第36話 Percentage
一花の課題が始まっておよそ6分。
その大きな歓声は、控室に居た野村と真土里の元にも届く程だった。
「なに……? いったい何の歓声……? 」
――経過時間的に、3番手か4番手の選手……多分継葉の姉……一花だな。きっと……大方3連続で一撃を決めたかな?
それだけ予測すると、野村はすぐに瞑想に戻る。
――ふぅん……妹を使った精神攻撃は通用しない……か。
一つだけ、予測外だった言葉を思って……。
凄まじいのは、その野村の推察力か。
先の大歓声。正にその通り。一花が第3の課題まで連続で一撃を成立させた瞬間のものだった。大会に対しての経験力の大きさがこれだけで伺える。そしてそれを理解しつつ動揺も見せないという意味。
「先生‼ 一花先輩、半分を一撃ですよ‼ 」
一花に才能がない――なんて嘘じゃないか‼ と、谷寺の過去の発言に対しての意味合いも含めているのか。華は鼻息を荒げて谷寺の顔を見る。
だが、その谷寺はあくまで氷の様に冷たい程に冷静にその一花のトライを見つめている。
「凪海一花というクライマーの最大の欠点は……
華、お前に言わずもがなそれは
あいつの練習量は、お前も知っての通り。己の身を消耗させてでも行う程の根性。そしてそれに耐えうるタフネスによって培われたもの。
常人以上の鍛錬を積んだフィジカルは間違いなく一流に近しいそれだろう。
だがそれを以てしてもあいつが継葉と野村に追いつけなかったのはそれが最大の要因だった」
「で、でも‼
今日の一花先輩にはそんな様子は一切見えません‼
もう、その頃の一花先輩じゃないんです‼ 」
谷寺の言葉を否定する様に、力強く華は反論する。
「頑張り過ぎなんだよ。あいつは、いつも……」
肉体面よりも精神面を鍛えるというのは個人により大きな差を生む。最も簡単な事は自信を抱く事だ。多くの者は肉体面の向上により、出来なかった課題をこなせるようになる時にそうやって自信を刻んでいく。
一花の場合、本人の理想の高さがそれを邪魔した。ようやっとこなせた課題。それを喜ぶ間もなく、最強の妹がそれを遥かに超える速度で上達していくその姿勢を間近で見ていたのだから無理もない。
多分、その事を今言っても華は一花がそれを乗り越えたのだと主張を示すだろう。
――違う、違うんだよ華。
継葉と出逢ってから数日後の事だった。谷寺はその少女とも出逢う。
あぁ……何という事だろう。彼女はその少女に共有感を抱いた。マメが何度も潰れ形を変えた掌。練習のし過ぎでバランスを失った左右の筋肉。
そして――失敗した時の落ち込んだ表情。
積み重なる努力を信じているのに。そのすぐ裏で努力の儚さを嘆いている。才能の大きさの前に努力は無力だと叫んでいる。
――はまるでわたしだ。
だから解る。一花が今何を燃やしているのか。何を振り絞っているのか。
「ああ~~」そこで、観客席からため息が漏れる。
「凪海選手‼ 惜しい、落下してしまいました‼ 再トライ‼ ガンバです‼ 」
MCの軽快な説明の通りだ。
第4課題で遂に一花は1アテンプト。2手目に掛けた三角錐のホールドに足を掛けた時に滑落した。
「あぁ‼ 」心配そうに悲鳴を挙げる華に「あのホールドは異様に摩擦力がない。ルートセッターの仕掛けた罠だ。ここまでも全員があそこで失敗している」
ここで崩れるようなら今までの一花のままだったろう。
だが、違う。
僅かなレストを空け、一花は再びそこに挑んでいく。
その少し後に大きな歓声が再度選手控室を揺らす。
「……この歓声は、先程のと続いている? 」
だとするならば、その意味は。真土里の表情が明らかに厳しさを増した。
「全完登したんだね……一花」
ゆっくりと瞼を開くと、クスリと野村は微笑みを浮かべて会場の方の壁を見つめる。
「やりましたよ‼ 先生‼ 全完登1アテンプト‼
暫定1位のほぼ決勝進出決まりじゃないですか⁉ 」
嬉しそうに華は爛々と瞳を輝かせて小躍りでも始めてしまいそうだ。
谷寺はその声を聴きながら、舞台の一花の表情を見つめる。
彼女の表情は明らかに憔悴しきっている。
「とああぁ‼ 」
少女は、高らかに跳躍すると両手でフィニッシュホールドをしっかりと掴み、観客の方を向きガッツポーズをとった。
「真土里選手‼ 見事4つの課題を完登‼ 」
MCの言葉をかき消す様に応援団が「茶々ーーー‼ 」と叫ぶ。
少女は飛び降りると、少しだけ納得がいかない表情を浮かべ、腰に手を当てて課題を睨んでいた。完登を逃した1課題を。
「半分過ぎたけど、まだ一花先輩が暫定トップだ‼ すごい、これなら本当に決勝に……‼ 」
華のその興奮冷めやらぬ願いはその後思いもよらぬ結果を生む。
「さぁ~残す所男女ともに1名となりました‼
つまり、現在4位までにつけている選手は自動的に決勝進出が決定しています‼ 」
華は、その言葉を鼻息荒く聴く。
凪海一花の現在順位は――1位。決勝進出は決まり、更には最後の野村の順位次第では決勝の舞台で最後の順番という有利性を獲得出来る。さすれば。
――さすれば、華ですらも怖ろしく口に出来なかったある可能性が大きく浮き彫りになり始める。
優勝。継葉を以てしてこの日本大会では野村の大きな壁に阻まれて成し遂げれなかったその可能性。
そんな口にも出せない祈りを込め、握った華の両拳から汗が1滴2滴と雫を落とした。
それは華だけではない。
会場に来ていた目の肥えた客達にもその可能性はじわりと滲みよっていた。
野村晶がトライするその瞬間までは。
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