第35話 ひとりじゃない

 MCの声が響いても、未だに「たおー」「のむらー」と2人の声援は止まない。


「……すごい声援ですね……」

 華の感心した様な感想に谷寺は無表情で興味なさげに答える。

「一花に付いたのは話題に流されて、スポクラの事を知りもしない層で野村達を応援してるのは、以前からスポクラを観ていた層だろうな。

 どちらにしても、女子では野村が圧倒的に実力も有しているから人気を得ているのは納得だろ?

 まぁ、一花にとっては肩の力を抜くのにいい傾向だったかもしれんな……」


「それでは――選手はそのまま5分間のオブザベーションに入って下さい‼ 」

 MCのその言葉が響くとスポットライトが落ち、ポツポツと灯りが会場に灯る。

 一花は背後を向くと、そのまま5つの課題に向き直った。


 なるほど。流石は日本の頂点を決める本戦。基礎から応用をふんだんに盛り込んでいる事が見ただけで理解る。

 この5分間でどこまで解けるかが間違いなく決勝の鍵になるだろう。そしてそれが解っているからこそ周囲の選手も必死にただそれを見つめている。


 そんな中、2人――他の選手とは違った行動を起こした。


「なあ、葛城かつらぎ。3番目のアソコはお前ならどう捕らえる? 」

 その声に、場に居た女子選手達は全員、嫌でも集中力をそっちに削がれる事になる。


「さぁ……跳躍か、それとも両跳躍ダブルか……いずれにしても飛び道具でしょうねぇ……」

 そう彼女へ返答したのは葛城当真とうま――。質問をした野村と同様、日本女子クライマーを代表するベテランの猛者。

 そんな2人の相談が聴こえるのだ。

 場に居た者達の意識が無理矢理にでもそちらへ引っ張られる。


 それは、必死で視線だけは動かさなかった一花ですらも同様だ。

 そんな時だった。


「凪海一花」

 突然呼ばれる自分の名前。流石にこれにはその方向を向くしかなかった。

「ごきげんよう――」

 そこに居た少女は言葉の淑やかさとは裏腹にまるで挑戦的な眼光を一花に浴びせる。

「え……と、真土里さん……だよね? 」

 一花の唇から出たその言葉に、少女の整った細い眉が跳ねる。

「茶々の事を知ってたの? 」


「うん、勿論。同年代ですごく活躍してるクライマーだもの。

 今日はお手柔らかにお願いします」

 一花がそう言って、にこりと微笑んだので真土里は「はぁ? 」とその可愛らしい顔を不細工に歪める。

「ちょ、調子狂うわね。見た目はそっくりなくせに凪海継葉と全然性格が違うじゃない……ま、まあいいわ。

 凪海一花。今日は貴方に決闘デュエールを申し込みます」

 一花は横目でチラチラと相手を見ながら課題に視線を戻す。相手の少女は全く課題ではなく自分の方向を向きなおっているが大丈夫だろうか? と少し心配になる。


「決闘? 」

 一花の反応に、真土里は嬉しそうに犬歯を覗かせた。


「そうっ、今日のこの日本大会の結果の良い方が勝者よ。アキラさんの次世代の選手の代表が誰かを、今日茶々達で決定きめるのよ‼ 」

 ビシッとその指が一花の鼻の前に突き付けられる。それを見つめると一花は言った。


「そんなの、決闘なんかしなくても真土里さんで決まってるよ。

 私なんかと全然実績が違うじゃない」

 ほんわかとそう躱すので、思わず言った真土里の方が戸惑う様に赤面した。


「……く……‼ やられたわ。こうやって茶々のオブザべの持ち時間を削る作戦だったのね‼ こ、この借りは課題で返します‼ 」

 そう言いながら、すすすす――と離れていってしまった。


 ――……? む、向こうから話しかけてきてたけどな?

