷いた。だったら帰ってよ。一人でも来る人が少ない方がいいに決まっている。が、モナリザ女はサイモンに反対した。
「な、何を言っているんですか?だ、だから、番組が、始まるま、前に戻って来ればいいじゃないですか?」
サイモンは二重アゴを作って納得したようだった。この15年の中で私たちはみんな年齢を重ねて変わった。だけど、一つだけ変わらないものがあるとすれば、サイモンのSFテレビシリーズへの情熱だった。バトルスター・ブロンプトンシリーズは彼の愛人代わりで、時間さえあれば面白さを私たちに毎日演説する程だった。
結局、二人は一緒に来るのだろう。
私はタイムマシンの中に踏み込んだ。続いて、巨大なサイモンと笑わないモナリザ女が詰め込んで来た。狭い!お互いの体がツナ缶のようにギュウギュウづめになって、息がしづらい。
扉がしまって、お互いの姿が見えなくなるーー。
「サイモン、なんで歯を磨かないのですか?臭いですよ」
せっかくのタイムマシンは昨日一緒に食べたカレーの臭いに変わっていた。サイモンはゲップをして笑う。
「あ、あれ、エレナさん、化粧をし、していますか?」
「せっかくのお祝いじゃないですか。と言うより、私は女ですよ」
サイモンの体に押し潰されながら、私は出発ボタンを押した。
私が人類の歴史を変える旅が始まった。
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