とけあうふたり
いかろす
とけあうふたり
その日は、ソフトクリームもすぐに溶けるようなクソ暑い夏日だった。
あたしはこれでも女子高生をやっていて、女子サッカー部のマネージャーなる役職についている。そのお仕事の一貫で、今は部員たちの水筒が置かれた木陰にちょこんと座り込んでいた。
暑い。身体がとろけだしたとしか思えないような汗が、でろりでろりとこぼれ落ちる。人の身体はおおむね水でできているらしいので、これもまたあたしの一部だ。ぽつりと地面に落ちて、砂に染み込んでいく。さらばあたしの一部。
グラウンドでは、とんでもない炎天下の中を部員たちがボールを追いかけせっせと駆け回っていた。他校との練習試合に勤しんでいるのだ。いくつか隣の木陰では、相手チームの補欠やらマネやらが甲高い声で応援らしきものを発している。
あたしもできうる限りで「がんばれー」とエールを送ってみる。しかし、右方の甲高応援ボイスに押しつぶされた。へにょへにょのあたしボイスは、ピッチに届くことなく地面に墜落したと思われる。ため息が出る。
ウチは部員が少ないので、ベンチメンバーが一人もいない。なので、こうしてあたしはちょこんとぼっちを決め込んでいる。熱中症で一人でも倒れれば、チームは即座に瓦解すること請け合い。色んな意味でがんばれ。
激しいアクションのたびに、飛び散った汗が陽光にきらめいていた。なんとまぶしい光景だろう。ああいうのを人は青春と呼ぶ。日向でしか生み出せないあの美しさは、あたしのどこを絞っても出てくるまい。
「みんな前出てーっ!」
一際凛とした声が上がって、あたしの視線は自然と声の主へと向かう。
もはや燦爛みたいな言葉で表現するのがベストな輝きを放つ女が、ゴールキーパーのポジションに立っていた。身体中砂まみれ汗まみれになって、見た目からして疲労困憊。それでも全てのボールを止めてしまうトンデモキーパー。
爽と書いてあきらと読むなんて、彼女と出会って初めて知った。この漢字といえば、夏に吹く風とか、シャリッとしたアイスくらいしか思い浮かばない。だからだろうか。佐土原さんには、とても夏が似合っている。
彼女の輝きに見とれてしまったが、相手チームのガヤが発した「いけー!」という声で目が覚める。ウチのディフェンスを踊るようにして振り払ってきた相手フォワードが、ペナルティライン付近まで踏み込んできていた。そして、矢のごときシュート。熱気を切り裂く猛速のボールが佐土原さんめがけ──いや、彼女の右上へとコースを変えた。まるで野球の変化球。それを足でやってのけるのだから、相手の実力はかなりのものだろう。
だが、ウチのキーパーは凄い。
しかとコースを見極めた佐土原さんは、長い手足をえいやと伸ばして跳躍。ぐんと伸びたその手は見事ボールをキャッチした。あたしも思わず感嘆の声を上げてしまう。ああいうのを、人はスーパープレーと言うに違いない。
佐土原さんは前衛めがけてボールを投げ、エースらしくチームを激励する一声。ああいう細かな配慮が、チームの指揮を上げていくのだろう。おかげさまで、ウチのサッカー部はそこそこ強い。
不意に、佐土原さんの瞳が──試合へと向いているはずの瞳が、こちらに向いた。彼女の方を見ていたあたしとは、当然のように目と目が合う。
にこりと、星でもこぼれ落ちてきそうな爽やか笑顔が浮かんだ。
瞬間、胸がどきりと弾んだ。
この胸の律動を知ってか知らずか、佐土原さんは目線と意識を試合の方へと戻してしまった。罪作りな女である。一瞬だったため、こちらは笑顔を作る暇もなかった。彼女にはどんなふうに見えていただろう。
これを見ている神様とやらは最早ご存知のことかと思うが、あたしは今Loveを感じている。Love……つまるところ、恋心である。
物心ついた時から惚れていた、と言ったらおかしいだろうか。物心の定義がおかしい気がするけれど、運命的出会いという感覚なので、なんとなくそういう認識が発生する。だが、正しく言い換えるのであれば、一目惚れという表現が的確なのだろう。
