第2話 美濃さんの場合


「あ、美濃さん、完成までもう少しですか? この絵」

「あ、わ、部長、さん……そ、そんな、感じです、はい……」


「へえ……やっぱり美濃さんの絵、凄いな……森の中に在る廃墟……廃墟の寂しい感じと対比で森の緑の青々とした光の表現が……良いなあ」

「そ、そんなこと、ないです、よ……それより見て欲しいんです、けど、この森全体の……」

「今描こうとしているんですか? 森全体に、光の帯……みたいなのを引いて……」


「聴こえて、きませんか?」

「え?」

「声ですよ」


「……声?」

「この、森の声です。高くて、優しい……そう、妖精さん、というか。綺麗な声が聴こえてきませんか?」


「妖精、さん……はあ……なるほど」

「はじめは、この廃墟だけ、描くつもり……だったんです。でもそれだと寂しくなりすぎるから、森や草花を傍に、居させてあげたくなったんです。そしたら、だんだん森が生き生きしている感じがしてきて……それで、森の歌声が聴こえて、きたから、それで、ええと、ええと……その妖精さんたちが、きらきら~って森を包んでいる感じにしたくって! 森や空気が、『そう描いて』って言ってくれるんです。だから、この子達、丁寧に描いてあげたい」


「……むう~……深い、ですね……最初からイメージが決まっていたわけじゃあないんですね? 描いているうちにイメージが広がって、絵にキャラクターを持たせるまでに至っているのか……実に感覚的だ……」


「おおーい、立花、ちょっと来てくれ」

「あっ、先生……はーい今行きます。じゃあ美濃さん、頑張ってくださいね」


「♪らららら~ららら~……ららー……ららら~…………」

(もう自分の世界に入ってる……大した集中力というか、何と言うか)



「よっしゃ。ちょいと画材がごちゃごちゃになってきおったからなあ、整理するの手伝ってくれや」

「あ、はいー」


「……美濃ちゃんが気になるか?」


「ええ。僕が美術部とサンセッ……ってそれはこの前までか。『暁-アカツキ-』に一年の頃から入った時、既に美濃さんはメンバーでしたけど……ずっとあんな調子だったんですか? 頭で考えずにイメージ第一で、妖精さんがどうとか……『絵と対話してる』っていう感じの……」


「う~む、実はな…………半分はそうで、もう半分は違うといった感じかのう」


「半分半分って?」


「確かに、美濃ちゃんはある意味イメージだけで絵を描く……『絵と対話する』といったことが出来る人間なんじゃがな……どうも幼い頃からあまり頭で思考し会話することは苦手だったようでな。なかなか周囲に溶け込めなんだ。いじめられた体験も……それはえげつない仕打ちを受けたことがあったそうじゃ」


「……普段からうろたえたり恐がったりすることが多い人ですけど、やっぱりそんな経験があったんですね…………」


「初めてウチに入った時……今よりももっと不安や混乱状態が強かった。最初は絵を描いてるどころじゃあなかったのお。他人と同じ空間にいるだけで怯えきってしもうて……時には癇癪を起こしてそこらへんを壊して暴れることもあった」


「……そんなに、ですか…………」


「ワシらと美濃ちゃんの家族、そして通っている学校とも何度か話し合って、何が最良か。どうすれば気持ちを落ち着けて絵が描けて、学校で集団生活が出来るかよう考えたよ」


「……そんな状態で創作サークルに入っていたんですか……日常生活を送る訓練とか……そういう所が先なんじゃあなかったんですか?」


「いーやあ、それがそうでもないんじゃよ。絵とか文章とか創作活動が目標になって、精神的な安定へと促すこともあるんじゃよ。どこじゃったかな……福祉関連の施設でもそういう作業所があったりするもんじゃよ。わしらはそこまでの支援は出来んが、せめて創作活動を通じてやりがいを見出して欲しいとは思うのお。まずは何かに専心して気持ちを落ち着ける術を持つこと……それを念頭に置いての……」


「そうなんですか……」


「美濃ちゃんが中学の時からここに通い続けて数年……ワシのような爺にはついこの間のことじゃが、紆余曲折はあってもなかなか落ち着いて来た方じゃと思うよ。それに……」


「それに?」


「美濃ちゃんの描く絵。立花も解るじゃろう? 感性のままに描き続け、表現してのけるあの絵の出来栄え、はっきり言って天賦の才じゃよ。本人は自覚が無いというか、そもそも評価されることを気にしてはいないようじゃがの」


「あ……そういえば、美濃さんまた何か大きな絵画コンクールへの出品が薦められてるんでしたっけ……描きかけでも今描いてるあの絵見れば納得ですもん」


「……いくら絵が上手かろうが、将来絵の世界で食べていくことは真に難しい。美濃ちゃんのように人と接するのが苦手な子なら、なおさら生きるのが難しいかもしれん……じゃがな。あの子は創作活動をする人間にとって、評価されるよりも売れるよりももっともっと肝要なモノをしっかりと持っとる。それが――」


「……描いている、創っている瞬間瞬間が楽しいかどうか、ですよね。……まったく、あいつにももう少し…………」


「? まあ、そうとも。本来創作というもんは、売れたり褒められたりしなくとも、例え創っている自分一人だけのものでも意義のあるもんじゃ。本来は飯の種などではなく、己の精神を表現することで心を豊かに、充実させる為にあるものじゃ。それを美濃ちゃんは誰に指導されたわけでもなく無意識に実行しておる……食っていけるかどうかなどはわからん。だが、ああやって一心に絵に打ち込めることは、人生のひと時の幸せとなり得る。ワシはそう思っておるよ。そりゃまあ、この前提があって売れて評価されるならそれは極楽かもしれんがな。そうまで高望みせずとも、ここで過ごす時間がいずれここに来る皆の生きる幸福に繋がってくれることを祈るばかりじゃて」


「……ですね…………」



「こんちゃーっす。安本、今日も来ましたよーっと。今日描きかけの下描き原稿の感想を……居た居た! 沙智子先輩!」

「わっ!? あ、う、直美ちゃん。こんにちはっ」


「ほら、見て下さいよ、あたしのこの原稿のこのページ! 特にこのコマ! なかなか上手く描けたと思うんですけど、どうっすか!?」


「わあ……この肌の重なり方と……この絡んでる二人の表情が、良い、わよね……」


「でしょでしょ! でも、微妙になんか足りないんですよね~……」


「う、う~ん……わ、私なりの見方だけど……もっとそんなに目がいかない細かい所も丁寧に描いてみるとイイと思う、わ。指とか脚のラインとか付け根のエロさとか」


「ああー!! そうかあ~! やっぱり細部の描き込みって大事ですよねー! 早速意識して下描き調節しよーっと!」





「……美濃さんからすれば、理解があってかわいい後輩にも恵まれた、ってとこですかね。よくわかんない部分もあるけど……」


「じゃな。細かい趣味まで話し合える者が出来たこともまた人として幸せなことじゃて……」

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