第37話 君臨

「いちげーーーーーき‼

 3課題連続一撃は、真土里選手、凪海選手に続いて今大会で三人目‼ 」


 しかし、先の2人とそれは違う。

 明らかに格が違う一撃。

 あれだけ歓声が木霊していた会場がシンと静まっている。時折、男子側の垰への黄色い声援が目立つ様に響く中。

 まるで野村晶は自宅の階段を登る様に3つの課題を越えた。

 真土里も。

 一花も。

 観客の眼からは全力で、必死で食らい付いていたのは明らかだったに。

 だが野村に至っては汗の一滴すらかいていない。

 ここまで残酷で不条理な事実が在るのだろうか?


「さぁー、次の第4課題まで一撃ならば、今大会初となりますが……。

 次の第4課題は未だに一撃達成者はいません‼ 」

 MCの言葉が終る間もなく、野村はその課題に手を掛け。


 そして、今までの選手と同じ様に――。

 彼女もそのホールドに足を掛けた。

 恐らくそこに体重を掛けた時。野村も感じただろう。

 摩擦の無効化。落下の仕組ファクターを。

 が――。


「止まって……る? 」

 華の震える声の先。

 挑んだ選手をこと如く滑り落としたその悪魔的ホールド。

 その真上に――野村晶は君臨す。


「あの野郎、掴んでやがるな」

 谷寺の言葉に華が「掴む? 」とその意味を尋ねる。

「足の第1趾と第2趾。正確には違うが親指と人差し指と言った方が解りやすいか? そこであいつはホールドの角を掴んでやがるんだ」

 以前、華がシューズを継葉から譲ってもらった時にも記したが、クライミングシューズは特別な構造となっており、足にピッタリとフィットする様になっている。だからシューズ越しに足趾を利用する――事は物理的に可能ではある。


 だが、だからと言ってそれをこの課題のこのホールドで実行できるのは世界を捜して一体何人居るのだろうか? いや、今目の前で行っている野村を除けば……ひょっとしたらそれは……。


「いちげーーーーーーき‼

 これが野村晶‼

 これが絶対女王‼

 8年連続の連覇に向け‼

 4課題、4連続いちげーーーーーーーき‼ 

 さぁ‼ 残す所は、あとひ……と……かだ……?? 」

 MCがテンションを上げて叫んでいたその声が、困惑に包まれた。

 いやMCだけだはない――その凄まじいクライミングを見て言葉を失っていた観客達も同様に言葉を失った。


「一体、何を? 」

 華の言葉と同時に「ガリリィ」と隣の谷寺の口内から歯を噛みしきる音が響く。


「やりやがった……野村め……」

 野村が会場を惑わせたその行動は。


 棄権――第5課題を辞退するというこの流れからは理解出来ない意味不明な行為は。

「あの時の継葉と同じ様に一花を潰す気か……‼ 」


「た……只今の野村選手の記録……

 4完登、4一撃で……じゅ、順位は2位となります。

 そ、そしてこれで女子決勝戦出場者が決定いたしました。

 6位、川崎聖子かわさきせいこ選手、2完登、2一撃。

 5位、園竹そのたけアスカ選手、3完登、2一撃。

 4位、葛城当真選手、4完登、1一撃。

 3位、真土里茶々選手、4完登、3一撃。

 2位、野村晶選手、4完登、4一撃。

 1位、凪海一花選手、5完登、4一撃。

 以上、6名で決勝戦を執り行います‼ 」


「どういう意味ですか? 野村さんは何故最後の課題を辞退されたんですか? 先生‼ 」

 不安そうな華の問い掛けに谷寺は眉間に皺を寄せる。


「あいつの頭の中をノートに喩えた話を憶えているか? 」

 華の脳裏に、あの境内の裏の訓練場で谷寺が話してくれた時の記憶が蘇り彼女は一度大きく頷いた。

「わたし達、クライマーの間ではそれを『完全統治の導It is a perfect note 』と呼んで特別視している。そこには野村が経験したその全てが記されているのだが。

 それは、ほぼクライミングの全てと言って構わないものだ。それが野村晶というクライマーだと言っていい。

 つまり……あいつの行動の全てはその経験に記された根拠を以て実行される。

 2年前になるか……この日本大会の予選で、継葉が野村に先んじた事があった」

 谷寺は遠くの記憶を読み取る様に目を細めた。


「あの時もわたしはその違和感を感じていた。

 だが、継葉の目を瞠る程の成長の輝きに夢中になって見えていなかったんだな。

 いいか? 華――。

 クライミングに関わらず、スポーツという競技において最も驚異的な状況というのはな?

 試合を――相手に制御コントロールされる事だ」


 華がその言葉を聴いて、先の興奮も冷めきり小さく呟いた「制御? 」

 谷寺は、舞台でお辞儀をする野村を睨みつけながら続ける。

「恐らく世界を見渡してもそれが出来るのも効果を与えれるのも野村だけ。継葉も圧力をそう感じないタイプだった。

 それでも、本戦では野村の迫ってくるその圧力に、本来の自分のクライミングが出来ず結果的に敗北した。

 ――自分のトライの前に野村が先に登る。それだけで全ての選手は己のペースでトライに臨む事が出来ないんだ。

 あの……継葉でもそうだったんだ……」


 だが、その真実の裏は……。

「あの野村さんが……

 一花先輩に継葉先輩に行ったのと同じ作戦を……? 」

 そう、華が意識せずに漏らしたその事実。


 ――野村、流石だよ。あの時、たった一目触れただけで、お前は正しく今日の一花を審美した。そしてそれまで遥かに格下だった一花に対して、迷いなく作戦を実行出来るその決断力。

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