佐土原爽。名前のフレーズを心で唱えるだけで、あたたかい気持ちになる。というか、あたたかいを通り越して熱々だ。この熱が夏のせいじゃないのは、去年のヤバ寒い冬に経験済みゆえ実証されているので安心してほしい。
前半戦も残り時間わずか。最初の一区切りということで、選手たちの熱気は高まっていく。彼女らの熱気は自然とピッチ内へと向かい、ボールを追っかけ堂々巡りになっていく。そうすれば、あたしの方に目が向くことなどないわけで。
ここからが、あたしのステージである。
真横には、我が校の部員が持ち寄った水筒たちがズラリと並んでいる。どれにもちゃんと名前が書いてあるので、どれが誰のものかはひと目でお見通し。
あたしの手はするりと伸び、真っ黒でクールな水筒へ。水筒カバーには、綺麗な字で「さどはら」と書かれている。運動もできて字も綺麗なのだから、佐土原さんの超人っぷりが伺えてくる。
彼女がいつも手にし、運動部員に欠かせない水分補給をこなす水筒である。好きな人の水筒を秘密で手に取る行為が行き着く先といえば。とりあえず水筒を開けると、スポーツドリンクのにおいがふわりと立ち昇る。ちょっと飲みたいと思ってしまう辺り、あたしもこの暑さにやられているのだろう。
ちなみに、人々は試合をしているが、いつこちらを向くかはわからない。そのためのカモフラージュは万全である。なんと、あたしの自前水筒は佐土原さんのやつとまったく同じなのだ。その上丁寧に佐土原水筒の隣に置いておいたため、基本バレることはない。流石あたし。
佐土原水筒を飲むつもりもないので、飲み口のところも開けて蓋の上に置く。大きめの穴を覗き込めば、半透明のスポーツドリンクがたっぷり入っていた。
固唾を飲む。これから行う行為は、思いついてから初めての挑戦だ。穴の上に、右手のひとさし指を突き出す。そして、強く念じた。
次の瞬間、ひとさし指が溶けた。
まるで熱したラクレットチーズみたいに、指がとろけていく。爪を落とすとマズいので、溶かし具合を調節しつつ溶かし、指を落としていく。肌色をして、わずかに粘性を持つ液体。ゆっくりと溶け落ちて──スポーツドリンクの海へ、着水。
前述した通り、人間の身体はおおむね水分でできている。なので、これもすぐに粘性が消え、ドリンクの中に溶けていく。実験済みなので、結果はあたしの知るところだ。
ひとさし指が半分ほどなくなったところで、溶かすのをやめる。ドリンクの中では、明らかな異物が中で沈殿しようとしていた。前半戦が終わる頃にはしかと溶けるはずなので、問題ない。水筒の蓋を閉めて、マイ水筒の隣に置いた。すぐに液体にすることも出来るのだが、じわりと溶かす方がなんかいいかな、と思ってそうしている。
さて、問題はあたしの指である。溶かしてしまったので、再生にはちょいとばかし時間を要する。そのための対策も、しかと用意しておいた。子供の指みたいになったひとさし指に、小さな筒を被せる。そして、包帯でぐるりぐるり。こうするだけで、指をケガした人に早変わりだ。
周りを見渡すと、これといって問題はない様子。試合は白熱し、相手チームのベンチもわいわいがやがや。あたしの行動を怪しむような人は、まったくもって見当たらない。ほっと胸をなでおろしつつ、自分の水筒を掴み取った。一口も飲んでいないため、まだ重い。
成すべきことを成し遂げた後のスポーツドリンクは美味い。ごくりごくりと音を立てて飲むと、より美味しく感じる気がする。種類によっては人の体液にとても近いとされるスポーツドリンクなので、これを飲んでおけば指の再生も早まったりしないだろうか。
正直緊張した。この作戦を思いついてから実行するまではさほどかかっていないが、これはすなわち隠密行動の類である。それも、スパイ映画とかで見られそう──というか、指を溶かし入れるならSFかファンタジーだろうか。まだ胸の高鳴りは治まりそうにない。
