最終章 決勝【ジャパン・カップ】

第38話 野村殺し

 女子準決勝の数分後、男子準決勝も続いて終了する。

 決勝は準決勝と違い男女で個別に行われる事になる。

 先に女子の決勝、そして男子の決勝と続くのだ。


 1時間の会場準備の後――遂にその決戦が火蓋を切る。

 人の熱気と、暖房の時間も相まって上着のままだと少し汗ばむ様な気温のその会場。


 食事はおろか飲み物も飲まずに、華と谷寺もそこから一歩も動かず見守り続けていた。


 食事休憩から戻った観客達が席に戻り、ざわざわと息巻き始めた頃。

 フッ……と会場の照明が落ち、暴れまわる様にスポットライトが会場内を駆け回った。


「会場にお集まりの皆々様‼

 ご準備は宜しいでしょうか⁉ 」

 その言葉と同時に、スポットライトが会場の中心へと固定される。

 真っ白なシーツをかぶされた壁に、プロジェクターで映像が映し出されると、軽快なミュージックがかかる。


「それでは‼ これより、ボルダリング女子、日本大会決勝を始めます‼

 まずは、ここまで勝ち上がってきた6名の選手の紹介を致します‼ 」

 その言葉でプロジェクターに選手の顔、名前、準決勝のトライの様子が映し出された。

 続々とMCの紹介と共に、女子選手が次々に姿を見せる。


「準決勝3位、真土里茶々選手‼ 」

 少女が姿を見せ、右手を挙げると先の応援団が一斉に歓声を挙げた。


「準決勝2位‼ 野村晶選手」

 野村は姿を見せると、両手を挙げて、バク転のパフォーマンスを見せた。それは先程の棄権が怪我などではないという事のファンへのメッセージの意味合いだ。

「のむら~」

「あきらさ~ん」と、会場の至る所から歓声が溢れている。


 そして……。

「準決勝1位‼

 本大会初出場‼ 凪海一花選手‼ 」

 その紹介と共に、会場が地鳴りを挙げる。


「う……あ……」華がその凄まじさに思わず震える。

「最注目の選手が、絶対女王を抑えての決勝1位通過だ。当然、こうなる……」

 谷寺が厳しい表情のまま舞台の一花を見据える。


 ――顔色が悪い……決勝つのか? 一花……。


「それでは‼ 決勝の5つの課題を発表します‼ 」

 華と谷寺の不安が残るまま、選手たちの背後の壁の白い布が一斉に剥がされた。


 そして、それを目にした全員が思わず息を呑む事になる。


 目の前に現れた5つの課題。

 そのどれもが、準決勝のそれとは比較に出来ない程の高難易度に設定されたものだが。全員の眼が嫌でも留まるのは、最終課題。


「あれって……どうやるの? 」

 会場の誰かがそう漏らした。

 だが、その解答が出る者など皆無だ。何故ならばその解答に最も近しい彼女達すらもそれを見て血の気の引いた顔を浮かべていたのだから。


「……野村殺し……」

 谷寺が静かに囁くと、華は無言でその表情を窺い言葉の真意を尋ねる。


「あの課題は、国内大会の基準を遥かに逸脱した難度だ。それが意味するのはたった一つ――あの課題は野村晶という世界最高のクライマーへの個人的な挑戦だ。やれやれ。本当に下らない事をするルートセッターも居たものだ……」

 そこまで言うと、谷寺の表情が不愉快だと言わんばかりに激しく歪んだ。


「やれやれ~、困ったね~皆~、あれ宙でも飛べって言ってんのかね? ねぇ、一花ちゃん」

 野村のお道化た様な声に、一花は薄い反応で「ええ……」と小さく反応した。

 その顔色は優れない。


 その問題の決勝最終課題。

 最後のフィニッシュホールドまでの道に一切のホールドが無いというもの。

 形状だけなら準決勝の第5課題に近いが、倍以上に距離が違う。そして設置壁の角度が鋭角。つまり、スラブを利用するような移動も不可。

 意味するそれは。


「跳躍しかない」

 会場の谷寺と舞台の野村が同時にその言葉を発した。


 それしか手が無い事はその場に居た選手全員が理解はしていた。

 が――それは、人類として果たして可能なのか? 続く思惑はその言葉。野村晶を以てして、それは例外ではない。

 ――やれやれ、本当に困ったな。そんなにわたしを失敗させる事にやっきになるかね?


 野村晶は歴史に名を残す生きた伝説だ。だからこそ、その首を狙う者は後を絶たない。中立的立場のルートセッターですら。現在の彼女にとっては――敵。

 その立場は、正に孤高の称号に相応しい。


 ――本当に……やってくれるよ……。

 野村の表情が初めて、陽気さを失う。

 ――だがこのような事態は初めてではない。

 彼女の脳内のノートにはこういった経験は記され続けている。この距離の跳躍の方法は流石に経験に記されてはいないが。それでも、むざむざルートセッターの思惑通りに落ちるつもりもさらさらない。

 凪海一花を倒し、この課題も突破する。

 彼女は確信した。その先に、更なる自分の進化があると。だからこそそこで彼女は微笑んだ。殺意にも似た狂気を交じらせて。


「それでは‼ オブザベーションを終了して下さい‼

 川崎選手以外の選手の皆さんは、控室へとお戻りください‼ 」

 MCの言葉を聴いて尚、選手達は最終課題をじっと睨みつけたままだった。

「川崎選手以外の選手の皆さんは、控室へお戻りください‼ 」再度、MCが強い口調で言って、ようやっと野村を筆頭に選手達が動き出した。

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