第4話 シに沈む

 家に帰った私は頭を抱えていた。


「……こんな筈じゃなかったんだけどな」


 先程の奇妙な体験のせいか、創作意欲が燃え上がっていたのだ。

 あの子供はなんだったのか、単なる夜散歩中だったのか、それとも人じゃなかったのか。人だとしても、足音が消えたのは何処かに隠れたから?

 何処に?

 実はここまでついてきている?

 ああ、そういえば子供にしか見えない男が、子供のふりをしてストーキングを繰り返す映画があったな……あっ、駄目駄目、変なことを考えると怖くなっちゃう。

 でも、こういうのもアイディアにつながるし、どうしよっかな。


『アイディアはなまもの。できる限り急いで形にした方が良いよ』


 そ、そうだよね。

 アイディアを書き留めるだけならば、そんなに時間もかからないし、一人で怖い話を作ったことにはならないものね。

 私は自分に言い訳をしながらパソコンを立ち上げ、再び文書作成ソフトに思いついたアイディアをバラバラと並べていく。

 オチに少しひねりを加えて、ここで読者の興味をくすぐって、あはは、すごいすごい! 私、書けてる!


「あっ」


 書け――てる? いや、それは、不味いって。なんのために今までわざわざ図書館で書いていたのかわからなくなっちゃうじゃない。


『また書くことになったとしても、一人でホラーを書いてはいけないよ?』

『ホラーは一人で書いちゃ駄目だ。できれば俺と、せめて誰か人のいるところで書くんだよ』


 焦る理性と裏腹に、指先は感情のまま未完成なアイディアたちに文字という肉をつけ、筋書きという骨へとくっつけていく。

 胸の内に燻っていた不安の種のようなものが芽を出し、蔓を伸ばし、私をがんじがらめにしてパソコンへ縛り付ける。

 駄目だと言われていた筈の言葉が、私をどうしようもなく熱くさせる。

 いけないのに――気持ち良い。

 私の身体が、確かに今、物語を紡ぎ出してしまっている。

 体の奥が熱くなり、自分でも分からない快感に飲まれ、私の頭の中から先輩の言葉が消える――消えていく。


「……あはっ」


 そうして、何かが私の中で弾けた。

 種をばらまく鳳仙花のように、私の中に咲いた花は、また新たな不安の種をばら撒く。終わらない。


「あはは……!」


 その日、何かに取り憑かれるようにして、私は五千文字を一気に書き上げてしまった。

 コワイ、コワイ、コワイ。だけど、それが、キモチイイ。

 頭が沸騰しそうになりながら、私は新たな物語の最後の一文字を打鍵し、恍惚の吐息を漏らした。

 先輩が私は鋭いと言っていた。それはきっとこういうことだろう。

 今なら分かる。頭の中で物語が湧いてくる。それはきっと自分だけの世界から生まれる根源に繋がった恐怖。それが解放されるのが、たまらなくキモチイイ。

 ああ――のらはイケない娘でした。


     *


 一週間後。

 私は部屋の片隅で熱いのに布団を被って震えていた。

 周囲には風邪をひいたと言っている。

 でもこの寒気や震えはそれだけじゃない。


「……のらちゃん? のらちゃん? やまもとさーん? お土産持ってきたんだけどー?」


 扉の向こうできいろ先輩が私を呼んでいる。

 目張りした窓に、窓に、窓になにかの気配がある。

 ぴったり閉じた筈のふすまがほんの少し動いているような気がする。

 そもそも扉の向こうの先輩は先輩なの?

 分からない。違うかもしれない。だから怖い。

 確認しない限り無限に広がる可能性が、想像力が、私自身を飲み込んでいく。


「せ――」


 そこまで声を出そうとして息を呑んだ。

 こういうのって、答えたら駄目って何処かの話でやっていたような気がする。


「……あ、了解了解。?」


 扉の向こうの先輩はあっけらかんと言い放つ。

 そんなことまで分かってしまうの?