見ての通り、あたしは肉体を溶かすことができる。それ以上でもそれ以下でもない。他になにか付け足すとすれば、少し経てば元通りに再生してくれることくらいだろうか。人間の治癒能力様様である。
言うなればこれは「能力」というやつなのだが、あいにくそのような表現が的確な溶け方をしたことがない。マイテリトリーの中ではよく溶けてみたりするが、基本外では溶けない。今日は例外中の例外というか、初の試みである。
溶ける方法は、心で溶けるぞ~と思えば溶けるし、指を動かすくらいのカジュアルな感じでメルトすることも可能。便利か否かで言えば、まあ便利だろう。日常で溶けなきゃいけない時とかに。
そうこうしている内、我がチームのフォワードが一点を決めたらしい。ワッと盛り上がりが広がると同時、前半終了の笛が高らかに鳴り響く。ピッチからバラけた選手たちが、一様にこちらへと向かってきた。
この炎天下にやっているだけあって、みんな汗びっしょりで、顔もほんのりと赤い。水も滴るなんとやらというが、みんながみんな、ちょっとだけ色っぽい。その代わり、化粧っ気はゼロだ。こんな日に化粧でもすれば、色とりどりの汗が顔中を伝い落ちることだろう。
健闘した戦士たちへ「おつかれ~!」とねぎらいの言葉をかけていく。時にはハイタッチしたり、水筒を渡したり。マネージャーっぽいことをこなしていく。このキラキラ感を浴びるのはわりと好きだ。そうでもなければ、サッカー部のマネージャーなんてやってられないと思う。
「ねえ、私のこと見てたでしょ?」
不意に声が──爽やかな風の音みたい、とか表現しちゃいたくなる──あたしの方向にかかる。たぶんあたしにかかっている。おそるおそる振り向くと、土まみれ汗まみれの顔。
「佐土原さん」
「よ、マネージャー。それ私の?」
彼女が指さすのは、あたしが手にした水筒だった。同じデザインなので、勘違いしたのだろう。ちがうちがう、とあたしは佐土原さんの水筒を手に取り、渡す。あたしの指入り水筒を。
「ありがと」
きらりん笑顔で受け取る彼女は、汗でべっちょり。きっとあの喉は渇きに渇いて飢え苦しんでいることだろう。今にも電解質とかミネラルとかあたしの指が入ったドリンクを叩き込みたいに違いない。その光景を想像して、あたしがゴクリと固唾を飲んでしまう。
忙しなく開放される蓋。艷やかな唇へ近づく飲み口。あたしの緊張などつゆ知らず、佐土原さんは口をつけ──嚥下。
音を立てて飲む佐土原さんの喉から目が離せない。彼女が飲むスポーツドリンクには、あたしが入っている。味ものどごしも変わらないから、彼女はきっと気づかないだろう。あたしが彼女の喉を潤す。あたしが彼女の胃に飛び込む。あたしが彼女に吸収される。彼女の中で、あたしが彼女になる。
あたしと佐土原爽は、つながっている。
こんな感動を味わうことが、どうすれば出来ようか。融解万歳。どんどんと顔が熱くなっていくのがわかる。熱くなりすぎて、熱中症になるかもしれない。でもこの暑さならじっとしてても熱中症くらいなると思う。ハイペースで試合をやれてる方がおかしいのだ。人間すごい。
「顔赤いよ? 大丈夫?」と聞いてくる佐土原さん。流石、爽やかなので気遣いができる。
「あはは、大丈夫~」と答えるしかない。
すると、佐土原さんは自分の水筒をぐいっと差し出してきた。飲むか、という意味だろう。流石に自分を飲む気にはなれない……が、他人に飲ませて自分が飲まないのはいかがなものか。
「……自分の水筒あるからいいよ」
「ふうん、そっか」
少しだけ、佐土原さんの反応が素っ気ない気がして。好意というのは、基本的に受け取らないといけないものなのだ。不機嫌になるのも、まあ頷ける。
あたしをあたしが独占するなんて嫌だ。彼女にこそ、あたしを飲んでほしい。そう思うのは、傲慢だろうか。
◇
カポーン、というアニメ風な効果音は入らないけれど、あたしはいまお風呂に入っている。
