第40話 魔王対怪物

「来ました‼

 目下今大会7年連続優勝中‼

 世界に誇る東洋の絶対女王‼ その実力は最早魔王の如し‼

 ミス・クライマー‼ 野村晶~~‼ 」


 響き渡る歓声に、余裕を見せて手を振るその姿。この決勝の舞台でも変わらぬそれは、正に女王、いや魔王の貫録に相応しい。


 この決勝戦が始まった時から、選手も含めて全ての者達の胸中に芽生えたその想い。

 その解答は――。

 間もなく開かれた。


「……な。なんと……。

 こ、この決勝の舞台でも……。

 絶対女王。そして、魔王。その異名に……偽り、なし……‼ 

 野村晶。4連続一撃です‼ これで、準決勝の辞退を挟んでトライした課題は全て一撃‼

 も、最早、ただ一人別次元の実力、性能‼ 」


 MCの驚きの声と、今一度湧き上がる会場の歓声。


「し……信じられない……

 何故、こんな事が……」華が震えながらそう口にするが、谷寺の見解は違う。


 160cmを超える恵体に加え、そこに敷き詰められるのは常人では不可能な筋量。そして脳内に刻まれる全ての経験を知識に変換する知識力。

 常人と野村を比較してはいけないのだ。

 そして、その比較対象に入る常人とは――。

 野村と、それ以外のクライマーという分け方になる。

 まさに神に近しい不条理と我儘。それが許されるのが野村晶。世界はおろか、スポーツクライミングの歴史にすら選ばれた者。


 その野村を刺す為だけに設置された最終課題。喩えるならばクライミングの怪物。


 そこに向かうと、野村は静かに課題を見上げ続けた。


「……せ、制限時間がどんどん過ぎてるのに、何で野村は動かないんだ⁉ 」

 観客の誰かが思わず口にする。すれば、続々と観客席がざわめきだした。


「せ、先生……」華も、その真意の意味が判断るであろう人物に縋る様に声を発する。


「1回だけのトライに全エネルギーを費やす気だ。

 恐らく野村の想像の中でも、あそこまでの距離を跳躍で捉えるには全ての力を集約しなければいけなかったんだろう。

 そして――全一撃ならば、その時点で一花のトライを待たずして優勝も決まる。

 ここまで確実の確率を取っていた野村が、初めて不確実の確率に挑む気なんだよ。

 ……まぁ、奴なりに勝算が無ければそれを実行する事も無いだろうがな」


 谷寺の説明を受けても華にはその全ては理解出来ない。それはまだ、華がその領域の者達を知らないから。


「の……残り時間……30秒です……」

 勢いを無くしたMCがそう言った時、野村が動く。

 傍にあったブラシを取ると、丁寧に跳躍前に足を掛けるであろうホールドを磨きだした。そして、チョークボックスへ指先を白色に染めると。


 ――始動す。


 その動きは先までの選手達とは、やはり素人目にも判る程に異別。

 安定感――その言葉が相応しいだろう。人間が安定する筈のない体勢と場所で。まるで地に足を付けて歩く、そんな当たり前の様な動きと同様に野村は登っていく。

「あ……の、野村選手、制限時間終了ですっ‼ 」

 慌てて、ブザーが鳴った少し後にMCが告げるが、誰も聴こえてはいない筈だ。


 そうして、当然の様に彼女はその場所まで辿り着く。


 ここまでこれたのは、先の真土里ただ一人。結果は周知の通り。


 最早、息を吐く音すら拒まれる緊張感。


「跳躍しかない」谷寺の言葉通り選択肢はない。では、その技術でどうこの距離を縮める?


 野村が導き出した答え。それを見た時、誰もが絶句する。

 不安定な筈のその足場を支点に、野村はその身体を左右に振り子運動させ始める。

 小さな振り幅から――徐々に。徐々に大きく……!


「スウィング・バイ……」

 それに、谷寺が余り驚かずに呟いたのは、どこかでそれしか無いと谷寺も気付き始めていたからだ。

「その名称の由来は、宇宙天体専門用語から来ている。少ない力でより遠くの惑星へ移動する為に重力を利用する方法らしい。

 そして、ボルダリングの場合もその由来に等しい技術となる。

 跳躍の前哨行動として用いられる――身体を左右に振り子運動させ、跳躍に慣性の力を上乗せし跳躍力を向上させるものだ。

 言葉で言うは単純だが……ホールドなんて不安定な場所で身体を揺らすなんて芸当は、高等技術でしかない。上手くいけば跳躍力を高められようが、失敗すれば即落下」


 そして、その振り子幅が最高潮に達した時。


 遂に、その手が離された。

 同時に、湧き上がる怒号の様な悲鳴と歓声。


「し、信じられない、飛距離だーーーー」

 MCが絶叫する。


「……届く」

 谷寺のその呟きが言い終わる程に、長い滞空時間だった。


 野村の右腕の示指と中指の第一関節が、終点のホールドへ到達すると同時に、釣り針の様に曲がりそれを掴む。


「だが……」

 野村の全身が一気に硬直すると、タンクトップから覗くその背肩の筋肉が爆発した様に肥大するのが、観客席からも分かった。


「跳躍する事は、そう難しい事じゃない。安定さえ出来れば後は踏み込むだけだ。

 更に、足の筋力は腕の3倍とも言われている。普通に跳んだだけである程度は誰でも達せる。

 真に跳躍の難しさは、その発射時の勢いを受け止める事。

 受け止める時は腕力しかない。更に跳躍距離が広がれば広がる程に掛かる負担は増大する」


 ――今のわたしでは……この勢いを受け止めるには足らないという事か。


 掴んでいた野村の指が、掛かる大きな力によって引き剥がされると、その勢いのまま地面のマットへと叩き付けられた。

 会場を悲鳴が包み込むと。


「あー、あー‼ だ、大丈夫かー野村選手‼ 」

 と、慌てる様なMCの声と同時に、救護班と思わしき人物が一斉に舞台の野村の元へ駆け寄った。

 しかし、当の野村本人は何事も無かったかのように笑顔で立ち上がると、手を前に突き出し彼等を制する。

 そして観客席に向かって、大きくお辞儀をして両手を振った。


 ――途端、沸き起こる歓声。


 そして、振り返り舞台裏に戻る一瞬、その課題を眺めて。

「ちぇ……」と唇を突き出して呟いた。

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