 なんで?


「いやまあ、もしかしたらとは思っていたんだ。それは駄目だ。。そういうのってよくあるからね」

「――先輩、本当に先輩なんですね!」


 私は必死で鍵を開け、チェーンを外し、部屋の扉を開く。

 私の住んでいるマンションの扉の向こうに、いつものきいろ先輩が立っていた。

 手には温泉まんじゅう。良かった。戻ってきてくれたんだ。


「のらちゃん。世の中にはね。究極的に怖いものなんてないんだよ。怖いかどうかを決めるのは自分自身。だからそもそも怖いことについて考えなきゃ怖いものなんて生まれないんだよ」


 そう言ってきいろ先輩は温泉まんじゅうを私に差し出し、ニッと笑う。


「だって……こんなことになるって……思わなかったんですよ……」

「いや、俺もここまでのらちゃんが鋭いとは思ってなかった。そこまで具体的に想像ができるなんて、本格的にプロ狙えると思うぜ。俺なんてホラーと言っても、商業だと異能バトル物の味付けの為にしか書けてないし、その才能は羨ましい」

「でも、こんなざまじゃとても書き続けるなんて……」

「そういう発想を制御するのは技術じゃないかな? 魔術に詳しくなるとか、信仰について理解を深めるとか、そうやって自分の中から生まれる恐怖に、想像力で対抗する術を学べば良い。もしくは自分自身が妖怪だー!って路線も良いね。わりとホラー書きはそういう人多いよ」

「そういうものなんですか?」

「うん、専業ホラー山本のらちゃんって良いと思う。あー、でもそうなるとVtuber活動がな……まあいいや、話は何処まで進んだの? ここで話し続けるのもあれだから、喫茶店でも行って、ゆっくり進捗を伺おうじゃないか」

「ここに居続けると、彼女さんに怒られちゃいますもんね?」


 私はそう言ってから、思わず笑ってしまう。自然と笑えた。ホッとしているんだと思う。


「あはは、そゆことそゆこと。今度プレゼント選ぶの手伝ってよ。お誕生日なんだ。向こうのご両親と食事とか行ったりしてさ」


 ――ああ、先輩。それはまるでこれから死ぬ人みたいじゃないですか。

 不穏な思考が頭の中を過ぎり、震えが来る。

 まだ恐怖は終わってない? まさか。先輩が来た。もう終わり。悪い夢は覚めて、私はまた読み専に戻る。そうしよう。少なくともホラーは書かないんだ。

 私は気取られないように震えを抑え、できるだけ可愛らしく見えるように微笑んだ。

 ああ、そう言えばすっぴんだったっけ。女の子らしくないぞ私。


「お任せください! じゃあパパっと身だしなみ整えてきますね!」

「ああ、それじゃあ俺は外で待ってるよ」


 と言って、きいろ先輩が部屋の外に出ようとした時だ。

 カツンと音が鳴り、きいろ先輩の驚く声が聞こえる。

 部屋の外のフェンスに、何か硬いものがぶつかった音。


「……嘘でしょ?」


 呼吸は無い。

 脈も無い。

 瞳孔? ってどうやって確かめるんだっけ。

 嘘だ。嘘だ。嘘だ。

 そんなバカな死に方はない。

 そんなバカな死に方して良い筈がない。

 アッハッハッハと誰かの笑う声。

 ――壁の薄いマンションだから、誰かがお笑い番組でも見てるんでしょ?

 普段の私ならそう考えた。

 でも、今は違う。

 何かが居る。

 きっと居る。私を見て嘲笑っている。

 あの夜、あの交差点で足音のない子供と出会ったその時から、私の世界はきっと、もうどうしようもなく歪んでいたんだ。

 私はその場にヘナヘナと座り込み、泣いていた。


「いや、いや……!」


 私の喉が勝手に悲鳴をあげるのを、私はぼんやりと聞いていた。

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