今日の試合は、結局我が校のチームが見事な勝利を決めた。熱中症で倒れるような人も出ず、奇跡的に試合は順調に進行してくれた。そして、あたしの計画も無事成功。
あたしは、佐土原爽が好きだ。
でも、あたしがどれだけアプローチをかけたところで、この恋が成就するとは限らない。どんなに時代が変わったって、共学校のレズビアンは不遇の運命にあったりもするのだ。
だからといって溶けるのかとツッコまれれば、何も言えないのだが。
湯船に浸かるあたしの身体は、いつもとなんら変わりない。今日溶かしてしまった指も、既に元通りとなっている。人間の治癒速度はやっぱり褒めるに値する。
あたしを溶かして佐土原さんに飲ませるのも、このお風呂で思いついた。お風呂でじっとしていると、色々なことが思い浮かぶ。このほんわかとした熱気が、発想を刺激するのかもしれない。
昼と同じように、身体を溶かそうとしてみる。溶かすにも、いくつか段階が存在するのだ。ちょっとスライムっぽい感じに肉がゆるくなり、次に形状の維持ができなくなり、ラクレットチーズ状に変化。ここで骨も一緒に溶け始めてくれるので、溶けた場所にはなにも残らない。そして泥上になり、最後は液体へと変わりゆく。
再生が早いのは、泥状までだ。液体になる、もしくは溶け落ちてからは、再生に少しの時間を要する。それでも、半日かそこらだが。
指がどろりと形を失い、次に感じるのは、湯船についたお尻がずるりと崩れるところ。おかげで体勢が崩れて、口にお湯が入ってくる。溺れないように息は止めておかないと。
湯船の中で踊り出す、肌色のどろどろ。こうしてお湯と同化して湯船に浸かるのは、本当に気持ちいい。たぶん老廃物とかもほぼほぼ出ていくに違いない。湯船に入りたがるのは日本人の習性らしいので、ここに住めて良かったなあとしみじみ感じたりする。完全な液体になってお湯に混ざると、なんとなく戻って来れない気がするので試したことがない。
ぷかぷか浮いて、うごめいて、波の気持ちになる。そうしても、人間の悩みからは解放されない。あたしの中で、佐土原さんを想う気持ちは日に日に増している。自分自身を飲みこませてしまったのだから、なおさらだ。
でも、このままではなにも変わらない。あたしが佐土原さんに浸透したからといって、いつかは排泄物とか老廃物になって外へ出ていってしまう。かといって、継続的なあたし供給方法を手に入れたとて、あたしの気持ちが強まるばかりだ。すべては独りよがりのまま、なにも進展せず時が立つばかり。
──告白、するしかないのかな。
全身どろどろ状態なので声が出なかった。再生するぞ~という意思を心に込めると、少しづつ元のあたしが形成されていく。目玉とか臓器とか、デリケート風味なところも綺麗に元通りになるので便利。ついでにデトックスとかされてるっぽいので、肉体がモリモリ健康になる。
自分の肉体がちゃんとあることを確認して、手をグーパーしてみる。ちゃんと動いたので安心だ。一度指と手のひらがぐにゅっと混合したことがあるので、一応気をつけてはいる。
決意を胸に、湯船を上がった。勇気を振り絞って、佐土原さんに告白してみよう。とろけていたって、なにも始まらないのだから。
◇
「好きだっ!」
それがあたしの声なら、どれだけドラマチックだったろう。しかし、今の状況のドラマチックさに比べたら、あたしの告白なんて足の小指くらいの矮小さだろう。
取り壊し予定の旧校舎裏。不良生徒がたまり場に使っていそうだが、我が校に不良はいないのでここはとにかく平和で静寂。今日なんて、あたしと佐土原さんしか居ない。
そう。今の告白は、佐土原さんの声だ。彼女はあたしの目の前で、顔を真っ赤にしながら顔を逸している。あたしと目を合わせたくないのだろう。
旧校舎裏に呼び出された時は、どんなヤキを入れられるかと震えたものだ。もしかしたら、あたしを溶かして飲ませたことがバレたのかもしれない。ちゃんと液体状になるほどの時間を置いたはずなのだが。