 そうこうしながら、オブザべの時間も終了間際。一花が最後の課題を読み取っていた時だった。

「やぁ、一花ちゃん」

 そう呼ぶ人物に思い当たりがなかったので、瞳だけを動かし確認し。

「野村さん⁉ 」と、驚きが全身を駆け巡った。


「ん」ニコッと野村は微笑むと、触れずとも互いの体温が感じ取れるほどその身を近づける。

「わたしも、丁度あっこ読んでるんだ~、ねえ一花ちゃんならどうやる? 」

 ――何故、野村さんが私の名前を……。と冷静を装っていた脳が混乱を起こす。


「む? 」その様子に観客席の谷寺が気付いた。

「どうしました? 先生」華がその様子に心配そうに尋ねるので「いや、なんでもない」と全ては伝えなかった。


 ――野村め、何か仕掛けているな……。


 野村が一花に尋ねたのは、5つ目の課題のフィニッシュホールド一歩手前の、大きく離れたホールドの位置。

 ――似ている。

 一花がそう評した課題は、この日本大会の予選前。生活すら犠牲にしてクライミングの練習だけを行っていた自分に立ち塞がった、記憶に新しいものだ。


 ――華は、跳躍で捕獲った。でも私は……。

「壁がスラブになってますので、それを利用して距離を詰めます」

 それを聞くと、野村は途端に表情を無くし「へー」と興味無さそうに呟き。


「継葉なら間違いなく跳躍だよね」と続ける。


 その言葉に、一花はまるで身体の芯から外に向けて重い鉄の塊がぶつかった様な衝撃を覚えた。

 そして、その様子を見ると野村は先の表情と打って変わって愉快そうに一度微笑む。

「そっかぁ、じゃあわたしもスラブを利用してみよっかな……」

 表情を曇らせる一花を尻目に、それだけ言うと野村はその場を離れる。それとほぼ同時に「ビー」とブザーの音が鳴り響いた。


 ――継葉……。

 その音にも気付かぬ程、動揺した一花は1番手の選手以外舞台裏に引き上げているのに、そこに立ち尽くし続けている。

 その様子に会場がざわつき、会場職員が一花に近付こうと行った時だった。


「一花先輩――ガンバーーーー‼ 」

 隣の谷寺の脳天に直撃する様な、会場の騒然を断ち切る様な――そんなよく通る声が彼女に届いた。


 ――華……‼

 一花は、その瞳に輝きを灯し顔を会場に向けて手を挙げて応える。


 ――大丈夫だ。私は継葉ではないけど……。

 一花は近づいていた職員に頭を下げると、素早く会場の奥へと走り去っていく。


 ――私は……一人じゃない。




 選手控室は、互いの選手が情報交換を行えない様に個室にそれぞれ己の順番まで待機する。1課題に付き3分、つまり1選手辺り15分。これでは先に行うのが有利か後の方が有利か素人には疑問が残る所だ。人の記憶は時間と共に消失する。1番手は難しいながらも3番手4番手が最も有利なのではないかと思われるだろう。


 ――否。

 断言しよう。最も有利になるのは。

 待機時間が長い選手。つまりだ。

 それは何故か?

 彼等、プロスポーツ選手……その中でも特に一流と呼ばれる選手が持つ技術。それは近年では医学的にも根拠を照明されている、時間を対価として行われるそれこそは。


 想像経験イメージトレーニング


 ここに集いしは日本国内での頂点を決める選別されし12名。


 たった数分見たその課題。

 控室に入った瞬間に彼らはもう登っている。幾百も挑み。幾百も失敗し。そして成功するまで。

 時間が空けば記憶が薄れる?

 その様な事態は、彼等には訪れない。


 2度3度軽く扉がノックされる音を聴き、一花はゆっくりと瞼を開く。

「凪海選手。準備をお願いします」

 女性職員の声を聴き、一花は扉を開き、その職員と共に廊下を歩きだす。途中で共に選手紹介された男子生徒とその付き添いの職員と合流した。


 ――不思議だ。

 思っていたよりもその身に緊張はない。

 恐らく、あの華の声のおかげだな。と続け様に思い出し、少し口元が緩む。


「それでは、そのまま会場へとお進みください。会場中央のマーカー部分までお進み頂きましたら、凪海選手は右へ。曽野高選手は左へお願いします。

 第一課題の所に判定員が居りますので、そこで指示に従って下さい。

 それでは……頑張って下さい‼ 」


「お互い、決勝に進もうな‼ 」

 舞台に向かう中、隣の男子選手が爽やかな笑顔で鼓舞してくれたのでこちらも笑顔で返すと、2人は眩いスポットライトの元へと駆け寄っていった。 

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