第41話 天嶺に咲く花達

 ――野村晶完登至らず。

 その事実に会場の空気は先の張り詰めた空気を失い、そして雑言を生む。


「やっぱ、ルート設定ミスだってアレ」

「いや、でもやっぱ野村すげくね? あの距離で届くって」


 まるで――。

 まるで、大会を振り返る様なその溢れる言葉。


「では、準決勝1位通過、凪海一花選手の入場です‼ 」

 MCの言葉に、会場からとても穏やかな拍手が送られる。


「なに……? この雰囲気……」

 頬杖を突くと、谷寺が華を諭す様に口を開いた。

「そりゃ、そうだろ。

 さっきの野村の一手があの課題の唯一の攻略に見えた。

 が……結果、それでもあの野村を以てして完登出来なかったんだ。

 必然的に観客も悟るよ。

 あの課題を登るは不可能。となれば。

 優勝は、4つの課題を一撃で落とした野村。それで決まり。この大会は終了」


 そこまで言うと、鼻息を荒げる華の肩を抱きかかえる。

「でもな――そんな観客の中、たった2人だけだが、その考えに反対を示している。

 それじゃ、ダメか? 華」

 思わず、開口したまま華は呆けた様な表情の後、小さく笑った。


「ダメじゃないです。でもそのかわりに大きな声で応援して下さいね? 」

 その言葉には「いや、わたし低血圧だし……」と意気消沈して返答する。

「ダメです‼ 絶対‼ ほら‼ 一花先輩が出てきたら一斉にイキますよ? 」

 そう言うと、谷寺の肩がグイッと引っ張って小悪魔な微笑みを浮かべた。


 そうして、一花が姿を見せた時。

「ガンバーーーいちかーーーー‼ 」

 と、2人の声が静まった会場を切り裂いた。


「お~~っと、熱い声援だ~‼

 凪海選手っ、それでは、最初の課題へ向かって下さい‼ 」


 一花は第1課題に向かうと、腰のチョークボックスに右手を入れる。

 そして、余ったチョークを「ふっ」と息で飛ばすとゆっくりと両肩を回した。


「では、開始して下さい‼ 」

 その声が響いた初手だった。

 余りにも呆気なく――一花は失敗する。


「い……一花先輩‼ 」

 まさかの光景に、華がみっともない程狼狽える。


「……華、また昔の話になるが……お前がわたしに才能の話をしたのを憶えているか? 」

 そんな彼女を落ち着かせる意味でも、谷寺は穏やかに語る。


「あの子には、真土里の様な柔らかく身軽な身体は無い。

 野村の様に経験も、技術も、恵まれた身躯も無い。

 そして――継葉の様な野性的な勘と、強靭なバネも持っていない。

 だけどな? 」


 一花は、今一度深呼吸を行うと、2度目の挑戦へ向かう。


「あいつは、2つ。その3人に勝るとも劣らない武器を持っている。

 そして今日初めてあいつはそれをクライミングに向けた」


 グイグイと力強いムーヴで登る一花の足が滑り、またも落下する。


「それは――

 諦めない勇気と。

 迷わない勇気だ」


「残り時間1分です、凪海選手‼ ガンバです‼

 皆さんも、声援よろしくお願いします‼ 」

 そのMCの言葉に、まるでアトラクションの煽りを受ける様に緩く観客達が応える。


「いちがぜんばいーーーー‼ ガンバァアァアーーーー‼ 」

 それを打ち返す様に1人、喉が焼けきれそうな程の大声を華は張り上げる。


 背中でその不細工な声援を受け取り、一花は三度、第1課題に挑んだ。

 そして――。


「完登~~‼ 持ち時間いっぱいにして、凪海選手、第1課題を登り切りました~‼ 」


「やっだ~~ぜんば~~い‼ 」

 声をガラガラに枯らして、喜びを全身で表すその少女を見て、谷寺は思った。


 ――きっと、この事を話したらお前はこう言うんだろうな、一花。それは自分だけの力ではなく。わたしや華からも貰ったものです。と……。


 その後の第2、3課題もアテンプトを費やしながらではあったが、一花は完登を達成。

 だが、その異変は、第4課題の時に起こった。


「さぁ、残す所、第4課題そして最終課題を残すのみとなりました。

 現在の成績は、3完登アテンプト数8、3位につけておりますが、どちらか1つの課題を達成すれば、完登数で真土里選手を抜いて単独2位。そして、全ての課題を完登すれば……

 野村選手を抜き去り、優勝となります」

 そのMCの言葉を聴いて。

 会場がまるで忘れていたかのように、目の前の事態に気付く。

 途端に、騒めきだす会場。


「そうなると、凪海選手は一撃数こそ野村選手よりも少ないですが、今大会の課題全てを攻略しての完全優勝となります‼ 」

 再度、繰り返されたその報告で。


「うおおおおおお、すげぇええええええ‼ 」

 会場が息を吹き返す。


「へへ……今更ですよ……気付くのが」

 選手よりも疲労が著しい華が、少し満足そうに微笑んだ時だった。


「お……お~っとどうした? 凪海選手、膝を付いてしまった~」

 MCの言葉に連動して救護班が動くが、一花はすぐに立ち上がると右手を前に突き出して微笑を浮かべた。


「び……びっくりした……一花先輩たら、こんな時にこけなくても……」


「いや、今のは偶然じゃない。

 もうあいつは立っているのもやっとの状態なんだよ。

 真土里茶々と同じだ。体力が限界を迎えている」

 谷寺が挟んだ言葉に、華は目を丸くする。


「な、なにを冗談を言ってるんですか‼ 一花先輩の体力の底なしさはあの訓練に関わった先生なら、誰よりも知っているじゃないですか‼ そ、それに一花先輩には勇気って武器もあるんでしょ⁉ 先生‼ 」

 谷寺が無表情を崩し、とても悲しそうに眉を顰めた。


「華、体力はなどんなに精神力でカバーしても、有限なんだ。無限の体力なんて生きている限り存在しない。

 一花の基礎体力は確かにかなり高い水準にある。だけどな? この初めての大きな大会。そして出場者で誰よりもアテンプト数を刻み続けてここまできた。

 むしろ、ここまで来れた事が奇跡と言っていい」


 谷寺は感情を込めず、冷静に言い放った。

「そんな……」言葉を失う華。そんな彼女を見るのも心苦しかったのか。

 谷寺は天井のライトを見上げると、まるで自分をも納得させる様に淡々と話した。


「限界を越えて尚、壁に挑む真土里を何故? とわたしに尋ねたな? 華」

 そこで、空気の動きで彼女が自分の方を向いたのを感じ取り、谷寺は続けた。



「ここからではたった高さ5メートルの視界に納まる高さのその壁は。

 あそこに立った者にはまるで天高くに聳え立つ嶺の様に見えるんだ。

 花なんだよ――あいつらは。

 そんな、天嶺に……何度も何度も挑み。

 やがてそこに根を張り、咲き誇る花。それが、あいつらなんだよ。

 無理だとか――。

 限界だとか――。

 それでも、その生命本能にも似たクライマーの本能が」


「――だったら‼ 」

 華のガラガラの声がその谷寺の言葉を止める。


「あたし達も先輩を応援しなきゃ、ダメじゃないですか‼

 先輩は――きっとそこに花を咲かせるんだから‼ 」

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