結果は、佐土原さんからあたしへの、愛の告白だった。あたしの胸は高鳴るどころか、たぶん止まったと思う。それほどの驚きが、あたしの心と肉体を駆け抜けまくったのだ。驚きすぎて、指がちょっととろけそうになった。
「ごめん、突然。ずっと言い出したかったけど、恥ずかしくて。それに……その」
言い出しづらそうだ。落ち着かない様子で手をぶらつかせて、終いには俯いてしまう。爽やか彼女の意外な一面である。めちゃくちゃかわいいので、あたし的には好感度かなりアップ。
たぶん、佐土原さんもあたしと同じことを悩んでいたんじゃないかと思う。女の子同士だからどうこう、みたいな。共学の高校だから、余計に意識したに違いない。
「返事は急がなくていいよ。その、困るだろ? こんな」
「ありがとう、佐土原さん」
あたしに向いた彼女の目が見張る。散々迷って、彼女は行動に移してくれたんだ。あたしに出来るのは、すぐに返事をしてあげること。それ意外にない。
「あたしも、佐土原さんのこと……好きです」
もう胸が張り裂けそうだった。好きが心の中で唸りを上げて、鼓動が太鼓の音みたいに反響している。どうすればいい。相手の反応がない。待つしかない。
結局沈黙を破ったのは、佐土原さんだった。
「約束は守ったよ、爽」
「えっ」
次の瞬間、高速で伸びた佐土原さんの腕が、あたしの胸を刺し貫いていた。
「……えっ?」
まるで肌色の触手だった。肌の表面はうねうねうごめいていて、人間じゃないみたい。日に焼けたその肌に、あたしの吐いた血がたっぷりと注がれる。着色したイカに、ケチャップをかけた感じ。変な想像をしたらまたこみ上げてきて、咳き込んだらたくさん血が出た。
ニタリと佐土原さんの顔に浮かぶ笑み──それは、彼女であって彼女でない表情。伸びた腕が縮んでいくと、胸からするりと抜けていって、あたしの胸からは多量の血が噴き出す。心臓からは逸れていたようだが、鼓動のたびに血が噴出して、意識が朦朧としだす。
「ここで会ったが何光年ってか、アムシュ族」
「っ……その能力、アンル族。ズルヴァ星と一緒に滅びたはず」
あたしの中の常識が書き換えられ、疑問が絶え間なく湧き出す。だが、なによりも、聞かねばならないことがあった。
「佐土原さんを、どうした!」
「ハッ、乗っ取ったに決まってるだろ。てか、お前だってその娘を乗っ取ったんだろうが。善人気取りやがってッ!」
なにも言い返せなかった。彼女の……アンル族の女の言い分は、確かなものゆえに。
この地球より遥か遠き星、ズルヴァ星。そこでは、アムシュ族とアンル族という種族が絶え間ない戦争を続けていた。常に滅ぼし合う運命にある両種族は、最終戦争において星を亡くしながらもアムシュ族の勝利という歴史を残す。生き残ったアムシュ族は、宇宙に散らばることで種の存続を目指した。
広大な宇宙をさまよった末に地球へ降りたあたし。だが、己の身体はこの星に適応しきれず、その上昆虫以下のサイズな矮小存在でしかなかった。事実を痛感し、このままでは生きていけないと判断したあたしは、このサッカー部のマネージャー、
言わばあたしは、地球外生命体なのだ。
「でも、あたしは、愛香をちゃんと残してきた!」
あたしの存在は、あまり好ましい表現ではないが、寄生虫のようなものだ。人に寄生すると、愛香を乗っ取る代わり、愛香のすべてが入ってくる。ゆえにあたしは愛香として生きた。そうしなければ、寄生存在は生きられないから。
「お互い様だ。愛香の記憶の中の私と最近の私、なにか違いがあったか? ついでに言えば、私の記憶の愛香と最近の愛香もなんら変わりなかったよ。身体溶かして飲ませるまではな」
やはり、あの時。あたしの性欲が加速しすぎたとはいえ、相手がアンル族だと思うまい。
「スポーツドリンクの味が台無しさ。けど、おかげで嗅覚が戻った。あの頃の、闘争本能のままに生きていた頃の感覚。お前を嗅ぎつけるのも一瞬だったよ」
爽から放たれる雰囲気が肥大化。彼女はもう、どうしようもなくあたしの敵だ。
「地が星が違えども、私らは殺し殺され合う運命……!」
爽の両手が突き出されると、一気に伸びて迫る彼女の手。その先端が突如枝分かれし、無数に分かれてあたしを貫かんと迫る。トドメを刺す気だ。
あたしは足意外をすぐさま泥状に変化させた。形を失った肉体が宙で舞い、その中を触手たちが突き抜けていく。もちろんダメージはなく、目的を成せなかった触手は縮み戻っていった。爽は鬼の形相で舌打ち。
あたしはすぐさま足を再生、固体化して、矢のごとく爽めがけ走り出した。残った上半身はスライム化させることで勝手にくっついてくる。既に人間の形を失った上半身を持つ脚が駆ける様は、おそらく見るに絶えないものだろう。
「ちぃっ、来るんじゃねえッ!」
爽、再度触手を繰り出す。今度は、触手の先が口のようにパクリと割れた。液体、もしくは泥状になったあたしを食らうつもりだ。一方的に食われれば、あたしは肉を失いさらなるダメージを受ける。出血による肉体損傷を鑑みれば、これは十分に窮地と言えた。
無数の触手が、あたしの上下左右を囲う。逃げ場は前しかないが、走ったとて間に合わない。
だから、跳んだ。
走るより、跳んだ方が前には進む。間一髪で触手を避けたが、あれらはすぐに軌道を変えてすぐそばのあたしを食い散らすだろう。
「あたしは……愛香を、幸せにしたいっ!」
好きな人を追って、できもしない運動部へ。マネージャーという位置にはついたが、特に進展するでもなく。思春期というヤツであれこれ悩んでいた彼女が、地球外生命体に乗っ取られて、果てには好きな人も地球外生命体だった。
その上食われて死んじゃったりしたら、可哀想なんてもんじゃない!
右腕を再生し、大きく振りかぶった。そして、スライム状にした後、右ストレート──同時に腕を変換。チーズが伸びるみたいにして、あたしの腕が爽の頭上へ飛んでいく。重力に押されて落下すると、爽の顔面に肌色がぶっかけられた。
「がぼっ……きったねえ!」
「汚くて結構!」
彼女の顔面にかかった泥を再生する。爽の顔で、突如あたしの右手のひらが完成した。それと同時、あたしは右手意外のすべてを泥化する。
アムシュ族の固体化は、最も大きく固体として在る部位を起点に行われる。今この世界で最も大きなあたしの固体は、爽の顔面にある手。
固体化──そう念じると、すべての泥が爽の頭上へと引き寄せられる。そして、空中で、あたしが完成する。
「アムシュの
爽の顔面を両手で掴むと同時、あたしは肉体の大部分を液体へと変換。衣服を捨て、泥混じりの液体となって、爽の目、鼻、口、耳から彼女の体内へと苛烈に侵入した。これが佐土原爽の中なのだ。眼窩、鼻腔、耳管、口腔。唯一あたしが通ったことのある喉も通過する。あの時あたしの指は、こんな感覚を味わっていたのか。正直言って、最高に爽やかな気分だ。
このまま全身を駆け巡れば、いずれは排泄物となるだろう。だが、目的はそうではない。
愛香にとって、初めての恋だった。それが、このような形で打ち破られるなんて。でも、生き物に不条理は付き物だ。たとえ星が違くとも、不完全な生き物である限り、不条理は乗り越えて生きていくしかない。
体内で、あたしは残った泥を固体化。あたしの頭、首、胸、右手までが再生。そして、佐土原爽の肉体を、一気に引き裂いた。彼女の腹部から、一糸まとわぬあたしが大量の鮮血と共に噴出。出血多量で、爽の肉体は活動を停止する。激痛に叫んだ爽だったが、そのまま断末魔の叫びと相成った。
勝った。死にゆく爽の肉体を感じながら、一瞬だけ離れていた外気を肉体に浴びる。地球は既にあたしの生きる地となったのだ。最初は忌まわしく思ったこの大気も、今は愛おしい。
──捕まえた。
瞬間、あたしの身体から感覚がすべて消失した。動けない。なにかに身体中を包み込まれているよう。
──お前は今、私と同化している状態にある。疲弊しているお前はもう抵抗できまい。私の肉体……つまり、私の死と共に、お前も死ぬ!
爽の声だった。頭の奥から聞こえてくる辺り、彼女の言う同化は真実なのだろう。
アンル族は、アムシュ族を時に食らう。先程も、触手の口を通して、彼女はあたしを食おうとしていた。かつての記憶では、同胞を食らったアムル族は強化されていた。あれはつまり、同化ということだったのだ。
「……クソっ! 愛香、ごめん……」
幸せにするなんて大層なことを言っておきながら、結果はこれだ。あたしの傲慢は、愛香のすべてを奪ってしまった。あたしの生は、アンル族と相討ちという、アムシュ族のごくごく平凡な終わりへと向かうだけ。それも、大きな犠牲を伴って。
──爽も、初めての恋だった。
彼女が厳かに告げた、瞬間だった。爽の記憶が、雪崩のようにあたしの中へ。あたしと爽が、この肉体の中で混ざり合おうとしている。
──戦いばっかのアンル族だ。恋なんてしたこともなかった。でもさ、人間の肉に入って初めてそれを知ったよ。色々ゴタゴタはあったけど、叶えてやりたいって思ったんだ。こうなるってわかってても。
「ねえ、アンル族。名前は?」
──タロマだけど。
その名前が、聞き覚えのある名前で。それも、耳心地のとても悪い名前で。あたしは、あたしは……。
「タロマ。あたし、アルマ」
──ははっ、マジかよ。ここに来てまで私たち。なんてこった。
アルマとタロマ。二人は、ズルヴァ星の戦いにおいて、好敵手として長く戦場にて渡り合ってきた。最終戦争で討ち取ったと思っていたが、どうやらしぶとく生き延びていたらしい。
あたしとタロマ、愛香と爽は同化した。それにより、精神と肉体に宿ったすべての記憶が共有された。かつての戦にまみれた日々の中、好敵手がなにを想っていたのか。好戦的なアンル族の、戦いへの辟易。あたしたちの、悪を撲滅せんとするアムシュの思想とそれに対する一族の疲弊も、彼女に伝わっただろうか。だからこそ、すべての戦いを終結させるべく、アムシュ族は星を終わらせる道を選んだのだ。
そして、愛香と爽の記憶を巡ってみる。どうやら、二人共この恋を諦めようとしていたようだ。でも、あたしとタロマが来たことで、二人は奇跡的に結ばれた。乗っ取られてはいたが、二人は結ばれる充足を味わうことができた。
――さしずめ恋のキューピッドってとこか。
冗談みたいに笑うタロマ。しかし、その言葉が、どれだけ今のあたしを救ったろう。気持ちがふわりと軽くなる。死にゆくだけの生に、少しばかりの彩りが加わった気がして。
「……ありがと、タロマ」
──こちらこそ。たのしかったよ、アルマ。
突として襲い来るのは、肉体がどろりと溶けゆく感覚。これはいつもの変換ではない。朽ち行く肉体のそれだ。ズルヴァの存在は、死にゆく時に自然へと還る。これからこの肉体は、そしてあたしたちは、土へと還ることとなるのだ。
──死後の世界があったら、また戦おう。
「望む、ところ、ね……」
声を出す気力もない。あたしを構成するすべてが溶ける。世界との、宇宙との、愛香、爽、タロマとの、永久の別れ。これからあたしは、地球になる。さよなら、あたし。
〈おわり〉
とけあうふたり いかろす @ikarosu000
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